第20話
「あー、そろそろ終わるな」
リュースーがそう呟いた時には、戦闘開始から30分程度が経過していた。
「そうか」
「どうする? 一応後詰送らせる? ちなみにベオウルフは
「いや、必要ないだろう。どうせここでの役割は終わるからな」
「それもそうか。あー、追っかけて倒せって命令来ないと良いけどなー」
あっけからんとした表情のリュースーは、目を押さえるのをやめて背伸びをした。
そういえば、しばらく前から岸壁が振ってくることはなくなった。
いつの間にかアサミも地に下ろされていたし――もっとも足の踏み場はないのでスクルドの傍を離れないが――、アグレッサーは刀を握ったままだが、先程まで感じていた、針を向けられているかのような緊張感は感じない。
「少尉、どうしますか」
「……えっと、ごめんなさいこの場合はどうするのが正解でしょうか」
アグレッサーが、ほんの僅かだけ表情を歪めたのを、アサミは見た。
――あぁ、この人は無表情なんじゃなくて、感情が表情に出づらいだけなんだなと気付いたが、今のは明らかに嫌悪の表情だ。
質問がよほどまずかったのか、それとも気付かなかっただけでこれまでも表情に出ていたのか、それは分からないけれど。
「アサミ少尉。アグレッサーは、避難民の状況確認を目視でするか、それとも衛星写真や『目』を使って間接的にするか、それを質問していたのかと思われます」
「あ、あぁ、そういうことですか。ごめんなさい。……では、」
『目』で、とアサミは答えようと言おうとした。
遠くから車を走らせ、こちらに向かってくる集団を見つけなければ、だが。
――計4名分の溜息が、揃って港に流れた。
「アサミ殿!」
車から降りてきたのは、毎度おなじみ副代表と、秘書らしき女性の姿。
ようやく安全を確認して近づいて来たのか、それとも大急ぎで来て30分かかったのかは分からないが、戦闘終了の報を受けて落ち着いたアサミらとは無縁の慌てぶりである。
「どうされましたか?」
「こ、こ、この、状況は――」
「地上でフィフスの
「……撃退、ということは、倒したわけではないのですね?」
アサミは頷き返す。それを見た副代表は、大きな舌打ちをした。
「どうして倒さなかったのか、伺っても?」
「戦力不足です」
「精強なファウストが居ながら、ですかな? まさか我が身可愛さに――」
「優秀な者が数名居ようと倒せる相手ではありません。ご存知ではありませんか?」
「…………」
副代表は、
いいや、言い換えると、現人類に
それらは皆、その場で命を落としているからだ。
「フィフスの
「い、一万!?」
「それに対し、我が分隊は僅か10名。それに、避難民の誘導に当たっていた大隊も――」
アサミはアグレッサーに視線を向けると、アグレッサーは黙って頷いた。
「こちらに辿り着くことなく、壊滅しています。当該戦力で撃退出来たのだから、むしろ最良の結果といっても過言ではないかと、私は考えますが」
「…………」
副代表は黙り込む。
だが、現場を見たわけでもない彼は、アサミの言葉を半分も信じていなかった。――当然である。
アサミも今回は『目』を使っていない。リュースーが代わりに観測してくれていたというのもあるし、一番使いたかったタイミングで使えなかったため、意識の外に置いてしまっていたというのもある。
それでも、こうも自信満々に返せるものなのかと、リュースーとスクルドは驚いていた。もっとも、表情は変わらないが。
アグレッサーはというと、何を考えているかも分からない無表情で、副代表を見ていた。
「本国からの通達はまだありませんが、避難民の一時受け入れ、それに伴う諸経費のお支払いは、既にお支払いされてる前金だけで終わらせて頂くことになるかと思います」
「なっ――!?」
「辿り着けた者が居ないのですから、当然でしょう。それとも、そのために準備していたから人数分払えと? あなた方は
「…………」
言いたいことを先に言われると、怒りを発散させることすら困難だ。アサミはどんな状況でも、自身の味方でない相手には容赦しない。
そう、それは、まるで――
アグレッサーのようだな――、と。スクルドは感じていた。
二人は、明らかに対極に位置する。けれどその実、身内と認めた者には甘く、敵と認めた者への対応は加虐的となる。
きっと、アサミがこうなった理由が存在するのだろう。
喋るファウストに助けられたとかだろうか。それで、ファウストにも人の心があるなんて、
アグレッサーが歪んでしまったのと、きっと同じように。
アサミが歪んだ理由も、他人にとってはどうでもいい、しかし本人にとっては自身の根幹に繋がるほど重要な、そんな
「とはいえ、」
口調だけでアサミが譲歩の姿勢を見せたのが伝わったか、副代表は明らかにほっとした様子になる。再び喧嘩腰の交渉になるのは避けたかったのだろう。
「避難民誘導のため、地上に向かってくれた自治区の住人が居ましたね。彼らには、軍規定の遺族年金をお支払いしたいと思います。後程遺族の情報を送ってください」
「……はい?」
「それ以外に、何か?」
「い、いえ、それだけですか?」
「私から言えるのは、それだけですが」
「…………」
副代表は、髭を撫でて考え込む。
以前の交渉で、怒りに任せて出て行ってしまったことを後悔していたのだろう。今回は怒って交渉を打ち切ることがないよう、お付きの秘書らしき女性が耳打ちする。
しばらく話し込んでいたが副代表は頷くと、方針を決めたようで口を開いた。
「あなた方の任務は、防衛指揮と――おっしゃいましたよね?」
「えぇ。避難民に関わる、と注釈が必要ですが」
「では、防衛の結果、港に出た被害に関しては、あなた方の責任でしょう」
それはひどく理知的な、副代表自身からは決して出て来ないような言葉で。
――アサミは、落胆していた。
「はぁ……」
溜息を吐き、秘書らしき女――といっても40代は過ぎているだろうが――を睨む。
「あの、良いですか?」
「どうされましたか? 聞かれて都合が悪いことでもありましたかな?」
「いえ、あの、あなた方――というか、あなたです秘書さん。私はあなたを知りませんけど、あなた、ひょっとして――」
アサミにしては珍しく、言い淀んだ。
交渉に横やりを入れられた苛立ちを、覆い隠そうとしているかのような、そんな表情で。
「フラウが現れたのは私たち――
秘書は、え、と声を漏らす。彼女はきっと、
「なっ――!?」
驚愕に顔を歪めたのは、秘書――
旧ポルスカ自治区副代表――名前はたしかクレイグといったか――髭面で初老の、きっと優秀な政治家である彼が。
アサミとのディスカッションでボロ負けした時とは比べ物にならないほど、狼狽し、驚愕し、怒りを露わにした。――自身の、秘書に対して。
「そ、そのような意図はありません!!!!」
突如叫んだ副代表は、アサミに向かって深く頭を下げる。
あぁ、彼は頭の回転が遅いわけではない、馬鹿ではないのだと、アサミは理解した。
「はぁ……オバサン、共和国憲章はご存知?」
交渉相手などではない、ただの見知らぬ、無知な人間に向けて話す口調になったアサミは、溜息を吐きながら問うた。が、秘書は首を傾げる。
「――『フラウは、地球人類
副代表は、怒りと焦りと嘆きと、それらが混在した表情で、ひたすら頭を下げ続ける。
それを無視するアサミは、ただ冷たく、言葉を続けた。
「――『フラウの意志に、人類の意志は関与しない』」
まだ分からないか、とアサミは溜息を吐く。
「――『フラウの行動に、人類の行動は関与しない』」
アグレッサーがぴくりと反応し、アサミに視線をやった。
「――『フラウの行動と人類の行動を結びつける行為は、フラウの襲来における因果関係を無視した暴論であり、国家反逆罪として扱われるものとする』――あぁ、まだ分かんない? これさ、
秘書はようやく、自分が何を言わせたか
「自治区はただ、フラウに襲われて逃げてきた無辜の民を受け入れようとしただけなのに、人の行動によってフラウが来たんだって、
「ち、違います! アサミ殿、そういう意図は――」
「黙れ」
決死の弁解をしようと一歩近づいてきた副代表は、アグレッサーに止められる。
膝に垂直蹴りを入れ、よろめいたところに背広を掴み押し倒す――、すると、あっという間に『人間の跪き』の出来上がり。
刀身が副代表の首筋にぴったり沿い、ほんの僅かでもアグレッサーが手を動かせば、脆い肉の身体など、一瞬にして裂けるであろう。
「今なら、私しか聞いてない。分かるな?」
「……はい」
アサミは動けない副代表に向き直り、代わりに一歩前に出、頭を押さえつける。
――このまま押し付ければ首が切れる。アグレッサーは察して刀身を下げてくれたが、まだ首筋に刃は触れたままだ。
「こっちは正確に、旧ポルスカ自治区副代表の発言として記録してやっても良い。だが、誤解を招く発言を秘書に強要されたということにするのなら――」
「す、するのなら……?」
「まぁ、首は一つで済むだろうな」
齢12の子供とは思えない、それは、まさに軍人としての――、軍人として育てられた、
副代表は、これまで御してきた、自治区に派遣されてきたヒラの軍人とアサミが全く違う性質を持つのだと、今の今まで気付いていなかった。
――あぁ、なるほど。つまりそういうことかと、ようやっと副代表は理解した。
この娘は、――女は、本当にここに送られるべくして送られてきたのだ、と。
地球上に存在するすべてのエデンは、たった3国によって運営されている。
エデン外での資源回収を主とし、最も多くの人口を抱えるルストリア公国。
人類の繁栄と存続のため、総人口以上の食料を生み出し続けるトウハ王国。
唯一大陸に派遣出来る軍隊を持ち、ファウストを管理運用する防衛の要、エア共和国。
そのエア共和国内で、もっとも精強とされる欧州方面軍において。
――この場に居る誰もが、分かっていなかった。
「……受け入れます。どうぞ、首一つで、お許し頂ければ」
アサミに押さえつけられ、頭を下げたまま覚悟を決めた副代表は告げる。
「アグレッサー」
アサミは、アグレッサーの名を呼んだ。
未だ、状況が分からないまま首を横に振り続ける秘書を顎で指し、
――やれ、と。声に出さずに口を動かした。
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