第19話
後方に目をやると、自治区の住人達が驚天動地の大慌てをしているのが分かった。
それもそうだ、自分たちの住んでいる家が、都市が、天から崩されようとしているのだから、慌てない者など居ない。――部外者であるアサミ達を除いて。
アグレッサーは刀を鞘から抜いたまま、スクルドはアサミをお姫様抱っこしたまま、おしゃべりなリュースーすら、誰も彼も声を上げない。
――まるで、
彼らにとってそれは日常で、仲間が死ぬこと、自分が死ぬことだって、現実からかけ離れた空想などではないし、まさかと感じるほど遠くもない。
毎日、死神があと一歩のところまで迫っている。そんな世界で生きている彼らにとって、死とはもっとも近くにある、ありふれた未来である。
想定外の
「あ、あの」
「どうしましたか、少尉」
「……待ってるしか、ないんですか」
「ありません。上の奴らで追い返せないのであれば――」
「あれば?」
「我々の、負けです」
「えっ」
アグレッサーが早々に告げた敗北宣言に、アサミは思わず素の声を漏らしてしまった。
「アサミ少尉。ここのような閉鎖空間でフィフスの
「むしろ広ければ勝てるんですか!? たった一人で!?」
スクルドの説明を途中で止めたアサミは、よほど混乱していたのだろう、ログを読んで知っているはずの情報を、口頭で聞いてしまった。
アグレッサーは即答せず、チラリと刀に視線をやり、重い口を開いた。
「――3体、殺しました」
「…………そうでした、そうでしたね、アグレッサー」
「もっとも、1万体を超える私たちを囮にして、ですが」
「あぁ」
アグレッサーが即答しなかった理由を、アサミはスクルドの説明で察した。
――そう、たとえ討伐したのがアグレッサーであったとしても、
犠牲者を知っているのは、指揮していた指揮者、ただ一人だけ。
「……では、アグレッサー、勝率はどのくらいあるのでしょう」
地上で戦っているのは、たった7体のファウスト。
うち一人はエースナンバー持ち、ベオウルフという歴戦個体であるが、それ以外は無名の、特殊モデルでもない通常のファウストだ。
どう考えても戦力が足らない。1万とアグレッサーでようやっと倒せる相手にたった7人の寡兵で挑むというのは、どう考えても無謀だ。
ここは命令してでもアグレッサーを上に向かわせるべきなのでは――、そう考えたアサミは、しかし自身を否定するため首を横に振った。
ここでアグレッサーを向かわせて、どうなるのか。それが分からないアサミではない。
「
「……高いですね」
「えぇ、倒す必要がありませんから。フィフスの
――ならそれを倒したお前はなんなんだよ、と言いたげなアサミの顔を見たアグレッサーは、黙ってスクルドに顎で合図する。
「フィフスの
「……途方もない数字に思えますが」
「ベオウルフであれば、可能です。もっとも――」
「もっとも?」
「
「…………」
そう、避難民とファウスト含めて217名居た集団は、たった一発の攻撃で210名が命を落とした。
アグレッサー特有の感覚によって見えないところに居る集団の正確な数が分かれど、命を落とした中にベオウルフが居なかったかまでは分からないのだ。
「ん、いや、大丈夫そうだよアグレッサー」
「そうか」
リュースーが左手で両目を押さえてそう告げる。
アグレッサーが安心したかのように小さく嘆息したが、アサミはその些細な変化には気付かなかった。
「んー、7人の構成は、ベオウルフ、分隊のサードが5。……あと一人、誰だあいつ?」
「あれ、私たちの誰か、死んでる?」
「うん、イーリャンが死んだ」
「……そう。で、その一人ってのは?」
スクルドが残念そうな顔で問うが、リュースーは「うーん」と首を傾げた。
「見たことない個体だな。量産型っぽいけど……結構いい動きしてる。ベオウルフのサポートに専念してるっぽいな。たぶんファースト」
「……アサミ少尉。避難民を誘導している中に、ファーストは何人居ましたか?」
「7です。もっとも、2か月前の、避難を始めた時の記録ですが」
「ならその中の誰かかしら。……エースナンバーは、居ませんよね?」
「少なくともファーストには居ません。サードに『アウローラ』、『コルヌ』の2名です」
「……コルヌか」
端末すら見ずに即答したアサミに僅かだけ驚いた様子のスクルドに対し、アグレッサーは小さな声で呟いた。――大方、過去に見知った個体だったのであろう。
そして、ここに辿り着いていないということは、つまり、
「んー、なんか呼ばれてる。えっと、……『エイス』、かな」
「だ、そうよ。アグレッサー。英数字ならご同胞じゃない?」
「せめて他の情報を教えろ……」
アグレッサーは大きな溜息を吐いて返した。
――と同時に、数分ぶりに振ってきた岩盤を、アグレッサーは
代わりにアサミは見ていた。落下する岩石のようなサイズの岩盤を、アグレッサーが二度切って、小さくしてから蹴飛ばしたのを。
目にも止まらぬ早業――とは、まさにこのことであろう。
刀身は短い。刃が届く範囲は、確かに足より少しだけ長いかもしれないが、落下するものを切ってから蹴るなんて、物理的に可能なのだろうか。
――が、実際に成したところを、それも、さも当然のように対処したところを見るに、アグレッサーにとっては特に意識するほどのない技であったろうが。
「金髪」
「腐るほどいる」
「結構イケメン」
「……それは基準にならない」
「身長はベオウルフより小さい」
「大体そうだろう」
「頑張って見てんだからちょっとは推理してくれ」
「無茶言うな……」
こんな状況というのに、リュースーとアグレッサーの漫才のようなやり取りに気が抜けたアサミは、思わず頬が緩んだ。
戦場で死ぬだけの彼らにも、こんな関係があるのだと、驚きと、感動と、嬉しさと――それらをひっくるめた感情を抱えたアサミは、小さく、小さくだが、頷き呟いた。
――「うん」、と。
それが何を意味しているか分からなかったスクルドだが、本人が納得しているようなので、追及はやめておいた。
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