第71話 龍呼ぶ妃(三)
こうして芙貴が宝珠を媛から受け取ると、クスクスと笑う声がした。佳卓だ。
「貴女が東宮妃におなりになるとはね」と愉しげに言葉を放りだした彼が、今度は芙貴の足元に膝をつく。
「東宮妃にお喜びを申し上げる。幾久しく、我が朝廷をお支え下さいますように」
「はあ……」
そんな堅苦しい祝辞を受け取るとは想像してなかった芙貴が戸惑いの声を上げると、佳卓が芙貴を見上げてニヤリと笑った。
「さあ、東宮妃をこれ以上歩かせるわけには参りません。内裏までしばらくこの近衛大将と馬に同乗していただくことになる。こんな老いぼれとしばし一緒ですが、ご寛恕願いたい」
「そ、それはいいですけど……」
佳卓がにやにやと頬を緩めっぱなしだ。
「佳卓様、そんなにおかしいですか?」
彼はこらえきれないように吹き出した。
「これは面白いことになったものだと思っておりますよ。ああ、貴女様は東宮妃になるのですから、今後、私のことは『佳卓』と呼び捨てになさいますよう。さ、どうぞ。鞍に乗せて差し上げます」
佳卓は芙貴を鞍の前に乗せ、自分は後ろから手綱を取って馬を走らせる。全速力ではないものの、それでも人の脚よりも早くなった動きに、上空の龍も後ろに墨を流したような黒々した雲をひきつれてついてくる。その奥では雲の中に稲妻の閃光が飛び交っているのが見える。他の時代ならいざ知らず、この二年の間、都の人々はどれほど雲や雷を待ち焦がれていたことだろう。
京域から多くの人が花藻川に押し寄せていた。ある者はその流れを手ですくい、ある者は衣の裾をからげて川の中に入って水と戯れる。それ以外の者は天空を指さし「龍だ!」「龍神さまだ!」と歓喜の声をあげている。
芙貴を乗せた馬が河川敷を走る。芙貴の手にしている光り輝く宝珠が尋常の珠ではないのは見る者に明らかだ。河川敷を駆ける芙貴の乗った馬を、人々が口々に歓呼して迎える。
「『龍呼ぶ妃』だ!」「あの宝珠で龍を呼んで下さった!」「ありがたや!」「お若い姫君、どうぞ東宮妃に!」「東宮妃様! 東宮妃様!」
それらの声とは別に、耳元で「東宮妃様」と囁く声があった。佳卓の声だ。振り向き見上げると、佳卓が「青海殿が追いついてきたようです。どうしますか?」と尋ねてくる。
「このまま東宮妃様お一人で内裏に入り、機会を改めて対面なさいますか。それとも今、貴女様の口から経緯をご説明なさいますか」
芙貴はぎゅっと拳を握った。「私が自分で言います。馬を止めて下さい」
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