第31話

「あれが、特科か……」


 それを初めて見たアグレッサーは、感嘆の声を漏らした。

 子体ベビーを、孫体ネプテムを刻んで進んだ先――母体マザーの邪魔にならないよう距離を置いて進軍していた子供たちの波を抜けた先に、山ほど、いいや、山と比喩するのも烏滸がましいほどの巨体が進んでいた。


 だが、それと戦うが居る。

 欧州方面軍特科――。それは戦場で唯一生身の身体を持って戦うことを許された、欧州方面軍最強の部隊。


「……それを、捨て石にするか」


 そんなの、普通の指揮者コンダクターなら絶対出来ない。

 人の命とファウストの命は、天秤に掛けられるものではない。作られた命しか持たないファウストは、いくらいても人の側にある天秤を動かすことは出来ないから。


 ――だが、


 アサミ少尉は、それを成した。

 彼らにも帰る家があるだろう。待つ家族が居るだろう。戦場で命を落としたくはないだろう。だが、特科以上に火力を持つ部隊は、欧州方面軍には存在しない。

 母体マザーを食い止めることが出来る存在が居るとしたら、それはファウストのような歩兵などではない。大量の最新鋭兵器――戦車や装甲車を持つ、特科に他ならないだろう。


 命を持つ彼らを、どうやって説得したのか。

 どうして彼らは逃げずに戦うのか。

 アグレッサーには、分からなかった。


 ――だから、切る。切ることだけなら、俺にも出来るから。


「ははっ」

 乾いた笑いが漏れた。


 戦場で、絶望的な状況で、最後に残った自分一人で戦う時の高ぶりとは違う感情が、アグレッサーを支配していた。

 それは、なんだろう。

 分からない。――だが、構わない。


「おれは、ただの――」


 なんだったか。

 きっと、かつての仲間が言った言葉だ。

 顔も名前も、何一つとしてもう思い出せないけれど。

 いつもやかましい、声だけ聞こえるあの女は、戦場に出ると一言も喋らなくなる。

 それは、アグレッサーを気遣ってか。


 ――だから、

 切って、切って、切って、切って切って切って切って切って切って切って切って――


 自分が敵を一体殺せば、仲間の弾が節約出来る。

 自分が敵を一体殺せば、仲間の命が1秒繋げる。


 ――そう、きっと自分は、指揮官なんてガラじゃない。みんなに置いて行かれただけの、ただ長生きしてしまっただけのファウストだ。


 だから、ただのひとりのファウストとして。

 仲間を守る。そのために、敵を殺す。ただ、それだけ続ければ良い。そうすれば、仲間が笑って明日を迎えられるのだから。


『特科、残存兵力32%。……撤退を開始します』

 スクルドの澄み渡る声が、通信に流れる。


 ――終わりだと、絶望する声が聞こえた。

 だが、終わりじゃない。少尉が、まだ諦めていないのだから。


『了解! 10から16大隊、特科の帰る道を作って! ちょっと孫体ネプテム残ってても轢き殺せるから大丈夫! とにかく進行方向の邪魔になる集団だけを蹴散らばらせれば充分だから、無理しないように引き付けて!』


 少尉が諦めていないのなら。

 少尉が、まだ指揮を続けるというのなら。

 おれは、最前線で刀を振るう、ただのひとりのファウストでいられるから。


 ――だから指揮を続けてくれ、頼む。


 その願いは、きっと届く。

 アグレッサーは、そう確信していた。


『アサミ大佐、――頃合いかと』

『はいっ! 砲兵各員、マザー頭部に向け――』

『カウントするわ。……7、6、5――――』

てーっ!!』

 

 ――幾条もの光の帯が、母体マザーに向けて殺到する。


 アグレッサーは、フラウを刻みながらそれを見ていた。

 近接戦闘におけるもっとも重要とされる動体視力を極限まで強化されたアグレッサーは、戦いながらも、一瞬だけそちらに意識を向けた。


 ――迫撃砲によって放たれた榴弾が直撃。ほんの少しだけ、母体マザーの動きが変わった。

 が、それだけだ。

 殺到する無数の榴弾は、全長10kmを越える母体マザーの体表面を削るだけの威力しかない。

 自身が攻撃されていることに気付き、フィフス特有の変性能力で頭部を硬化させた母体マザーは、最初だけ迫撃砲を意識したようだが、また意識を切り替えて戦場の蹂躙に移る――


 特科の撤退した、――母体マザーに、対処すべき敵だと判断させられるほどの火力を持った部隊が居なくなった戦場では、あっという間に2万のファウストは蹂躙されるだろう。

 このまま母体マザーがこちらに来てしまえば、数分と持たないかもしれない。


「少尉、」


 効きません。効いていません。無駄です――

 そう、言いたい。言いたかった。言おうとした。

 けれど、口からその言葉は出なかった。

 言っては、いけないと。心の底で、誰かが叫んでいたから。


「おれたちの――」


 ――おれたちの、


 しかし、その言葉は出ない。

 まるで、誰かが口でも塞いでいるかのように、声が出なかった。


『見せたな腹を――――ッ!』


 どこかから、楽しそうな声が聞こえた。

 それは、何度も聞いた、少尉の――


「え、」

 アグレッサーは、声を漏らした。


 顔など持たぬフィフスの母体マザーが、確かに一方向に意識を向けたのが分かったから。

 ぎゅんと肉体が急激に変形する。効率よく悪路を進むため、ナメクジのようなフォルムで地を這っていた母体マザーが、ひどく硬そうな、甲虫のような殻を持つ形態に変化し――

 空から降り注ぐ榴弾など気にも留めず、海の方向に殻を向けて、


 アグレッサーの目は、

 彼方から――迫撃砲の置かれた防衛拠点より遥か遠く、水平線より先から超高速で飛翔する、を見た。


 ――一つ一つが家ほどに巨大な、質量弾を。


 特科という欧州方面軍のエリートを相手に、追いかけはすれど防御の姿勢など一切取らなかった母体マザーが、はじめて立ち止まり、全力の防御姿勢に入るほどの飽和攻撃。


 ――直撃ヒット直撃ヒット直撃ヒット直撃ヒット直撃ヒット直撃ヒット直撃ヒット直撃ヒット直撃ヒット直撃ヒット直撃ヒット


 大地が揺れる。立っていられなくなった孫体ネプテムは、足の形状を溶かしナメクジのように床に這いつくばり耐えるほどの衝撃だった。


『アサイラム総指揮官ジェリー・エヴァンズよりアサミ総督』

『はいアサミですっ!』

。これより撤退します。――何があっても、ヤツを海には近づけさせんで下さいよ。俺ら今ぁ、弾ねェんですから』

『はい分かってます! ご協力感謝します! お達者で!!』

『へいへい、そちらも頼みますよ、総督』


 軽い口調で繋げられたその通信を聞いていたのは、きっと指揮個体だけだ。

 ふつう、指揮者コンダクターに向けた内部通信は指揮個体らには聞こえない。だが今は、指揮者コンダクター側が切り替えの手間を惜しんで全方向通信モードにしていたから、こちらにも聞こえたのだ。


「……アサイラムか」


 なるほど、奴らならあの火力も頷ける。

 共闘したことは2度しかない。だが、あの練度、あの装備であれば、確かに母体マザーにも届きうる火力を出せたのだろう。海という安全地帯には、地上には置けないし運べないほどの大口径の主砲を置くことが出来るのだ。


 ――だが、彼らは帰った。しかし、未だ母体マザーは健在である。

 ばらばらと、硬化した肉片が零れ落ちる。明らかにふらついた様子の母体マザーを見れば、ついにダメージを与えたと誰しもが確信出来るだろう。


 それでも、それでもだ。


「まだ、足りない……」


 母体マザーを殺しきるには、今の一斉射が10回分は必要だろう。

 動きが弱ったのは、回避は不可能と判断し、艦砲射撃をその身で受け止めたためだ。

 あれはすぐに回復し、再び戦場に戻ってくる。稼げる時間は、長くて数分か。


「少尉、」


 アサイラムが、切り札だったのであれば。

 もう、終わりです。――おれたちに、母体マザーと戦うことは出来ません。

 逃げてください。出来るだけ、遠くに。


「少尉!」

『大丈夫! 充分剥がれた!! スクルド、終端誘導任せるよ!!』

『はーい。みんな、対ショック姿勢』


 幸い、先の砲撃で孫体ネプテムの動きは止まっている。恐らく、ダメージを受けた母体マザーが錯乱し、周辺の孫体ネプテムにやたらめったら信号を飛ばしているためであろう。ネットワーク上の存在である彼らは、上位権限者の混乱を末端まで等しく受けてしまう。

 かつて似た光景を見たことがあるアグレッサーは、それが分かっていた。


 ――いつ?

 おれはいつ、母体マザーと戦った?


 ばっと、空を見上げた。


 何かが、空から落ちてきているように見えたからだ。


 この時代、空からの攻撃手段などほとんどない。精々が、虎の子の爆撃機か。

 しかしアサイラム船団の艦砲射撃、その一斉射を食らって無事だった母体マザーに、たかが爆撃機に載せられる程度の爆弾でダメージを与えられるはずがない。


「……は?」


 アグレッサーは、空にを見つけ、思わず声を漏らした。

 いいや、きっと、この戦場で生きる総ての者が見上げ、そして、アグレッサーと同じ反応をしたことだろう。


『……なんだよ、あれ』

 指揮個体の誰かが、声を漏らす。


 アグレッサーも知らない。空から降り注ぐ、炎上するそれは――

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