第6話

「ねぇ叔父さん聞いてよー」


 学校終わり、一人暮らし中のマンションに帰宅すると叔父が家の掃除をしていたので、いつもの光景だな、と驚くことなく、アサミは家のパソコンを起動しつつ話しかける。


「聞いてる聞いてる。なぁアサミこれ、野菜腐ってないか? 生の野菜は高級品なんだぞ?」

「えー、勝手に送られてくるだけだし、要らないから持って帰って良いよ」

「せめて腐る前に教えてくれよ……」


 冷蔵庫を開いた叔父が溜息を漏らすが、アサミはそちらを見ずに返す。

 齢10歳で一人暮らしをしているアサミは、定期的に掃除や料理をしにきてくれる叔父が居なければ、軍から無償で支給されている軍用糧食レーションを温めて食べるだけ、ゴミ捨ても月に一回程度しかしないズボラ人間である。


 そんなアサミがどうして一人暮らしを許されているかというと、両親が居ないからだ。しかし、アサミは物心つく前に亡くなっていた両親の、顔も仕事も死因も知らなかった。


 基本的にアンドロイドは24時間365日どこかしらで活動しているため、指揮者コンダクターの仕事は腐るほどある。学校でもノートパソコンを開いている時は仕事をしているアサミであったが、使命感などではなく、暇つぶしの感覚であった。

 適性さえあれば、と、老若男女問わず世界から集めた結果、アサミのような10歳の少女をも受け入れることとなってしまったのだが――まぁ、そのくらいのデメリットを帳消しにするほど需要と供給が釣り合っていないのが、指揮者コンダクターという仕事である。


 アサミには軍人としての自覚はない。

 当然だ。彼女は7歳の時に適性を見出され、士官学校に3年間通わされ軍人として採用されただけの10歳の少女で、別に国を守りたいとか、誰かを守りたいとか、お金を稼ぎたいとか、そういった願望は特にない。

 出来るからやってる、暇だからやってる――ただ、それだけなのだ。


 掃除を終え、ごみ捨てから帰ってきた叔父は、軍支給の栄養ドリンク――アサミは嫌いで一切飲まない――を飲みながらアサミの後ろに立つと、興味津々にパソコンの画面を眺める。アサミは特に気にしている様子はない。もう慣れているからだ。

 そもそもこの時代、パソコンを操作出来る者はそこまで多くない。ネットワーク通信は手のひらサイズの小型通信端末『ノイド』が主流であり、何かしらの専門技能を持っていない者は、パソコンを購入する権利すらないからだ。


「その、さっきからフラグ付けしてるそれ、なんなんだ?」

「ん? これ部隊の編制してるとこ」

「はー……じゃあなんで数字の隣にも数字振ってるんだ? ファーストとかセカンドとか。セカンドの21って分かりづらいだろ。221じゃ駄目なのか?」


 疑問を返す叔父に、小さく溜息を吐いたアサミが説明する。


「ファウストの脳って、フラウの寄生防ぐために母体マザーから培養した因子を組み込んでるんだよ。叔父さんだって毎年ワクチン打ってるでしょ? それとおんなじ感じ」

「はー……先に抗体を作っておけば、寄生されないとか、そういう話か?」

「そうそう。そんで、ファーストは最初に発見されたアメリカの第一号、セカンドは中国の、サードは日本の母体マザーから取った因子だね。フォースから先はさ、まだ倒せてないし」

「……そうだったな」


 そう、アサミの説明の通り、ファウストが生まれる前から存在していた4体の母体マザーは、しかし人類は3体しか討伐出来なかった。

 アメリカで発見された累計4体目の母体マザー――サウスカロライナ州を飲み込んだ母体マザーは、倒す前に自ら崩壊してしまったからだ。


 それから100年以上経ち、生存が確認されている母体マザーは3体。しかし、人類はファウストを戦場に導入出来るようになってからも、母体マザーを一体も討伐出来ていない。

 その大きな原因となっているのは――


「アメリカがフォースでやらかしちゃったから、そっから母体マザーが見つかっても核で焼却が試せなかったんだよ。そうこうしてるうちに核保有国全部滅んじゃったからねー」

「らしいな。ただ、カクとかいうのはそんな強いのか?」

「たった一発で母体マザー倒せて、しかも割と安くて外さない。当時最強クラスの兵器だったんじゃない? だからフラウ側も喰らうわけにはいかずに逃げたわけだし。まぁ結局連打されて中国の母体マザーは死んで、そのせいで中国大陸に人が住めなくなったらしいけどね」

「なんか、汚染とかされるんだよな。それだとあんまり効率良くなさそうに思えるが……」

「ま、そんなのなくても地上には住めなくなったんだけどねー」


 アサミが後ろを振り返り、窓の外を見る。


 ――そこには、巨大な壁があった。


 高さ100メートルを超える、核兵器すら耐えると豪語されているその防壁は、都市一体――アサミの暮らす第19エデン全周を覆い隠すように作られている。

 エデンでは防壁より高い建物を作ることは出来ないため、都市のどこに居ても防壁が視界に入る。


 ここ、第19エデンにはおよそ100万人が暮らしている。元は太平洋の諸島だったが、それらを結ぶ道を作り、埋め立て、30年にも及ぶ歳月をかけて作り上げられた人口島。


 世界中に点在する『エデン』は、規模に大小あれど、人々が平和に暮らしている。

 だが、各国が領土を持てなくなり、それまでの国家のありかたは崩壊した。

 法も、主権も、国民だって、土地がなければ守れない。そして人類の楽園であるエデンは、たった一国で運用出来るものではないと、どこの国も気付いてしまった。


 かつて大陸で生まれた者は、もう生き残っていない。かつての国を、大地を故郷と思う者は、もう居ない。今この時代に生きているのは、エデンで生まれ育った世代だけだ。


 エデンの外で戦う兵士――ファウスト達によって保たれている疑似的な平和であるにも関わらず、人々は平和を享受し、今日を生きていた。

 そう、その時までは。


 ――――ゴゥン。


 深く鈍い音が、街に響いた。


 それはきっと、アサミがそれまでの人生で聞いた、最も大きな音であったろう。


 がらがらと何かが崩れ、地が揺れる音が断続的に響き渡る。


「え、今の何? どっかで事故?」

 窓の外を呆然とした様子で眺めた叔父の背中に、アサミは問い掛ける。

 叔父は、返事をせず口をあんぐりと開けていた。


「待ってよ、何があったの?」

 窓に近づき、叔父を押しのけ音のした方角を見る――


「……は?」

 決して壊れぬはずの防壁――その一角が、無残にも崩れていた。

 それも、周辺のビルをいくつも巻き込むほど激しく崩落し、命からがら逃げだしたであろう人々が、瓦礫を避けるため車を降りて道路を走っている。


「待って待って待って待って」

 混乱する頭を押さえ、アサミは一歩後ろに下がる。

 今見たものが現実か、それとも夢や幻かも分からない。アサミはエデンの崩壊を経験したことなどなく、それは生まれてこの方エデンを出たことがない叔父も同じである。


 ――なにせ、エデンが崩壊した時、住民はすべて死ぬものだからだ。


 その原因が何であれ、生き残りなど居るはずない。外海に逃げるための船は存在しても、乗る前に大抵死ぬ。それでも逃げられるのは、超上流階級の者だけだ。

 一般市民は、エデンと一緒に死ぬ。それが、これまで100年の歴史で幾度となく繰り返されてきた、現人類の凋落であった。


「……アサミ」

 覚悟を決めた顔で振り向いた叔父は、ようやくアサミに声を掛ける。


「近くのシェルターに避難しろ。俺は――まぁ無理だと思うが、お前が逃げる時間を稼ぐ」

「待って、叔父さんも一緒に行かないの!?」

「行けない。……俺は、憲兵だからな」


 叔父はどこか寂しそうな顔で、アサミを見た。

 治安維持を職務とする憲兵が、真っ先に逃げては治安が維持出来ない――当然だ。

 だけど、そんなの無視して、自分の命のため逃げれば良いのに、とアサミは口を開こうとする。


「あぁ、もうこの機会に話しておくか」

 どこか諦めたような表情で外に視線をやった叔父は、特殊警棒の電源を入れ、腰に吊るした拳銃の安全装置を解除しながらそう言った。


「アサミ。お前の両親は、……軍人だった」

「え? そうだったの?」

「あぁ。世界を救うための仕事をしてると、俺に話してくれたことがあった。……悪いな。あいつらみたいになって欲しくなくて、言わないようにしてたんだ。まぁ、結局お前は、軍に入っちまったんだがな」

「…………」


 アサミが士官学校に入ったのは、自由意志などではない。初等部の教育課程にあったシミュレーターの成績やらなんやらを見たお偉いさんが勝手に決めたのだ。

 拒否権などなかった。アサミは、元の平和な日常に戻ることは出来なかった。

 両親が居れば話は違ったかもしれないが、士官学校への入学が決まった時も、卒業後に軍への入隊が決まった時も、唯一の親族である叔父に連絡はいかなかったらしい。アサミが自ら連絡し、はじめて知ったのだ。


「とっとと行け。シェルターが安全かは知らないが、子供なら入れはするだろう」

「…………うん」

 しっしと手を払った叔父に、最後に黙って頭を下げる。


 私を育ててくれてありがとう、そう言えなかったことを、アサミはこれからしばらく後悔することになるのだが――


 その時のアサミは、まだそこまで考えられるほど、大人ではなかった。

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