52 王家の灯火 民衆の怒り

 地方都市オーベルン。広場は、煮えたぎる怒りの坩堝と化していた。男たちは埃と油にまみれた作業着を、女たちは擦り切れた粗末な服を身につけ、老人は杖を突き、子供たちは痩せ細った体で母親にしがみついていた。彼らの手には、王室への怨嗟を綴った布や木片が握られている。「税ばかり取りやがって、俺たちはどうやって生きろと言うんだ!」「贅沢をしているのは誰だ? 王だ! 我々が汗水垂らして稼いだ金を浪費しているのは奴らだ!」怒号と泣き声が入り乱れ、ついに堪忍袋の緒を切らした人々が、市場や行政施設へと押し寄せた。税務署の前では、一人の母親が幼い息子を背に庇いながら、暴徒と化した群衆に「どうか、これ以上はやめて!」と叫んでいたが、怒りの波は彼女の声さえも飲み込んでいった。税務署の窓は叩き割られ、中から運び出された記録を焼き払う炎が広場の端に立ち上がり、怒りの叫び声が夜空に響き渡った。混乱は拡大の一途を辿り、治安維持部隊の力では最早制御不能となっていた。


 この事態を受け、フリーデリケは自ら現場へ向かうことを決意した。王室の一員として、宰相として、この混乱を収めなければならない。しかし、彼女の胸中には、深い葛藤があった。幼い頃から王室の繁栄を見て育ち、その恩恵を受けてきた。だが同時に、その裏で苦しむ民衆の姿も見てきた。その矛盾に長年苦しめられてきたのだ。今、その矛盾が噴出しようとしている。彼女の馬車が広場に到着すると、群衆の視線が一斉に注がれた。彼女は馬車から降り、群衆の前に進み出た。その時、彼女は幼い頃から肌身離さず持っていた、王室の小さな紋章のブローチをそっと外して手に握りしめた。

「皆さん、どうか聞いてください!」

 彼女の声は震えていた。長年、王室と民衆の間で板挟みになってきた彼女の苦悩が、その声に滲み出ていた。しかし、その瞳には、長年この国を支えてきた宰相としての強い光が宿っていた。


 群衆の反応は予想通り、冷ややかだった。「聞くだけならもうたくさんだ!」「王が贅沢を止めない限り、何も変わりはしない!」怒号が飛び交う。

「王室が負うべき責任を果たしていないことも、十分承知しています…」

 フリーデリケは言葉を続けた。その瞬間、彼女の脳裏に、過去の出来事が走馬灯のように蘇った。豪華な晩餐会の窓から見える外の闇の中、寒さに震える子供たちの姿を思い浮かべ、スープ一杯すら届けられない無力感に苛まれた夜。飢饉で苦しむ民衆を前に、何もできなかった無力感。王室の晩餐会で、豪華な料理が並ぶ中、飢えに苦しむ人々のことを考えて胸を痛めた日々。彼女の心は、過去の苦い記憶と、今この場で責任を果たさなければならないという使命感の間で激しく揺れ動いていた。

「それでも、どうか暴力ではなく、共に道を探していただきたいのです。」

 彼女の言葉に、一人の男が群衆の中から声を上げた。

「本気なのか?本当に俺たちのことを考えているのか?」その問いかけに、周囲の民衆もざわめき始めた。

 フリーデリケは男の目を真っ直ぐ見つめ、手に握りしめていた紋章のブローチをそっと差し出した。

「私は、この国の未来のために、全てを賭ける覚悟です。」


 ◇

 

 同じ頃、翔は別の地方都市ヴァイスブルクを訪れていた。市場を視察中、彼は容赦ない非難の嵐に晒された。「お前たちは王室の犬か!」「見てみろ、この子供たちを! 飢えているんだぞ!」翔は抗議の輪の中に立たされ、一人ひとりの顔を見渡した。土埃にまみれた服を着た子供たちが、乾いた唇を震わせながら母親にしがみついている。母親の目には、絶望の色が深く刻まれていた。翔の胸に、不安と同時に、これほどまでに人々を苦しめている王室の現状を目の当たりにし、この人たちを救わなければならないという強い使命感が湧き上がってきた。

「確かに、王室は贅沢をしている。その一方で、皆さんがどれほど苦しんでいるか、私も目の当たりにしています。」翔の静かな声が、抗議の声にかき消されずに、少しずつ人々の耳に届き始めた。

「しかし、改革を進めるには時間が必要です。」

 その言葉を聞いた民衆の間で、再び大きなざわめきが起こった。「時間だと? いつまで待てばいいんだ?」「また口先だけか?」「本当に信じられるのか?」疑念と不信の目が翔に突き刺さる。

 翔はそれらの視線を真正面から受け止め、言葉を続けた。

「皆さんの疑念はもっともです。過去の王室の行いを考えれば、当然でしょう。しかし、私は皆さんの声を無視するつもりはありません。まずは今月中に、例えば北部地方では、不要な役人の数を削減し、その分の予算を食料支援に回すといった具体的な支出削減案を提示します。その結果を来月には報告する予定です。そして、その結果を元に、具体的な改革案を提示します。それどころか、皆さんの声を力に変えたいと考えています。」

 彼の具体的な言葉に、一部の民衆は再び耳を傾け始めた。しかし、完全に納得したわけではなかった。

「力に変えるだと? それなら、まず王を正せ!」

 翔は深く息を吐き、毅然とした態度で答えた。

「その通りです。王の責任を問うことは避けられません。私は、国の未来を守るために必要な改革を進めます。そのためには、皆さんの力も必要です。」

 彼の言葉に、抗議の輪は徐々に静まっていった。しかし、その静寂は、嵐の前の静けさにも似ていた。

 

 ◇

 

 オーベルンとヴァイスブルクでの経験を経て、翔とフリーデリケは王室の問題に正面から向き合う必要性を痛感した。二人は、王室の贅沢が国をどれほど蝕んでいるかを国民に知らしめるため、信頼できる新聞社に改革の詳細を提供し、自らも演説を通じて情報を発信する計画を立てた。

「国民に真実を知ってもらう必要があります。」

 フリーデリケは静かに言った。

「そうね。それが、改革を進める唯一の道よ。」

 翔は頷いた。二人は情報公開に向けて慎重に動き出し、王に対して最後通牒を突きつける覚悟を決めた。


 さらに、改革を加速させるため、翔とフリーデリケは地方の有力者や経済界の代表者との連携も模索し始めた。地方の疲弊は単なる王室の浪費だけでなく、旧来の制度が生み出す矛盾の積み重ねでもあった。

 「地方がこのまま崩壊すれば、国家全体が危機に陥るわ。」

 フリーデリケが憂いを帯びた声で翔に語りかけた。

「その通りです。だからこそ、制度改革も避けては通れない。」

 翔は力強く答えた。二人は地方分権化を進め、各地方の自治権を拡大する案をまとめ上げた。その動きに対し、王室内部では、特に王の側近である貴族たちから強い反発が起こり始めた。

 「地方に権限を与えるなど、王権の弱体化以外の何物でもない!」

 と彼らは息巻いた。王自身も、その報告を聞き、眉をひそめた。王はかつては民を愛する賢王として知られていた。しかし、長年の権力の中で、側近たちの甘言に耳を傾けるようになり、いつしか傲慢になってしまった。民の苦しみなど、遠い昔の出来事のように感じているのだろう。

「民衆の怒りがこれ以上高まれば、国家そのものが崩壊するわ。」

 フリーデリケは王宮の執務室で、王と向き合いながら訴えた。

「崩壊だと? 私の治世がそんなことになるはずがない。」

 王は冷笑を浮かべた。しかし、その直後、ほんの一瞬、目を伏せた。そのかすかな仕草に、フリーデリケは彼の心の奥底に潜む不安を感じ取った。自分が犯してきた過ち、そしてこの国の行く末に対する微かな恐れを。

「現実を見てください。このままでは取り返しのつかない事態になります。」

 フリーデリケの言葉に王は再び顔を上げたが、何も言わなかった。それでも、彼女は諦めずに説得を試みた。


 翔とフリーデリケは、この状況を打破するため、次の一手に踏み出す準備を整え始めた。彼らの背後には、民衆の怒りと、国家の未来が重くのしかかっていた。

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