第10話

「アグレッサーについて? ってそれ、あたしに聞くこと?」


 コーヒーを片手に新聞を読んでいた、深い隈の残る友人に話しかけると面倒臭そうな顔で返されるが、アサミは食らいつく。


「フェリなら、知ってるんじゃないかと思って」

「そう言われてもねぇ、あんたのが詳しいくらいじゃない? 知ってても噂くらいよ」

「噂でも、良いから」


 遅めの昼休憩――もしかしたら昼という認識すらないかもしれない――を取っていた友人、フェリは、第19エデンで通っていた士官学校からの同期だ。

 歳はアサミの3つ上だが、彼女は卒業と同時に情報科のある第2エデンに移住していたため、エデンの崩壊には巻き込まれなかったのだ。

 情報科は指揮科とは比べ物にならないほどハードワークのようで、こちらに来てからも軍のカフェでフェリを見る機会はほとんどなかった。1日のほとんどを軍の情報処理室で生活しているようだ。


 アサミは、トレイに載せたチーズケーキ――給料日前に残っていた配給券で交換出来る一番高いもの――と友人の顔を見比べると、名残惜しそうにチーズケーキの皿を渡す。


「給料日前は甘いもの控えてる、でしょ?」

「……こんなので買収する気?」

「要らないなら自分で食べるし、話も聞かせて貰うわよ」

「貰う! 貰うから!」


 してやったりといった顔のアサミはフェリの隣に座り、広げられた新聞を横目で見る。


 『899資源回収拠点にてレアメタルの採取の成功』

 『新型アンドロイドS677型の実力とは?』

 『17年ぶりの一般向けアンドロイド設計コンペ、無事開催決定』

 そんなおめでたいニュースの脇、ほんの小さな枠に、『軍は798拠点の放棄を発表』と書かれていた。


 アサミは胸をぎゅっと抑え、息を整える。

 フェリはそれに気付いた様子もなく、新聞を脇に置くとチーズケーキをあっという間に平らげ、首から下げていた小型通信端末『ノイド』をパカリと開く。


「エースナンバー『アグレッサー』――今から21年前に作られたエリュシオン製30サーティモデルのね」

「……それは、私から読めるところにも書いてあったわ」

「当時主流だったのはもう20トゥエンティ―モデルだったのに、エリュシオンが突然作った30サーティモデル。結局エリュシオンは第3エデンの崩壊と共に研究施設を失って、以後は下請けでナインモデルを作ってる程度――このへんは知ってるでしょ?」


 アサミは黙って頷いた。

 総合軍事企業『エリュシオン』――フラウの侵略から100年以上も人類を支えてきた企業だが、主要な研究設備を置いていたエデンを10年ほど前にフラウの侵略で失った。

 技術者のほとんどがエデンと共に死に、他のエデンに残されたのは工場で下働きをしていた下層民だけ。彼らに会社を立て直す能力はなく、世界一の軍事企業は事実上消滅した。


「そこまでが公式発表されてる情報。で、こっからは噂レベルね」

 アサミが身を乗り出すので、フェリは少しだけ身を引いて話し出す。


「アグレッサーは、これまで3回の記憶凍結処理を受けてるみたいなの」

「……3回?」

「そう、はじめは17年前の77資源回収拠点放棄時、次は12年前の第11エデンの崩壊時、最後が10年前の第3エデンの崩壊時。全部記録上はその場には居ないことになってるんだけどね。情報科ウチにアグレッサーの記憶凍結を担当した補佐官が居たの」

「……初耳よ」

「でしょうね」


 記憶凍結処理は一般的ではない。基本的にはファウストそのものを処分すれば済むからだ。――と、士官学校で聞かされていた。そんな処理を、3回も。


「エリュシオンが無くなっちゃったから、アグレッサーの個体情報はほとんど残ってないのよね。製造ナンバーから逆算すると、アグレッサーはの可能性が高いわ」

「……生存特化?」

「そ。おかしいでしょ? 

「…………」


 先日、色々あってまだちょっと精神が安定していなかった頃に「死なないで」なんて口走ってしまったことを思い出し、アサミは黙って俯いた。

 その様子を見たフェリは、アサミの感情を知ってか知らずか、溜息を吐くと続ける。


「エリュシオンは、死を恐れないというプロテクトをどうやって回避するか――それを研究してたって噂があるの」

「……どうして?」

「さぁ? 自分の意思をファウストに移そうとしたお偉いさんでも居たんじゃない?」

「意志を……?」

「自由な時代を知ってて、でも世界が、老衰した身体がそれを許してくれない金持ちなんて、昔は腐るほど居たってことでしょ。ま、もう皆死んでるだろうけどね」

「……あぁ、そういうこと」


 納得し、頷いた。

 20年前なら、確かにフラウの侵略前を知っている世代が生きていたかもしれない。

 だが現在、民間人の平均寿命は80歳前後。なお、死傷者を計算に入れればもっと短い。


 まだ物心ついたばかりだった頃――父方の祖父が死ぬ間際、それまでずっと寝たきりで動けなかったというのに、看護師が生命維持装置を止めようとした瞬間にガバリと起き上がって、看護師の腕を捩じり上げた姿を、はっきりと覚えている。

 意識すらなく、チューブに繋がれて無理矢理延命させられているとしても、死にたくない、と――そう考えてしまったのだろう。その気持ちは、私には分からない。


「だからアグレッサーは、戦闘特化の高性能モデルじゃないはずよ。コンセプトモデルはたいてい一芸に特化してて、戦闘力は高くないものなの」

「……それなのに、20年以上生きてるの?」

「理由は分からなくても、それが事実ね。前回の拠点放棄でも生き残ったんでしょ?」


 空いた皿に残ったカスまで綺麗に食べたフェリは、「ん」と皿を手渡してきた。持ってきたなら片付けてと目だけで語ってきたので、溜息交じりに受け取った。


 記録によると、アグレッサーは過去10度以上の拠点崩壊を経験している。そんな個体は、エースナンバーであっても他に存在しないであろう。

 死を恐れぬファウストは、玉砕こそ華と死んでいく。仲間が全員死のうと、生き残るではなく仲間と共に死を選ぶ存在なのだ。

 それなのに、アグレッサーは生き残る。仲間が一人残らず死んでも、たった一人で生き残り、黙って次の任地に向かっていく。


 そんなアグレッサーを、と揶揄する指揮者コンダクターも居る。

 仲間を殺してでも生き残っているんじゃないかと、暗にそう言われているのだ。


 ――彼はただ、生き残った、だけなのに。


「知りたいことは知れた? もう話せることは特にないわよ?」

「……うん」

「どうせ、もう二度と指揮することはないんだから、気にしなければ良いのに」

 フェリが呟くと、アサミは再び俯いた。


 欧州方面軍はエア共和国に所属する中で、もっとも戦地の広い軍隊だ。

 戦地が広いということは、拠点も多いということ。そうなるとファウストの配備数も当然多く、それを指揮する指揮者コンダクターの数も、他の方面軍と比べれば比較的多い。

 そうなると、直属でもない限り、同じファウストを二度指揮することはまずない。単純な話、ほとんどのファウストは最初の任地で命を落とすからだが。


 複数の指揮者コンダクターを経験しているファウストなど、実はほとんど居ないのだ。任務が終わるまで指揮者コンダクターは交代することなく、複数の戦地を兼任するものである。

 戦闘能力の高い特殊モデルはエースナンバーを与えられ既に先輩指揮者コンダクターの直属になっていることが多いから、通常はアサミのような新人にそれがあてがわれることはない。

 前回アサミにアグレッサーの指揮が回ってきたのは、負けが確定した敗戦処理で、誰が指揮をしても変わらないと考えた先輩方が、誰も挙手をしなかったからだ。


 現役ファウストの中では最高齢に近いほど長く生きているアグレッサーに、アサミは聞きたいことがあったのだ。


 ファウストは、心を持っているんですか――と。

 結局、そんなことを聞いてる暇もなく、部隊は壊滅したのだが。


「まだ、諦めてないのね」


 フェリは端末を閉じると、溜息交じりに立ち上がった。

 新聞を共有スペースに放り投げ、背を向けて歩き出す。


「一度会っただけの男のこと、そんな気にしない方が良いと思うわよ。ま、私が言っても無駄なんだろうけど」

「…………」


 フェリには話していた。エデンから避難する時に出会った、男性型ファウストのことを。

 彼女は最後まで否定せずに聞いた上で、諭すように言った。


 ファウストのことなんて、気にするだけ無駄よ。――と。


「そもそもあんた、1年以上前に一回会っただけ、顔が分かるだけで、個体識別番号も所属も何も分かんないファウストを探すなんて不可能なの」

「それは、分かってるけど……」

「そ、れ、に。1年も経てばもう死んでる。エースナンバーでもない限りはね。エースナンバー全員の顔と名前はチェックして、そこにいなかったんでしょ? じゃあ死んでるわ」

「分かってる。分かってるの。でも、……諦められなくて」

「…………そう」


 どこか諦めたかのような表情をこちらに向けたフェリの目を、直視できなかった。


 この世界では、

 戦闘用アンドロイドに心があるなんて考える、無知蒙昧な愚か者だ。


 そのくらい、分かっている。

 分かっていても、諦められない。

 だから、私はその疑問をいつか解消したいと、船の中で、ずっと考えていた。


 彼らとの間には、埋められない溝がある。

 ――人であるか、そうでないかという、深い、深い溝が。

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