46 混乱の戦場、冷静なる策士たち

 フリーデリケの執務室には緊張感が漂っていた。翔とリリスが報告に耳を傾ける中、使者がもたらした最新の戦況が机上に広げられている。リリスは地図の一点を指し示し、柔らかくも確信に満ちた声で言った。


「ご覧ください。私たちの策が功を奏しています。トリスタン軍の動きには、やはり連絡網の遮断の影響が現れています。これだけ情報が錯綜していれば、部隊間の連携が崩れているのも頷けますね。」


 翔がその指摘に頷いた。

「偽情報も良い具合に機能している。報告によれば、敵の補給部隊が指定されたルートから外れて動いているそうだ。」


「それが事実ならば、次の手を講じる価値は十分にありそうですね。」

 フリーデリケは冷静な口調で言葉を継いだ。

「リリス、この状況をどのように活用しますか?」


 リリスは思案するように目を閉じ、一呼吸置いてから口を開いた。「はい。この混乱を更に助長させるために、撤退路の封鎖を演出する必要があります。敵が逃げ場を求めて動揺すれば、指揮系統がさらに混乱することでしょう。」


 翔が少し驚いた様子で問いかける。

「撤退路を封鎖する振り、ということですか?逃げ道を遮断するように見せかける、という意味ですよね?」


「はい。その通りです。」リリスは落ち着いた微笑みを浮かべて頷いた。

「混乱が頂点に達すれば、前線にいる敵部隊が後退を始めます。その時こそが、私たちの軍が一気に攻勢をかける好機となるでしょう。」


「確かに効果的ですね。ただ、どのタイミングでその演出を行うかが鍵になります。」

 フリーデリケが地図を見つめながら答える。


 リリスは穏やかな表情で続けた。

「もちろんです。各部隊からの報告を精査し、敵の動きに変化が見られる瞬間を見極めて実行します。混乱がピークに達するまで待つことが重要です。」

 ◇

 翌朝、翔は前線からの新たな報告を受けた。それによれば、トリスタン軍は補給路が遮断されていると誤認し、一部の部隊が予定外のルートを選んで後退を始めたという。その知らせを聞くやいなや、彼はリリスの作戦が成功しつつあることを確信する。


「リリス、見事だ。彼らが撤退を始めたとのことだ。」

 翔は報告書を読み上げ、彼女に向かって軽く頭を下げた。


 リリスは一瞬、ほっとしたように微笑みながらも、すぐに真剣な表情に戻った。

「ありがとうございます。ただ、油断は禁物です。この後の攻撃のタイミングを誤れば、混乱は収束してしまいます。」


「そのための次の一手が重要ですね。」フリーデリケが静かに言葉を継いだ。

「リリス、この後の展開について具体的に指示をお願いできますか?」


「かしこまりました。」リリスは地図を指し示しながら答えた。

「このルート上にいる敵部隊を分断し、孤立させます。その後、別働隊を動かして後方から圧力をかけることで、さらに混乱を広げるのです。」


 翔が鋭い目つきで地図を見つめた。

「そうすれば、孤立した部隊が無力化される。非常に合理的だね。」


 作戦の進行を見守る中、リリスが静かに呟く。

「戦はただの力比べではありません。相手を見極め、状況を最大限に活用すること。それが真の勝利への鍵なのです。」


 フリーデリケがその言葉に小さく頷き、窓の外に目を向ける。

「この戦いを乗り越えれば、次の平和への一歩が見えてくるはずです。私たちはそのために進むしかありません。」


 翔は二人を見渡しながら深く息を吐いた。

「まだ道のりは長いけれど、今は1つずつ進めていくしかない。リリス、フリーデリケ、頼りにしている。」


「お任せください。」リリスは深々と頭を下げ、再び地図に目を戻した。


 ◇


 トリスタン軍の前線基地では、焦燥感が漂っていた。幕僚たちは大きな作戦地図を囲み、各地の部隊から届く不明瞭な報告を次々に確認していたが、全体像が掴めない。

「これが最新の報告か?」

 中央に座る年配の将校、クライバーン中将が低い声で尋ねた。その顔には深い皺が刻まれ、鋭い目つきが苛立ちを隠せない。


 副官が敬礼しながら応じる。

「はい、中将。ですが、連絡が断たれている部隊が多数存在します。北西部隊の状況も依然不明です。」


 クライバーンは拳を地図の上に叩きつけた。

「この混乱は一体どういうことだ! 連絡網が遮断されているだけで、部隊間の連携がここまで乱れるとは……。」


 幕僚の一人が震える声で言葉を足す。「偽情報の可能性も排除できません。我々の動きを読まれ、虚偽の命令が広まっているのでは……。」


「そんな馬鹿げた話が!」

 クライバーンが怒鳴り返そうとした時、通信兵が駆け込んできた。

「北西部隊から断片的な通信が入りました!」


 全員の視線が通信兵に集中する。

「北西部隊は現在、補給が途絶し、敵の攻撃を受けて孤立している模様です。指揮官は援軍を要請していますが……。」

「援軍だと?」クライバーンは通信兵の言葉を遮った。

「援軍を送る余力などない! 我々も補給不足に直面している。全体を見失えば、さらなる損失を招くだけだ。」


 しかし、幕僚たちの表情は一様に不安に包まれている。クライバーンは深いため息をつき、決断を迫られた。「いいだろう。北西部隊を救援するため、部隊を分割する。だが、その間に他の前線が崩れるようなことは絶対に避けねばならん。」


 副官が地図に目を落としながら尋ねる。

「どの部隊を動かしますか?」

「南東の補給路周辺の守備を手薄にし、そこから援軍を派遣するしかない。」


 幕僚たちがざわめき始める。南東はトリスタン軍にとって重要な補給線であり、その守りを削ればさらなる危険を招く可能性があった。


「全軍に徹底的な防衛を命じ、補給路の確保を最優先せよ!」

 クライバーンの声が響く中、司令部は不安と疑念の中で動き出した。


 ◇


 アルバナ王国軍の前線では、前線指揮官のフェルナー大佐が双眼鏡を手に、戦況を見下ろしていた。目の前には、混乱するトリスタン軍の補給路が広がっている。


「報告!」副官が走り寄る。

「敵援軍が北西へ向かっています。そのため、南東の守備が手薄になっています。」


 フェルナーは頷きながら、双眼鏡を置いた。「よし、ここが勝負どころだ。主力部隊を突撃させ、補給路を完全に断つ。」


 彼はすぐさま伝令を呼び、各部隊に命令を伝達する。

「全軍、敵の補給路を攻撃開始! 第三部隊は迂回して敵の背後を狙え!」


 砲撃の轟音が響き渡る中、アルバナ軍は迅速に動き始めた。戦車隊が煙を上げながら前進し、敵陣地に向かって砲撃を開始する。その後に続く歩兵部隊は、混乱する敵兵たちを押し流すように突撃した。


 トリスタン軍は補給路を死守しようと応戦するが、既に士気は低下しており、指揮系統の混乱も続いていた。守備部隊は散発的な反撃を試みるが、アルバナ軍の圧倒的な火力と連携に押され、次々と防衛線を破られていく。


 フェルナー大佐は冷静に戦況を観察しながら指示を出し続ける。「敵の補給車を最優先で破壊しろ。補給路を完全に機能不全に追い込むんだ!」


 数時間後、アルバナ軍はトリスタン軍の補給路を制圧することに成功した。補給物資は全て鹵獲され、敵兵たちは散り散りに撤退を始める。


 フェルナーは深く息をつき、再び双眼鏡を手に取る。

「よし、このまま前進を続けろ。次の目標地点まで一気に進軍する。」


 アルバナ軍は勝利の手応えを感じながら、戦場に立つ。遠くには、未だ混乱するトリスタン軍の姿が見えるだけだった。

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