第80話 清涼殿の月(七)

 その先を語ろうとして佳卓が感傷に浸りかけたとき。


「よく思いついたわね!」


 芙貴のあっけらかんとした声が響いた。佳卓が伏せていた頭を上げると、彼女の晴れやかな笑顔があった。


「ちょっと危なっかしいところもあったけど、佳卓の奇策でこうして東宮様まで四代の御代が守られたんだもの。良くやったわ、偉い! すごい!」


 隣の東宮様がたしなめられる。


「芙貴さん、もうちょっと言葉を選びましょう。佳卓はもう長寿を祝う五十の賀も終えた朝廷の重鎮なのですから……」


 確かに東宮妃が臣下を褒めるのならば、もっと重々しい口調の方がいいのかもしれない。また、もっと凝った言い回しもあるのかもしれない。けれど、芙貴の底抜けに明るい表情に、佳卓は自分の子どもがまだ幼かった頃を思い出した。


 背丈も佳卓の腰に届かず口も回らぬ稚い童子が、父の佳卓が玩具の弓で的を射たり、高い枝にひっかかった毬を取ったりしただけでも、「父しゃま、しゅごい、しゅごい!」と瞳を輝かせてくれたものだ。今の芙貴が掛け値なしに佳卓を讃えてくれる様子は、そのときの面映ゆい気持ちを思い出させる。


 東宮様の方は佳卓に向かって居住まいを正し、きちんとした礼を述べて下さる。


「私の命を助け、皇位継承の混乱を避け、そして民の暮らしを安寧たらしめてくれたこと。篤く感謝する」


「かたじけのう存じます。されど、私には過ぎたお言葉。錦濤帝の御代はもっと長く続くはずでございました。この二年、比瑛山に龍が閉じ込められて渇水が起こり、東宮様直々に解決の労を取らせてしまいましたこと、臣下としてお詫び申し上げねばなりません」


 芙貴が「いくら佳卓が有能でもそんなの全く想定外だったでしょ? 別に佳卓が悪いんじゃないわ。悪いのはあの嶺上よ!」とはっきりとした口調で断じ、東宮様も軽く首を振りながらおっしゃる。


「解決の労といっても私は特に何もしていない。剣を少々振るっただけで、それくらい東国では日常茶飯事のこと。それに、龍を京に呼び戻した最大の功労者は、芙貴さん、つまり『龍呼ぶ妃』だ」


 芙貴が「いやいや」と東宮様に向かって片手を上げて横に振る。


「『龍呼ぶ妃』って言っても、私も思いついたまま行動してたら偶然こうなったってだけよ。こうして龍を比瑛山から解放できたのは、東宮様や沙智媛が持てる力を貸してくれたからだわ」


 佳卓もそれは肯う。


「確かに天叢雲剣で結界を切ることができるのは東宮様だけ、そして比瑛山の内情に通じていたのは沙智媛です」


 この二人がそれぞれの持てる力を発揮してくれたから事態は解決した。


「されど、このお二人だけでは、ことはこのようには運ばなかったでしょう」

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