龍呼ぶ妃

第2話 落ちぶれズボラ姫(一)

 ああ、昨夜は飲み過ぎた。御簾の隙間から入ってくる陽の光がやけに眩しく目に刺さる。若い娘が二日酔いなど、また兄さんに怒られてしまうだろうと思いながら、芙貴ふきは頭痛をこらえて身を起こした。


 外の明るさに「今日も相変わらずいい天気……」と言いかけて口をつぐむ。おととしも去年も夏の始まる頃から旱害が始まり、今年もここ一ヶ月雨が降っていない。水は既に不足しており、雨の降らない晴天を「いい天気」なんて呼べやしない。


 几帳を隔てて隣の局から声がした。


「芙貴ちゃん? 起きたの?」


「あー、うん。ってか、あれ?」


 芙貴がいるのは友人のすみれの局だ。今菫がいる方が自分の局。ええと。あ、そうだ。昨夜は隣の菫の局で一緒に酒を飲んでいた。そのままこちらで酔いつぶれてしまったらしい。


 几帳の向こうから友人が顔を出した。


「夕べは一晩ずっと慰めてくれてありがとうね!」


 菫は最近男に捨てられてしまい、芙貴は夜通しその自棄酒につきあった。


「お礼に貴女の部屋を片づけてあげてるんだけど……」


 その先の話は聞かなくても予想がついた。


「貴女、ズボラにもほどがあるというか。普段からもっと整理整頓しときなさいよ」


「いや、散らかってるなりに私は自分で何がどこにあるか大体把握してるし……」


「だけどさ。部屋が散らかってるのを『足の踏み場がない』って表現するけど、普通それって平面だよね? 貴女の場合、物が積み重なって部屋の中に山あり谷ありじゃない」


「いや……だからこそ片づけるなら完璧にと思って……それでついつい後回しになるというか……」


「後回しって。円座の下から足に履くしとうずが片方出てきたけど。これって冬に履いてたやつだよね?」


「うん、兄さんから借りた……」


 芙貴には血は繋がっていないが兄代わりの存在がいる。倫道ともみちといい、芙貴がこの邸宅で女房勤めをしているのと同じくこの邸宅の家人をしつつ、主人の計らいで下級官僚に職を得ている。彼に「冬は足先が寒い」と訴えたところ、どこかから調達してくれたのだ。


「この襪の片方は二階棚の後ろから出てきたのよ? 何か月ほったらかしだったわけ? その二階棚だって何か食べた後の椀や匙が置かれたまま脱ぎっぱなしの衣に埋もれてたし」


「あ……面目ない」


「貴女は面倒見もいいし仕事もきちんとするしいい子だと思うんだけど、いくら何でも自分の身の回りにここまでズボラなのはなんとかしないと……」


 正論だ。ぐうの音も出ない。芙貴はとりあえず立ち上がった。ピキッと頭痛が走る。


「いてて」


「あ、二日酔い?」と菫が慌てた。「ごめん、私が一晩中あの男の愚痴を聞かせたもんだから……。あ、そこの水差しのお水、飲んでもいいわよ」


「え、いいよ。そんな……」


 今年ももう邸内の井戸は枯れていた。芙貴たちがお仕えしているこの邸宅の主は身分も財もあり使用人も多いから、車を使って都の外からまとまった量の水を運んでくることが可能だが、各自の一日分の割り当ては決まっている。今日も暑くなりそうなのに、人の分まで自分が飲むのはあまりにも申し訳ない。


「そうだ、私。今日これから神泉苑にお水汲みに行ってくる」


 大内裏の朱雀門の近くに、歴代の帝がお休みになる禁苑がある。そこの泉はどんなひでりでも枯れないので、帝がその門を開放して民に自由に水を汲ませて下さっているのだ。


「ついでに他の人の分も汲んで来る。特に萩内侍さんに飲ませてあげたいし」


 萩内侍というのは、身寄りのない芙貴と倫道をこの邸宅で雇うよう取り計らってくれた古株の女房だ。芙貴の恩人だが、昨年から病で床に臥せっている。


「今日も暑くなりそうだもの。こんな日は冷たい水を思う存分グイグイって飲みたいわよねえ」


 ああ、想像しただけで喉が鳴る。そんな夏の楽しみが今年もなくなりそうだ。いや、楽しく楽しくないの問題以上に水不足に追われる暮らしに人々は疲弊している。菫が心の底から湧き出るような口調で嘆いた。


「いったい『龍呼ぶ妃』ってどこにいるのかしらねえ?」

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