22 戦場の果てに

伯爵の自害により、降伏の意思を伝えてきた。要塞の門が重々しく開かれると、翔とフリーデリケは慎重に中へと足を踏み入れた。中に広がる光景は凄惨だった。飢えと疲れで倒れている領民たちが、城内のあちこちにうずくまり、命の灯火が今にも消えそうな姿をしていた。


「すぐに食事を与えなさい!」

と、フリーデリケは厳しい声で指示を出す。彼女の目には、領民たちの惨状が明らかに映っていた。彼らを救うためには、早急な対応が必要だと感じていた。


しかし、翔はその言葉にすぐに反応し、彼女の腕を軽く掴んだ。

「フリーデリケ、待ってくれ。少しずつ、慎重に与えるんだ。急に大量に食べさせると、かえって命を危険にさらすことになる。彼らの身体はもう普通じゃないんだ。」


フリーデリケは一瞬戸惑った。「どういうこと?」


「長い間飢えていた体は、急に食べ物を消化する力を失っているんだ。だから、少しずつ食べさせて、体が慣れるようにしないといけない。そうしないと、逆に命を落とす可能性がある。」


フリーデリケは驚きながらも、翔の言葉に納得し、すぐに兵士たちに指示を出した。

「小分けにして、ゆっくり配ってちょうだい。彼の言う通り、慎重に進めるのよ。」


その時、突然、飢えた貴族の一人が前に出て、領民たちを押しのけるようにして食料に飛びついた。

「もっとだ!もっとよこせ!」

と、貴族は怒鳴りながら、鍋から手づかみで食料をむさぼり食べ始めた。周りの者たちが驚きと恐怖の目で見守る中、彼はまるで狂ったように食べ続けた。


しかし、数瞬後、彼の体に異変が起きた。突然、貴族は苦しげに喉を押さえ、顔が青ざめる。

「あ、ああ…!」

と苦悶の声を上げながら、彼はその場に崩れ落ち、体がけいれんし始めた。あっという間にその動きは止まり、息絶えた。


フリーデリケはその場で呆然と立ち尽くした。

「な、何が…?何が起こったの?」


翔は顔を曇らせ、彼女の方を見て静かに説明を始めた。

「これはリフィーディング症候群という現象だ。長期間飢えていた人が、急に大量の食事を摂ると、体が対応できずに命を落とすことがある。栄養が不足している体に急に食べ物が入ると、電解質や体のバランスが崩れて、最悪の場合、心臓や他の臓器に負担がかかりすぎてしまうんだ。」


「そんなことが…」


「だからこそ、慎重にしなければならない。飢えている人たちには、少しずつ、段階を踏んで回復させる必要があるんだ。」翔は彼女に強く言い聞かせるように言った。


フリーデリケは深く息を吐き、彼の言葉を飲み込んだ。

「分かったわ。あなたの言う通りにしましょう。領民たちの命を守るために…」


戦後の処理に関しては、あまり急ぎすぎず、必要な手順を踏みながら徐々に進めることにした。今は一旦、宿舎に戻り、心身を休める時間が必要だと二人は感じていた。

翔とフリーデリケは要塞から戻る道中、無言のまま進んでいた。空は薄暗く、重々しい雲が広がり、まるで戦場での悲劇を映し出しているかのようだった。戦いの音はすでに遠のき、静寂が二人を包む中、どこか物悲しい雰囲気が漂っていた。


宿舎に戻った翔は、暗い表情で椅子に深く腰掛けた。手のひらで顔を覆い、重い息を吐き出す。その胸の奥には、終わりの見えない苦しさが渦巻いていた。要塞で見た飢えた領民たち、息絶えた貴族、そして自分の手からこぼれ落ちた命――そのすべてが、頭の中で何度も繰り返し映し出される。


「俺は…本当に最善を尽くしたのか?」翔は独り言のように呟いた。

「あの人たちの命を、もっと早く救えたのではないか…。もし別の方法があったなら、こんなにも犠牲を出さずに済んだんじゃないか…。」


頭を抱え、翔は苦悩に沈んだまま、フリーデリケが近づいてくるのに気づかなかった。


彼女は静かに翔のそばに腰を下ろし、優しい目で彼を見つめた。


「翔…」彼女の声は、まるで柔らかな風が彼の心に吹き込むかのようだった。

「あなたはよくやってくれたわ。誰よりも冷静に状況を見極め、判断した。今の状況でできる限りのことをしたのは、私たち二人ともよく分かっているわ。」


翔は無言のまま、フリーデリケの方を見つめた。彼女の穏やかな瞳が、彼の心の奥に響く。しかし、胸の中の葛藤は消えない。


「それでも…」翔は口を開いたものの、次の言葉が喉の奥に引っかかるように出てこなかった。


フリーデリケは黙って頷き、翔の言葉をじっと受け止めた。彼女もまた、この戦いの重さを感じていた。彼女にとっても、この一連の出来事は決して軽いものではなかった。


「翔、確かに私たちは多くの犠牲を出した。でも、それは戦争の避けられない現実よ。私たちは神様じゃない。全てを完璧に救うことなんてできないの。…けれど、私たちは諦めずに進まなくちゃいけない。だから、自分を責めないで。」


「私たちの選択が最善だったかどうかは、今後の結果次第でしか分からないかもしれないわ。でも、私たちはできる限りのことをしている。それだけは信じてほしい。」


そう言いながら、彼女はそっと翔の肩に手を置き、次第に彼を優しく抱き寄せた。翔は一瞬驚いたものの、フリーデリケの温かさとその柔らかな胸に顔をうずめ、戸惑いながらもその抱擁に身を委ねた。彼女の優しさが、疲れ切った心と体に静かに染みわたり、重くのしかかる責任や悩みが少しずつ溶けていくような気がした。


彼女の手が静かに翔の背を撫で、次第に距離が縮まり、二人は言葉を交わすことなく自然と唇を重ねた。その瞬間、全ての葛藤や不安が一瞬だけ遠のき、互いの存在だけが際立つ。


翔は戸惑いを感じながらも、フリーデリケの優しさに引き寄せられるように彼女を抱き返した。夜が深まるにつれて、二人は互いの心と体を預け合い、全ての緊張や壁が解けていく。外の世界の困難や戦いから一時解放され、ただお互いのぬくもりを求めて静かに愛し合った。


その夜、彼らは互いの心の奥底に触れ、体を重ねることで深い絆を確認し合った。明け方が近づく頃、二人は疲れた体を寄せ合い、静かに眠りについた。戦場での喧騒や苦悩から解放されたその瞬間、彼らの間には新たな感情と理解が生まれていた。

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