第21話

「おーわったー!」


 副代表らとの交渉を終え、思わず声を上げるアサミ。


 スクルドが、「しー」と口元に指を当て、小さく扉の外を指した。――まだ声が聞こえる範囲に副代表ら――旧ポルスカ自治区における最高権力者5名――が居たのだろう。

 まぁ、交渉はもう終わったのだし今の聞かれちゃっても良いかなと、アサミは切り替えた。この切り替えの速さは、流石である。


「ねぇスクルド」

「アサミ少尉、どうしましたか?」

「……何点でした?」

「護衛である私が点数をつけるのはおこがましいですが……76点ですかね」

「んー手厳しい。でも仕方なくない? 私、このつもりで来たんじゃないんだし」

「ですよねぇ、まさか協定まで書き換えるとは思わなかったですよ」

「……ほんと、それは全然思わなかったんだけど。なにあの人? 幕僚長ってホント誰?」

 先程までエデンと通信が繋がっていたノートパソコンを見、アサミは肩を抱いた。


 避難民受け入れの計画が子体ベビー襲撃によって頓挫し、これからのこと、補償などを話し合う旧ポルスカ自治区代表団との交渉において、アサミの援軍として現れたのが、エア共和国欧州方面軍統合本部幕僚長――つまり軍の最高司令官――を名乗った初老の男性であった。


 隻眼で眼帯をつけ、両腕ともに肩から義手の、明らかに歴戦の強者であろうその男性は、淡々と事実だけを述べていく。ゆっくりと喋っているのに、誰も異論を挟めなかった。

 たとえ口から出るすべてが嘘だとしても、あの顔で、あの声で言われたら誰もが信じてしまうだろう。ディスカッションを得意とするアサミであっても、画面ディスプレイ越しでなかったら逃げ出してしまうと思えるほどの威圧感があったのだ。


「おぉ、終わったか」

「……ベオウルフ、お疲れ様です。もう動けるんですか?」

「それだけが取り柄なんで」

「…………」

 快活そうな笑顔でアサミに笑いかけるベオウルフとの距離は、どうしてか縮まったようだ。理由は全然分からないが。


 アサミは、子体ベビーを撃退した後、生き残った仲間達がベオウルフの姿を見た。

 無事な部位など一つもないんじゃないかというほど損害した身体は、頭部すら半分以上が欠け、両腕欠損、足は片方だが膝まで、腹部も半分以上抉れていた。


 それが、平均損耗率72%ということ。自分の目で見るまで、理解していなかった。

 まさか、という意味だとは――。


 どうして生きてるんだよと、呟いたリュースーの言葉がなければ、死体だと思ってしまっていたほどだ。

 誰もが引きずられてくる半死のベオウルフを見て平然としていたのは、仲間の死に慣れていたからだと思っていた。

 そうではない。ベオウルフの損傷が、真の意味でいつも通りだったからなのだ。


「……一応聞くんですが、なんで治るんですか? ファーストって皆そうなんですか?」


 サードに比べたら数は少ないとはいえ、部隊にファースト因子持ちのファウストが居た経験など、それこそ数えきれないほどある。だが、こうも損傷している個体が医療センターにも入らず、半日で完全な治癒をするのは見たことがなかった。


「いえ、」

 上階――ベオウルフの看病をしていたらしい――から使現れたアグレッサーが、否定の言葉を続ける。

「こいつは特別製です。再生能力は、たぶん俺よりずっと高い」

「アグレッサーよりも、……ですか。では、どうしたら死ぬんでしょう?」

「「…………」」


 まさか殺す気なのかと、言葉でなく視線で訴えてくるファースト2名。

 空気が裂けそうなぴりっとした気配に慌ててスクルドが乱入し、大きく手を振ってその気配を霧散させた。


「まぁ、一番簡単なのは全身食われることですかねぇ」

「あとは寿命だな」

「ははっ! ちげぇねぇ」

 アグレッサーの背中を叩きながら、ベオウルフは返した。


 ――そうだ。そうだった。ベオウルフは20トゥエンティ―モデル。そして、彼が戦場に出てから既に17年以上が経っている。

 教育課程や訓練課程で、製造から1年ほどは戦場に出ていない個体も多い。古いモデルのベオウルフは違ったかもしれないが、どちらにせよ残り時間は1年か、長くて2年。


「――寿命で死ねるというのは、どういう気持ちなんでしょう」

「ん? まぁよく生きたな、って感じですかねぇ」

 そう軽く返すベオウルフは、最初に見た時に感じた、狂犬のような気配はない。


 どちらかというと、近所の気のいいお兄さんのような彼すらも、平気な様子で死を語る。寿命で死ねることを、悔やむ様子も、惜しむ様子もなく。


「ま、コイツより先に死ねることだけは間違いなく、良いコトだなぁ、アグレッサー」

 ベオウルフは、自分より頭一つ以上小さいアグレッサーを見下ろした。


 二人の関係は分からない。ログ上では、戦場が被ったことはない。

 それも仕方ない。この二人は色々な事情から記憶凍結処理と戦歴抹消が多すぎて、過去の正確な情報がほとんど閲覧出来ないのだから。


 ――だが、どうしてだろう。

 ベオウルフが、面倒見のいいお兄さんに見えるような、そんな幻想を感じてしまい。

 アサミは、目頭を押さえた。そこから溢れ出す何かを、押し留めようとして。


「……アサミ少尉」

「な、なんですか」

 背中を擦ってくれたスクルドは、まるで何も言わなくとも考えていることが分かるかのような、聖母のような表情で語りかける。


「私たちにとって寿命――耐用年数を迎えられるというのは、名誉なんですよ」

 どうして、その言葉を吐こうとした口は、しかしきゅっと閉じられる。


「人だって、そうでしょう? 病気もなく老衰で死ねることを大往生と呼ぶように、昔から、人はそうだったはずです。私たちも、一緒なんです。それが、

「…………で、でも」

「たとえばアサミ少尉。想像してみて下さい。かつて地球には、生まれた子供のほとんどが育つことなく死ぬ時代がありました。平均寿命が、10代で終わる時代があったんです」


 それはきっと、ずっと昔の話だろう。アサミが初等部で数時間だけ勉強した、歴史の授業でさわりだけ習ったような、そんな時代の――


「そんな時代に少尉が生まれ、50歳まで生きられました。どうでしょう、そんな名誉なこと、ありますか?」

「……わ、分か、」

 分かりませんと、――そう答えようとした。


 だって、そんな時代を知らないから。話だけ聞いても、想像なんて出来ないから。

 けれど、それが彼らにとっての常識で。

 自分の知らない、自分が指揮してきた彼らの、まさに、の話で。


「分かりません。でも、あなたの気持ちは分かりました。……ほんの、少しだけ」

「えぇ、それで十分です。私たちの求めていた歩み寄りというのは、私たちを人として見ろという意味ではありません。ねぇ、アグレッサー」

「あぁ」

 冷たい声。だが、その短いやり取りにも、歴史があって、意味があって、そして、私の知らない共通認識があって。


「私たち――ファウストという存在を、」

 スクルドは、優しい表情のまま開いた口を急に止めた。


 ――パチリと、すぐ近くで火花が散る音がする。

 スクルドの瞳が、電気でも走ったかのように明滅した。


「ん……」

「え、何が起きました!? 大丈夫ですかスクルド!?」

「あぁ、ちょっとが走っちゃったみたいです。ごめんなさい、私は今、何の話をしていましたか?」

「…………」


 アサミは言葉を失った。

 ――スクルドはそう言った。それは、それはきっと――


「……これは、あなた達の口から話していけないことだったんですね」

「そういうことでしょうね。それでも、私の口から聞きたいようでしたら――」

 スクルドは銃の形にした手を、自身の側頭部に押し当てる。


 それを見ているベオウルフとアグレッサーは、何を考えていたのか。寂しさすら感じさせない、さもありなんという表情で、どんな気持ちを抱えているのだろう。


「この、左脳の左上あたり――ここを拳銃で撃ち抜いてください」

「……そうしたら、どうなるんですか?」

「ファウストとしての縛りが失われます」

「え」

「アグレッサーとベオウルフがなったように、私もなるでしょう。もっとも――、、の話ですが」

「二人はそんなことをしたんですか!?」

 思わず二人に向き直る。すると、ベオウルフは頭を掻き、アグレッサーは首を振る。


「ベオウルフに関しては、偶然です。俺は、」

 アグレッサーは、しかし言いづらそうに口を閉じた。


 まさかプロテクトが――いやないのか――ないってことは、彼は人を――、そんな思考が頭の中を回り、アグレッサーの言葉を待つ。


「分かりません」

「分からない、ですか」

「はい。俺は気付いたら、こうでした。だから、」


 壁に立てかけていたショットガン――今度こそスクルドに整備してもらった――を手にしたアグレッサーは、ポンプを引き、薬室に弾丸を装填し、その銃口を私に向けた。


「俺は、人を殺せます。それが例え、少尉であっても」


 人を守るための存在であるファウストは、自身に危害を加えない相手を殺すことは出来ない。だが、それはきっと随分と曖昧な設定で、彼らが殺意と感じたら、銃を持っているだけの相手を殺せるほど、緩いプロテクトなのかもしれない。


 それでも、それでもだ。

 常に誰かに守って貰わないと生きられないほど無防備で、生活能力はなく、同年代と比べても非力なアサミに銃口を向けることは、――ふつうのファウストには決して出来ない。


「そうですか」


 しかし、それを知っても、驚きはしなかった。

 だって――


「驚きませんよ、別に。まぁ、あなたが私を殺すことはないでしょうけど」

「どうしてそう言えるんですか」

「出来たら、とっくにしてるでしょう」

 そう言って、笑いかけた。

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