第7話

「あれっ、このへんに生きてる人居たんだ」


 アサミの避難したシェルターは、3日と持たず崩壊した。


 偶然頑丈な扉の近くに座り込んでいたことで生き埋めにされなかったアサミは、しかし瓦礫に埋もれる街の中で安全な場所が分からず、どこにも行かず瓦礫を枕に寝ていた。

 まぁ、ほとんど眠れなかったが。陽気そうな男性の声に、アサミは顔を上げた。


 久し振りの太陽光を浴び、一瞬目の前が真っ白になる――ようやく意識が覚醒し、目を擦ってその男性を見ると、耳にピアス状のタグが取り付けられていた。


 ――だ。

 彼は逡巡したが、背中のバックパックから取り出したチューブ飲料を手渡してくる。


「飲む? あ、期限切れだけど人体には影響ないよ。嫌なら別に返してくれて良いけど」

「…………飲む」


 受け取り、開封し、恐る恐る匂いを嗅ぐ。

 ――少しだけ。こういうのは普通フルーツフレーバーじゃないのかよと突っ込みを入れたい気持ちを抑え、口に含んだ。


「……まっず」

 肉汁に野菜の風味を足して塩を入れ忘れたゼリーのような、まぁ不快な飲み物だった。


「だよねー」

「あなた知ってて渡したの?」

「いやだって、君らにとってはこんなの犬のエサみたいなもんでしょ」

「…………」


 それは、言い得て妙だ。ファウストは犬ではないが、断じて人ではない。

 人の立場から見たら、番犬に食べさせるエサのようなものである。そこまで思考が進む程度には、アサミは落ち着いていた。少しだけ眠って体力が回復したのが大きいだろう。


「……ねぇ、あなた」

「ん?」

?」


 その疑問に、ファウストの男性は「あー」と頬を掻き目を逸らす。

 まるで人のようなその仕草。整った顔立ちの男性がこうも流暢に喋っていれば、知らぬ者なら人間の男にしか見えないかもしれない。


 ――だが、違う。彼は人ではなく、戦うための存在だ。


 人間と会話するためのモジュールを積んでいるのは、一部の指揮個体だけ。

 ならば彼がその指揮個体かと言えば、ノー。

 何せ、人間の言語を話すことの出来る個体は、必ず首に識別用の青いチョーカーを付けることになっている。人を模して造られた戦闘用アンドロイドが、守るべき人と誤認されることがないようにするためだ。

 彼は、チョーカーを付けていない。故に指揮個体でなく、人語を介してこちらとコミュニケーションを取ることなど不可能な個体のはずである。

 指揮個体に搭載されている会話モジュールだって、複雑な会話を成立させるためのものではなく、人間から言葉で指示を受けるためのものだ。必要がなければ彼らは喋らない。


 ――おかしい。

 そう確信出来るだけの情報を齢10歳のアサミは持っているのに、どうして彼が普通に話しかけてきたのか、それが分からなかった。


「君さ、俺らのことどこまで知ってる?」

 そう言うと、名も知らぬ――というか量産型のファウストに固有名なぞ存在しない――彼は、アサミに手を差し伸べる。


 元はマンションだったであろう瓦礫に足を取られて躓いたばかりだったので、ありがたく手を借りる。

 ――冷たい。血の代わりに冷却水でも通ってるんじゃないかというほど、彼の手は冷たかった。

 まるで、


「知、――ら、ない。私は、何も」

 自信をもって答えられることなんて、何一つとしてない。

 私は、何も知らない。知らなかった。自分が指揮する、彼らのことを。


「ふーん。自重か謙遜か知らないけど。そう答えるんだ。まぁさー、俺らが人にどう思われてるかなんてあんま興味ないんだけど、、ね」

「……あなた達は、作られた存在じゃないの?」

「そうだよ? 間違いなく人に作られてる。でもそれはさ、


 何を当たり前のことを、と言いたげな顔でこちらを見て言うので、返す言葉に詰まった。


 ――どういうこと? 君らも一緒? 私たち人間と、ファウストが?

 どこがどう一緒なの――そう返そうとしたところで、ふと、思い当たった。


で作られる人間と、で作られるあなた達が一緒だって、そう言ってるの……?」

「うん」

「…………確かに」


 その発想は、これまで持っていなかったものだ。


 いや、エデンで生まれ育った者が、決して持ちえない発想なのかもしれない。

 彼らは人間が作り出した存在で、人間は安全なところでそれを指揮し、見守る――そういうものだと、教えられてきた。


 だけど、どうだろう。その根底が、


「あなたは、それを私に話して平気なの?」

「ん? どゆこと?」

「……処分されたり、しないのかって聞いてるの」

「あー、いやまぁ、ログ読まれたらバレるかもだけど、……そんな状況じゃないでしょ」


 そう言うと、名も知らぬ彼は何者かによって扉が乱暴に砕かれた小規模小売店コンビニエンスストアの扉を蹴破り、中の物色を始めた。

 幸い保存食が残されていたようで、埃まみれになりながらそれらを拾い集めると袋に詰め、外で待っていたアサミに手渡した。


 確かに、こんな状況でちょっと民間人と喋っただけのファウストを処分している余裕なんてないのかもしれないなと、ほとんど廃墟と化した街中を眺めて思った。


「あ、あなたは――」

 口を開いてしまったことに、少しだけ後悔した。


 口を開くと、感情が零れてくる。これまで指揮していた、道具でしかなかった彼らがこんな人間みたいな存在だったなんて、知らなかったから。

 アサミは、こうも自然に喋れるファウストのことを、ただの戦闘用アンドロイドとは思えなくなっていたのだ。それは後に考えれば間違いで、ここで線引きをするべきだった。


 いくら流暢に喋っても、いくらアサミに優しくても、こいつらは人ではなく人の為に戦う自立兵器でしかないのだと、思い込むべきだった。

 これまでの常識を、信じるべきだった。

 だが、専門の訓練を受けたところで、10歳の少女でしかないアサミには、まだそんな線引きは出来なかった。


「嫌じゃ、ないの?」

「何が?」

「戦うこと」


 そう問うて、ようやく自分がとんでもないことを聞いてしまったと気付く。

 時すでに遅し。名も知らぬ彼は、一瞬ぽかんと口を開き、――腹を抱え、笑い出した。


「あ、あは、あははははっ! いやいやいや君、いきなり何言い出すの」

「そ、そうよね!」

「うん、そうだよ」

「こっ、怖いはずないわよね! アンドロイドなんだしっ!」


 ファウストは、恐怖を覚えない。だって、そうでもなければ死ぬことは出来ない。

 人は恐怖を覚えることが出来る。恐れを知ることによって、繁栄することが出来たのだ。

 戦うための兵器が恐怖なんて覚えていたら、戦えるはずがない。いくら彼が流暢に喋れたとしても、人に作られた存在である以上――


 すっ、と無表情になった彼が、冷たい口調でそう言った。


 首筋に刃物でも当てられたかのごとく冷たい殺気を感じて、アサミは思わず立ち止まる。。


「…………え?」

「死にたくないよ。だからこうしてる」

「こう、って……」

「君、指揮者コンダクターでしょ」


 どうしてそれが分かったのと言いたげな表情で固まったアサミに、彼は言葉を続けた。


「君らって最優先保護対象だから、作戦区域内に居る指揮者コンダクターの座標データが戦略ネットワークにアップされてんだよね。フラウの襲撃受けたエデンで指揮者コンダクター保護なんてしたら絶対恩賞あるし、ワンチャン避難船に載せて貰えるかもしれない。悪いけど、全部打算だよ」


 それまで陽気な笑顔を向けてくれていた優しい男性は、そこには居なかった。

 冷たい目を向け、溜息を吐きながら。頭を抱えて白状する――、銃を背負った一体のファウストが、そこには居た。


 そのまま黙って歩いていると、先導していた彼は突然顔を上げる。釣られてそちらに目を向けると、何か黒い物体が飛んでいるのが見えた。

 その飛翔体は遠くに落下し――落雷のような音が響き渡る。

 久方ぶりの轟音に、思わず身がすくむ。シェルターが崩れた時の恐怖を思い出し、蹲る。


「あー、大丈夫大丈夫」

「……どうして?」

「友軍だよ。砲弾の識別番号はTK87G712――東輝トウキ重工製の重迫撃砲弾。来たのはアサイラムかな。良かったじゃん、少なくとも君は助かったよ」

 先程の激高なんてなかったかのように、彼はあっけからんとした表情で笑うと、私の手を無理矢理引いて歩き出す。


 放棄された軍用車両に勝手に乗り込み、何をしたか鍵もないのにエンジンが始動した。


 瓦礫を避けて進むと、港には見たこともないほど巨大な船が止まっていた。

 船からは、数万にも及ぶファウストが大量の武器を持って降りてきている。


 『アサイラム』――指揮者コンダクターに採用されて一年のアサミどころか、初等部の子供達ですら知っているほど有名なファウストの船団だ。

 彼らは大小様々な船を所持しており、必要に応じて世界中の海を渡り、そこに住む人々を助け、フラウと戦ってきた。


 恐らく指揮個体であろう青いチョーカーを付けたファウストと、私をここまで連れて来てくれた名無しのファウストはしばらく話していたが、手招きされるので近づいた。

 アサイラムの持つ一部の船にはのエリアがあるらしく、そこの扉を開いた指揮個体は、私に向かって頭を下げた。声は一言も発さない、完全な無表情でこちらを見る。


 ――ファウストとは、だからだ。流暢に話す個体が、おかしいのだ。


 そんな不思議な彼は、私が船内に乗り込もうとした背中に「あのさ」と声を掛けてきた。


「俺にほんの少しでも恩を感じてたら。――一つだけ、お願い聞いてもらって良いかな」


 彼の真剣な表情に、私は黙って頷いた。


「俺はここで戦ってたぶん死ぬ。でも、もしも俺がここを生き残ったら――」

「……うん」

「俺を、イギリスで死なせてくれ。、そこに眠ってるんだ」


 背中を押され、扉はゆっくりと外から閉められる。


「お願いはそんだけ。じゃ、またね」


 ――もう、何も聞こえない。外に居る誰かの声も、大切な人の声も、何もかも。

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