43 血染めのバラ
国は戦争の中盤に差し掛かり、前線の兵士たちは長期にわたる塹壕戦に疲れ果てていた。翔は、戦争が長引くにつれて兵士たちの士気が低下し、精神的・肉体的な健康が脅かされていることを懸念していた。
その日の会議では、フリーデリケが次のように提案した。
「私たちは、兵士たちの心と身体の健康を維持するために、新たな対策を講じる必要があります。特に、性的な問題にも目を向けなければなりません。」
クラウスは眉をひそめた。「性的な問題とは、具体的にどういうことを指しているのか?」
「長期間、戦場にいる兵士たちが民間の売春宿を利用することが増え、その結果、性病が拡散していると報告されています。」
フリーデリケは真剣な面持ちで続けた。
「そのため、兵士専用の慰安所を設置し、衛生管理や性病予防を徹底することが急務です。」
翔はその提案に考え込んだ。
「確かに、健康管理は重要だ。しかし、慰安所の設置は人権の問題も引き起こしかねない。兵士たちのための措置が、彼らの尊厳を損なうことがないように注意しなければならない。」
「それに関しては、しっかりとした管理体制を設ける必要があります。」フリーデリケが言った。「慰安所に従事する女性たちも、適切な衛生管理を受けることが求められます。これにより、性病の感染拡大を防ぎ、兵士たちの心の安定を図ることができるでしょう。」
クラウスは少し沈黙し、周囲を見回した。
「この問題を解決するには、どのような施策が考えられるだろうか?」
翔は自分の考えをまとめた。
「まず、慰安所を設置する場合、性病検査や治療の制度を併設するべきです。定期的な検査を受け、感染者には隔離や治療を行うことが必要です。また、性病の予防啓蒙も欠かせません。兵士たちに性病の危険性を正しく理解させることが重要です。」
「さらに、兵士たちにコンドームを配布し、使用を推奨することも一つの手段です。」
フリーデリケが続けた。
「すでにいくつかの国では実施されている取り組みです。」
◇
フリーデリケと翔は、この計画に伴って女性たちの募集を始めるために、戦禍で仕事を失い、生活に苦しむ女性たちが集まる広場に出向いた。
フリーデリケは事務的な表情で説明を始めた。「皆さん、兵士たちのための特別な施設で働く方を募集します。仕事の詳細は後でお伝えしますが、食事と住居が保証され、報酬も支給される予定です。」
集まった女性たちは一様に不安な表情を浮かべていたが、生活の厳しさに押されて耳を傾けた。ある若い女性が、おそるおそる手を上げて尋ねた。
「その仕事って、具体的にどんなことをするんですか?」
フリーデリケは一瞬だけ視線を外し、すぐに無表情を取り戻して答えた。
「国のために働き、兵士たちの士気を高める役割です。詳細はその場で学んでいただけますが、仕事は難しくありません。国のために尽くす重要な役割であることに変わりはありません。」
その答えは曖昧で、彼女たちの不安を取り除くものではなかったが、他に選択肢のない生活に疲れ切った彼女たちは次々と頷き始めた。別の年配の女性が質問を続けた。
「その施設で働くことで、私たちの将来はどうなるんでしょうか?戻ってきた時、今と同じ生活に戻れるんでしょうか?」
翔が口を挟み、淡々と説明した。
「皆さんは国のために奉仕するのです。そこに見返りは約束されています。ただし、現在の戦況を考えれば、皆さんが望む未来がどう保証されるかは、時が過ぎるまで誰にもわかりません。」
女性たちはお互いに顔を見合わせ、はっきりとした答えが得られないまま、不安を飲み込むしかなかった。
翔は無表情のまま続けた。
「あなた方の選択肢は限られています。戦争の影響で多くの人が飢え、生活が困窮しています。この仕事は、あなた方の生計を支える手段でもあります。」
その言葉に、女性たちの中から小さな囁きが生まれた。「私たちの生活がかかっている……」一部の女性たちは不安と恐怖の入り混じった表情を浮かべていた。彼女たちの中には、家族を養うために選択を迫られている者もいた。
生活の保障や将来の安心を得られると信じるしかない状況に置かれ、彼女たちは次第に「国のために働く」という言葉に寄りかかるしかなかった。
その後、数日で選抜された女性たちは訓練と称される集まりに呼び出され、どこか冷ややかな説明を受けた。具体的な仕事の内容にはほとんど触れられず、「兵士たちの慰安」という言葉だけが繰り返された。
「ここでは国を支える立派な役割が待っています。」
翔は穏やかな笑顔を浮かべて言ったが、その言葉の裏にある意図に気づく者はほとんどいなかった。多くの女性たちは、正当な仕事としてこの役割を引き受けたものの、自分たちがどのような立場に置かれ、どんな代償を支払うのかをまだ理解できずにいた。
時が経つにつれ、彼女たちが直面する現実が次第に明らかになり、求められる役割の重さが肩にのしかかっていった。しかし、一度足を踏み入れた以上、後戻りできる余地はほとんどなく、彼女たちは不安に耐えながら日々を過ごすしかなかった。
◇
王宮の応接室で、翔とフリーデリケは遅い時間まで作戦の調整を続けていた。机の上には書類が積み重なり、どれもが戦場での士気を維持するための施策について詳細に記されている。その中の一つに、「慰安施設」の設置に関する計画書が含まれていた。
フリーデリケがその書類を指で叩きながら低くつぶやいた。「私たちは…確かに少し曖昧に話しているわ。彼女たちに伝えていることと、実際の仕事内容は、かなり違う。」
翔は一瞬目を伏せ、無言のまま視線をさまよわせたが、やがてゆっくりと口を開いた。「分かっている。でも、国のために必要なことなんだ。兵士たちは心身ともに極限状態にある。正直なところ、何でもいいから彼らのストレスを少しでも減らしてやらないと……この戦いを続けるのは難しい。」
「その通り。でも、私たちは彼女たちを少なからず騙しているのよ。」フリーデリケの声には微かな怒りと、諦めが交じっていた。
「生きるために働きたいという彼女たちの気持ちを利用しているわ。食べるため、家族を守るために来た女性たちに、何も知らされずに……。もし彼女たちが本当の状況を知ればどう思うかしら?」
翔は言葉を探し、少しの間沈黙した後、うなずいた。
「君の言うとおりだ。あまりにも酷い仕打ちかもしれない。けれど、いまの戦況を考えれば、理想ばかりは追えない。戦いを続けるためには、どうしても必要な手段だ。彼女たちを慰安婦として働かせることが、国を支える一助になるのなら……我々はその役割を果たすしかない。」
フリーデリケは、硬い表情で翔を見つめた。
「翔、あなたも本当にそれで良いと思っているの?私たちは、あの女性たちの命と未来を安易に取り扱っているだけじゃないかしら。彼女たちに真実を話し、それでも国のために働くかどうかを選ばせるべきだとは思わない?」
翔は視線を外し、重々しい口調で言った。
「それが理想だ。けど、もし彼女たちが真実を知って拒否するなら、代わりの人員を集める余裕が今の我々にはない。それに、彼女たちが戦争の『現実』に直面することで混乱が生じる可能性も高い。国全体が不安定な状態に陥りかねない。」
フリーデリケは長い沈黙の後、深い息をついた。「このままでは彼女たちは、まるで使い捨ての道具のように扱われるわ。少なくとも、彼女たちの無知につけこむのはやりきれないわね。」
「……それでも、いまはこの方法しかないんだ。」翔は静かに言った。「これが、戦争というものの持つ残酷さなんだろう。人の意思や希望、尊厳を削り取っていく。この状況が平和なら、絶対に許されないことだ。でも、いまは……。」
フリーデリケは深くうなずき、目を伏せた。「私たちがここで決めることが、どれほど多くの人生を左右するのか……。分かっているわ。でも、そうであっても、この行為が将来どう評価されるかは、歴史に委ねるしかないのね。」
二人の間には重苦しい沈黙が流れた。彼らの心には、自分たちの決断がもたらす犠牲についての罪悪感があった。しかし、それでも戦況が厳しさを増す中、理想だけを貫くことが難しい現実に直面していた。
やがて、フリーデリケは決意を固めたかのように立ち上がり、言った。
「この計画を進めましょう。でも、せめて彼女たちが戻ってきたときに、別の生き方ができるよう、何かしらの支援を用意してあげましょう。それが、私たちができる最小限の償いかもしれない。」
フリーデリケは静かに言葉を結んだ。
翔はしばらくの間黙っていたが、やがて重い口調でうなずいた。
「そうだな。彼女たちが、いつか戦場を離れた後も生きていけるような援助を提供する。それが、彼女たちの命と引き換えに、少しでも報いることになるだろう。」
二人はその場に残された書類を見つめ、互いの決断が彼らの心にどれほどの重荷を背負わせるのかを理解しつつも、戦争の厳しい現実に立ち向かう覚悟を再び固めていた。
その夜、国の未来を支えるために選ばれた苦渋の策は、彼ら自身の信念や価値観をも試すものとなっていった。平和が訪れたとき、果たして彼らの決断が正しかったのかは、歴史の判断に委ねられるだろう。
◇
選考の日が訪れ、数人の女性が選ばれた。彼女たちは、翔から説明を受ける中で、仕事の内容が単なる肉体労働ではなく、精神的な負担が伴うことを理解していく。
「あなたたちは、兵士たちの心の支えとなる存在です。」翔が言った。「しかし、その代償もあります。兵士たちにはさまざまな背景があり、時には暴力的になることもあります。あなた方は、しっかりとした覚悟を持たなければなりません。」
一人の女性が震える声で尋ねた。「もし、私たちが断ったらどうなるのですか?」
「選択肢はありません。私たちはこの国のために、誰かがこの役割を担わなければならないのです。」
翔の言葉は、氷のように冷たかった。
その後、選ばれた女性たちは慰安所の設置に向けて準備を始めた。彼女たちは、自らの選択の背後にある残酷な現実を抱えながら、心の葛藤を抱え続けた。
◇
その日、訓練場の周辺では、兵士たちが酒を飲み、愉しそうに笑い合っていた。翔は彼らの姿を見つめながら、自らの役割に対する思いを巡らせていた。
「翔、少し飲もうよ!」友人の兵士が声をかけてきた。
「今は仕事があるんだ、後にしてくれ。」翔は微笑みながらも、心の中では複雑な思いを抱えていた。
数日後、慰安所の設置に向けた具体的な計画が立案され、医療機関との連携が進んだ。翔は訓練場を訪れ、兵士たちに向けた性病の啓蒙活動を行うための準備を進めた。
「皆さん、戦争は過酷な環境ですが、心と身体の健康を守ることが最も大切です。」
翔は訓練中の兵士たちに向かって言った。
「これから性病についての説明を行いますが、知識を持つことで自分たちを守ることができます。」
兵士たちの中には、興味を示す者もいれば、恥ずかしがって顔を赤らめる者もいた。しかし翔は、真剣な眼差しで続けた。
「性病は見えない敵です。症状や感染経路を理解し、早期に対処することが求められます。私たちの健康は、国を守る力にもつながります。」
訓練後、兵士たちは性病検査を受けることになった。翔は彼らの健康管理に力を注ぎ、前線での医療支援体制を強化していった。
数ヶ月後、慰安所の設置が完了し、運営が始まった。兵士たちは必要に応じて利用し、衛生管理が徹底された環境で心身のリフレッシュが図られた。しかし、慰安所の開設に伴い、国民の間には賛否が分かれ、メディアではその是非が取り上げられた。
一方で、兵士たちの中には、戦争のストレスを酒と女で解消しようとする動きが加速していた。翔はその様子を見て、彼らの選択肢が少なくなっていることを感じていた。
「これは国を守るための苦渋の選択なのかもしれない。」
翔は心の中で思い、自らの役割を再認識した。
◇
開設された慰安所では、兵士たちが疲れ果てた表情でやって来る。彼女たちは笑顔を見せながらも、心の奥では戦争の恐怖や不安を抱えたまま、兵士たちに寄り添うしかなかった。
「これが私たちの運命なのか……」一人の女性がつぶやくと、他の女性たちも同意するように頷いた。彼女たちは戦争の犠牲者であり、選ばれたとしてもその選択が何を意味するのか、理解しているかのようだった。
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