第5章: 戦後の笑顔と商売の知恵

30 市場の約束

 戦争が終わり、街には少しずつ活気が戻りつつあった。市場も例外ではなく、露店が軒を連ね、多くの商人たちが客を呼び込もうと声を張り上げている。しかし、翔の目にはまだ完全な復興には遠い現実が映っていた。人々の表情はどこか慎重で、財布の紐は固く閉ざされたままだ。

 翔はゆっくりと市場を歩きながら、復興の進捗を肌で感じ取ろうとしていた。商品は新鮮に見えるが、売り手たちの声にはまだ必死さが残っている。まだ完全に安定した日常が戻ってきたわけではない。翔は心の中で、これからさらに何が必要かを考えながら市場を見渡す。

 市場の中央あたりまで来たとき、威勢のいい声が翔を呼び止めた。


 「そこのお兄さん、リンゴはどうだい?」


 声をかけたのは、20代後半くらいの元気な女性だった。リサという名の彼女は、果物店を営んでおり、店の前には色鮮やかな果物がずらりと並んでいる。中でも、ひときわ目を引いたのは、真っ赤なリンゴだった。翔はその色鮮やかなリンゴに惹かれ、つい足を止める。


「リンゴか……この世界にもあったんだな」

 と、翔は少し感慨深げに呟きつつ、リサに値段を尋ねた。


「1個これでどうだい?」

 リサは自信ありげに少し高めの値段を提示したが、翔が眉を上げるのを見て、すぐに笑いながら付け加えた。

 「冗談さ。戦後だからね、みんなあんまり贅沢できないし、少し安くしてるんだよ。」


 翔はその明るさに思わず笑いながら、

 「なるほど、それでも思ったより安いな」

 と言い、リンゴを手に取る。手触りはしっかりしていて、見た目も美味しそうだ。


「美味そうだな。でも、そんなに安くして大丈夫なのか?」


「ま、今はみんな節約してるし、少しでも売らないとダメだからね。けど、正直あんまり儲かってないんだよ。仕入れもあるし、場所代もあるし……やりくりが大変だよ」


「場所代か。やっぱり固定費ってのは重いな」


「固定費?なんだいそれ?」

 リサが首をかしげる。


「簡単に言えば、商売にかかる毎月の決まった費用のことさ。場所代とか人件費など、毎月必ずかかる出費のとさ。売上が少なくても払わなきゃいけないんだよ」


 リサは目を丸くしながら、笑い飛ばす。

 「あー、そういうことか!確かに、場所代とか毎月必ず払わなきゃいけないもんね。でもさ、あたし、そういう計算が苦手でさ、なんとなくやってるんだよね」

 


「どんぶり勘定ってやつか、でも、ちゃんと数字を見て管理しないと、いつか困るぞ。利益が出てるのか赤字なのかも、ちゃんと把握しておいたほうがいい。」


「うーん、そうかもね。でもさ、難しい話は苦手なんだよ。なんか、もっと簡単に儲かる方法ないかな?」

とリサは冗談っぽく言いながら、明るく笑う。


「簡単に儲かる方法か……。」翔は少し考えながら、

「まずは仕入れを見直すとか、売れる商品の種類を増やすとかかな?でも一番大事なのは、今の商売をちゃんと理解することだ。数字を見て、どこが問題なのかを知るのが第一歩だよ」


「そうか……あんた、なんだか詳しいね。まさか商売のプロかい?」

 

「いや、ちょっと前に似たようなことを勉強しただけさ」

 リサは笑顔で、

「じゃあ今度もっと教えてくれよ。これからも頼りにしていいかい?」

 と言いながら、翔に軽くウィンクをした。


「まあ、できる範囲でな」

 と翔は少し照れながらも、応じた。


 「本当かい?じゃあ、商売が終わったあと家に来てくれないか?」


 翔は一瞬戸惑いながらも、

 「家で商売の話か?」

 と少し困惑気味に返す。


 リサはすぐに笑いながら、

 「あはは、そういう意味じゃないって!あたし、計算とか本当に苦手だからさ、もう少し教えてもらえたらって思ってるんだよ。どうせなら、ちゃんと儲けたいしね!」

 と軽く肩をすくめた。


 「時間があればな。商売の手助けくらいはできるかも」

 

 リサは、少し真剣な表情になり、

 「実はね、戦争で旦那を亡くしたんだ。それから一人でこの店を切り盛りしてるんだけど、どうもうまくいかなくてね……だから、こうして頑張ってるんだ。でも、あんたみたいな人に助けてもらえたら、もっと良くなるかもしれないなって思ってさ」

 

 「そうか……大変だったんだな。何か手伝えることがあったら言ってくれ」

 と優しく声をかけた。

「ありがとう。本当に頼っちゃっていいのかい?」リサは少し照れながらも微笑んだ。


「もちろんだが、俺も仕事があるから、行けるのは夜になると思うけど……それでいいか?」


「うん、それで十分だよ。店を閉めた後、ゆっくり話せるし、ちょうどいい時間だね。家はここからすぐさ、角を曲がった青い屋根の小さな家だから」


「じゃあ、今夜行くよ」と翔は軽く頷く。


「頼りになるね。あんた、何でもできそうな感じがするよ」

 リサが冗談めかして言いながらまたウィンクする。


「そんな大したもんじゃないさ。ただ、少し数字が得意なだけだ」

 翔は照れ隠しに肩をすくめる。


「数字に強いなんて、あたしには一番の弱点だよ。だから、本当に助かるよ」

 リサは笑ったが、その目には安堵が浮かんでいた。


「じゃあ、今夜、まずは店の売り上げや経費を見てみよう。何か困ってることがあれば、それも一緒に考えよう」


「本当に感謝してるよ、翔。こうして話してるだけで、少し楽になった気がする」


「できる限り手伝うさ」


「それだけで十分だよ。今夜、待ってるね」

 リサは再び笑顔を見せ、少しだけ彼女の頬が赤らんでいるのに気づいた翔は、彼女が美人だと改めて思った。


「じゃあ、また後でな」

 翔は軽く手を振り、リサの店を後にした。


「まあ、こんな美人に頼られるのも悪くないか……」翔は軽く頭をかきながら、心の中で思った。

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