第59話 造反(一)

 貴花藻社の鳥居の下で、芙貴は都に戻る院一行と別れた。これから沙智媛に院の言葉を伝えなければならない。その隣に、佳卓の随身として同行していた青海もなぜか居残っていた。


 昨夜口づけを交わして別れた相手の男は、それなりに気まずそうだったが、芙貴と一緒に行動する理由はあるらしい。


「私も沙智媛の説得にあたります。私から彼女に言いたいこともできましたので……」


 芙貴と青海が貴花藻社の媛の執務室で待っていると、かなり時間が経ってから媛が山上から戻ってきた。そして開口一番「ごめんなさい」と謝る。


「貴女は何も悪くないじゃない……」


「いえ、私の父が勝手なことばかり言ってすみません……。ごめんなさい。私、間を取り持とうにもどうしたらいいか分からなくて……」


 媛はおろおろと手を落ち着かない様子で上げ下げするばかりで、「どうしていいか分からないんです」と繰り返す。「とりあえず落ち着こうよ、ね?」と芙貴に言われて、媛も「そ、そうですね」と人に命じて茶菓の支度をさせる。


 彼女が少し落ち着いた頃を見計らって、芙貴は錦濤院の「共に歴史を作ろう」という言葉を伝え、それを聞いた媛は「錦濤院に能力を買っていただいて、とても光栄です」と心から感激した様子で答えた。


「錦濤院の『歴史と伝統は変革の積み重ね』とのお言葉、私も強く印象に残りましたし、おっしゃるとおりだと思います。そして私もそのような歴史の担い手でありたい。でも……」


「やっぱり倫道兄さんの言うように、親を裏切るように感じちゃうもの?」


 媛は哀し気にうなずいた。


「倫道さんとは書物の話ができて楽しいのもあるんですけれど……。どんな親でも、子は親の愛情を求める気持ちを断ちきれないものだという話でお互いに共感するんです。倫道さんも、お母様の辛さを分かっていても、やはり母親に振り向いてもらいたかった気持ちが捨てられない。倫道さんのような深刻な場合と比べて、私の親と私はちょっと気が合わないだけです。だから……私に親を棄てる決心はつけられないんです……」


 青海がそこで会話に加わった。


「いえ。私は貴女たち父娘の間柄は『ちょっと気が合わない』というよりもこじれていると思います」


「え……」


「私は今日、嶺上の話を聞いていて、沙智媛が親の愛を得ようと頑張れば頑張るほど溝が深まるのではないかと思いました」


 芙貴が「どういうこと?」と問う。


「嶺上は、女は男の下であるべきだと思っています」


「そうよね。ほんっとうにムカつくったらありゃしない!」


「その考えを裏返すとどうなると思いますか?」


「裏返す?」


「『女は男の下であるべき』は裏返せば『男は女の上であるべき』です」


「そりゃそうだけど。で、それがどうしたの?」


「私たちが知っている嶺人で、嶺上を褒める者はいませんでした」


 貴花藻の侍女も、媛の母も、令王もそれぞれ表現は違うものの、嶺上を頼りない人物だとあっさりと言いきっていた。


「下界の朝廷でもそうです。錦濤院も佳卓殿も嶺上を大した器だとは思っていない」


「実際そうじゃないの。娘の沙智媛の方がずっとしっかりしている。媛の方が有能だとみんな褒めてるわ」


「そこですよ」


「……」


「嶺上は『男は女の上であるべき』だと信じている。だけど、彼は女の我が子よりも評価が低い。そして他人の評価だけでなく実力も娘に劣っていると薄々分かっているでしょう」


「……」


「彼は『自分より優秀な女』である沙智媛に嫉妬しているのだと思います。そんな『生意気な娘』を彼は許すことができない」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る