第3話
「では、私からは『フラウ』のお話をしようと思います。授業とは少しだけ違うことを言うかもしれませんので、もし信じられなかったら、どうぞ先生の方を信じてください」
そう前置きして話し出したのは、今年70を迎えた老婆だ。
10歳前後の少年少女が40人ほど集まったそのクラスは、それまで各々雑談に励んでいたが、老婆の落ち着いた口調に、思わずそちらに意識を向けた。
「我々が『フラウ』――地球外知的生命体と初めて接触したのは、今から150年ほど前、火星に建設中のコロニーでの出来事と言われています」
え、と疑問の声を上げた10歳前後の男子生徒が手を挙げる。
「そんな昔に本当に地球の外に人が出れたんですか?」
「はい、良い質問ですね。アポロ計画というものがありまして、今から300年ほど前には地球の惑星――、月に人が降り立ったと言われているんですよ」
「月?」
「えぇ、もう見えなくなりましたが、以前はそのような星が地球のすぐ傍を浮かんでいたんです。私も、子供の頃に見た記憶がうっすらとあります」
「「「へぇー」」」
教科書など必要としない老婆の語り口調は、生徒達にはいつもとは違って新鮮に感じたか――といっても彼女はクラス担任が妊娠したため代理で教壇に立っているだけの事務員だが――真面目に聞く生徒達の中で、明らかに話を聞いていない女子生徒が一人。
「……アサミさん」
「なんですかー」
「…………」
「…………」
ノートパソコンを開き、頬杖をついたまま小さく唸っていたその女子生徒は、老婆に話しかけられてもそちらを見向きもしなかった。
だが、そもそも正式な教師でもない老婆にとって、授業を聞かない生徒を叱る権利はない。しばらく見つめていたが、反応が薄いこともあり諦め、話を続ける。
「話を戻しますね。『フラウ』が私達地球人類の敵となった経緯に関しては、もう分かっていません。文献上は、初めて地球の外で出会った知的生命体として、有効な関係を築けた――とありますが、今の状況からは想像も出来ませんね」
「え? フラウってその頃から喋れたんですか?」
「はい、そのような個体も居たようです。といっても、当時から自らの肉体で声を発することは苦手なようでしたが……」
「へぇー」と生徒の声が揃う。それは当然生徒達にとっても、老婆にとっても生まれるより前の話だ。
――今から130年ほど前。まだ西暦という紀年法が使われていた時代。
地球は、地球外知的生命体の侵略を受けた。
アメリカ合衆国カリフォルニア州が、一夜にして姿を消したあの日。
突然連絡の途絶したカリフォルニア州を確認したアメリカ軍は、街が、都市が粘菌に覆われているところを目撃する。
ドローンによる空撮、軍用犬や戦闘機――様々な手段で粘菌内部を確認したが、内部に生存者はおらず、未知の病気や自然現象ではなく、地球外知的生命体による侵略と断定。後に軍隊による包囲殲滅作戦が開始されたが、いくら焼き払っても即座に復活する粘菌により、一進一退の攻防となる。
それから半年ほど経つと、中心部に熱源が発生した。それは全ての粘菌を吸収すると巨大な、雲に届くほどの大きさの繭を作り出す。その繭は近づく戦闘機や爆撃機、人間や動物など、自らに近づくありとあらゆる存在を攻撃・吸収し、肥大化し続けた。
アメリカ軍は、苦渋の決断として、繭に核兵器による攻撃を仕掛けた。
無事――といっても良いか分からないが――繭は消滅したが、当然、その地に粘菌が発生する前までそこに住んでいた住人達の姿はなく、アメリカ合衆国は自国に向けて核兵器を放った野蛮な国と国際社会で非難されることとなる。
――だが、状況が変わったのはそれから3年後。
今度は同じ繭が、中国内部で発生したのだ。
カリフォルニア州と違い、人が多く住んでいない地域だったこと、山間部で確認が遅れたことに加え、中国国内の情報統制によって、その繭が一体いつ生まれ、どれだけの人間を犠牲に育ったかを他国が知ることは出来なかった。
積乱雲を避けるため、予定外の地を飛行していた旅客機のパイロットが偶然目撃したことから繭の存在が明らかとなり、今度は中国が国際社会の的に――とは、ならなかった。
すぐさま三つ目、四つ目の繭が世界中で生まれたからだ。
一つは日本、もう一つは再びアメリカ合衆国で発見された繭に対し、国連軍は核による焼却を提案。カリフォルニア州という前例があったためすぐに承認されたアメリカとは違い、中国と日本の繭はそうとはいかなかった。
かたや世界で最も情報統制に優れた国、かたや核兵器の非保有国だ。この二国が足を引っ張り対処に遅れたことが裏目に出たのか、それともその時にはとっくに遅かったのか――今となっては誰にも分からない。
「アメリカ合衆国に生まれた二つ目のフラウは、核兵器を知っていました。フラウは、仲間に意志を伝える能力を持っていたんです。そして、サウスカロライナ州に存在した繭は、核兵器を乗せた爆撃機が迫る中、自らを分解し、世界中に飛び散ったのです」
生徒達が「うわぁ」と声を漏らす。その当時を生きていなくとも、最悪の状況になったということを、当時の人間よりは分かっているからだ。
「目に見えないほど小さな菌となり、人々に寄生を始めたフラウは、人の意志を少しずつ歪めていきました。それとは分からぬうちに、隣人がフラウに変化してていくんです。――さぞ、恐ろしかったでしょうね」
当時から残されている文献は、支離滅裂で要領を得ないものが多い。それほどまでに世界が混乱し、静かな侵略は着実に進んでいった。もっとも、寄生を受けた当人が記していた可能性もあるが。
「ですが、彼らの元となったのは粘菌であり、個を持ったことがなかったので、人に寄生しても人のように振舞うことは出来ませんでした。寄生が進むごとに人としての意識が薄れ、次第に肉体も変性し、フラウそのものへと変化していきます。その当時に使われるようになった有名な言葉を、皆さんはご存知ですよね?」
「「「フー・アー・ユー!」」」
「はい、正解です。
ようやく自分たちが初等部で習った話になったからか、質問に答えられたからか――少しだけ上機嫌になった生徒達に、老婆は嬉しそうな顔で頷く。
彼らに、固有の名はなかった。各国が自国の言語で好きなように呼び、国連軍が
それでも、彼らは『フラウ』という固有名を得た。
元となったのは、当時のアメリカ合衆国――それも大統領に寄生し、ホワイトハウス全てを自らの領域とした彼らが、世界各国に向けて行った演説だ。
人の身を得、人の扱う言語をようやく理解した彼らは、3歳児ほどの拙い英語を駆使し、大統領の姿を使って演説をする――
――「君たちが『
だが、あまりに舌足らずだった彼らは英語の発音が上手く出来ず、
彼らは、頻繁に自分たちに呼びかけられるその言葉を、固有名と認識していたのだ。
「フラウと人間の戦争が始まりました。ですが、当時世界で最も精強とされていたアメリカ軍が真っ先にフラウの侵略を受けたことで、事はそう簡単には運びません。サウスカロライナ州から飛び立ったフラウは、その時には世界中の人々を寄生し始めていました」
「そう聞くと、もう地球終わりっぽいんですけど……」
申し訳なさそうに手を挙げた真面目な男子生徒がそう言うと、皆同じ気持ちだったのか、うんうんと皆が頷く。
「えぇ、私も同じ意見です。では、今の暮らしは、どうして安定していると思いますか?」
「……エデン、ですか?」
真面目な男子生徒が首を傾げながら答えると、老婆は「はい」と頷いた。
「世界中――何百万、何千万人に寄生していた彼らを隔離することは、当時の人間には不可能でした。ですが、彼らから逃げることは出来たのです。なにせ、問い掛けるだけで、人とフラウを見分けることが出来たのですから。そうして、寄生されていないと判断された人だけでグループを、集落を、街を、都市を作ることで、敵と味方を分けたんですね。それが私達の暮らしている、エデンの元となったと言われています」
これは理解していた生徒と初めて知った生徒に分かれたか、頷く者と「へー」と声を漏らす者に分かれた。
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