19.命の価値
19
火島のおっさんはなんだか憎めない人だな。というのが俺の人物評であり俺にとっての指針だった。どうしてそう思うのかは分からない。客観的に見てみれば大きな考え違いをしている、ただのおっさんだ。でも、憎めないのも事実だった。
フィーリングが合うのだろうか?
配信は一時的に切断した。火島を含む他の受験生に対する配慮だった。そして戻りのロッカーを探すまでの道中において、さすがに俺も明らかなダンジョンにおける異変を感じ取っていた。これはただダンジョン全体のレベルが上がっているとかの問題ではないだろう。
大量のアンデッドの群れ。
複数のリビング・ジャイアント。
血に飢えた、『渇きのオーク』達の襲撃。
六階層はなるほど魔境だった。それでも俺からしてみればまだ余裕の範疇だった。他の受験生を守りながらも優雅に舞える。蝶のように舞っては蜂のように刺せる。楽しい遊びの範疇でもあった。
そして戻りのロッカーを前にして、火島は言った。
「最後に教えちゃくれないか」
「いいよ。俺の身長は百七十八センチ。体重は」
「そうじゃねえ。……なにがズレているのかを、教えてくれないか」
「? まあズレているっていえば、靴とか? 絆創膏、貸してあげよっか」
善意で口にすれば、しかし火島のおっさんは呆れたように嘆息した。なんだか失礼な態度だった。優しさを素直に受け取れないなんてどうかしてるんじゃないのか?
「おまえは言っただろ? 坊主。俺が『危険だから引き返す』と判断を下したとき、それはズレた判断だって」
「ああ。それか」
「理由を教えてくれよ」
「ギャンブルだから」
俺は言いながらにコインを親指で弾いている。
それは『渇きのオーク』がドロップした独自の銀貨だった。百円玉にも似ているけれどそこまで
「ギャンブル?」
「夢を追うって、ギャンブルじゃん」
コインの着地点に手の甲を置いて反対の手で蓋をした。表か裏か。簡単なゲームだ。
「どっちだと思う?」
「……裏だ」
「残念。答えはなし」
手の甲にはコインは載っていない。蓋をする手でコインを弾いて袖に入れたのだ。上着を仰ぐと腰からコインが出てくる。簡単な引っかけのトリックである。
「まあこれは冗談だけど……なんでみんな探索者になるのかってさ、大概は夢だと思うんだよね。俺は。なにかしら夢があって、なにかしら求めている大きなものがあって、まあ、大体はお金だと思うんだけど」
俺は火島を窺うように見る。けれど当たっている感触はない。つまり火島はお金とかそういうものを求めているわけではなく――夢なのだろう。もちろん一攫千金を狙うという意思もあるだろうが、根っこの部分は夢だ。
探索者として人生を変えてやろうという、夢を持っているのだ。
夢を持って探索者になろうとしているのだ。
けれど。
「なにかを手に入れるためには、BETは必要だよ」
「……BETか」
「そう。賭けるものがなければ、大きなものは手に入らない」
たとえば夢を主軸とするならば賭けるものは『時間』とかだろうか? なにか目指すものがあるとする。職業だとする。その職業に就くためには勉強をしなければならない――時間が必要だ。圧倒的な時間が。そして人はみんな時間をBETして夢を掴もうとする。
ダンジョンにおいてはなにか?
BETするのは、ただ一つ。『命』だ。他にはなにも要らない。もちろん準備などにおいて時間は消費するだろうけれど――ダンジョン探索中に賭けているものはみんな『命』なのだ。『命』をBETとしてなにかを掴もうとしている。
それが金なのか、成功なのか、地位なのか、名誉なのか、人それぞれに求めるものは違うだろうけれど。
「……俺には覚悟が足りてなかった、ってことか?」
「どうだろ。これはあくまでも俺の一意見だし」
「で? おまえはなんなんだ? 変態」
「変態だよ」
「違う。おまえは、なにを求めてダンジョンに入ってる。命をBETとして、なにを手に入れようとしてる?」
「楽しさ」
俺の答えはこれ以上ないくらいに決まっていた。楽しさ以外になにかを求めるなんていうことはなかった。そもそもダンジョン探索に限らずに同じだった。『時間』をBETしようとも『金』をBETしようとも『命』をBETしようとも俺が求めるものは違わず――楽しさだ。それ以外に欲しいものなんて存在しない。
最後に、火島のおっさんはちょっと笑った。
「じゃあな。死ぬなよ、坊主」
「こっちの台詞だけどね、それ」
軽口を叩いて別れる。
「ああそれと。悪いが、緊急連絡は入れているからな。
「あいよ」
火島のグループ全員が戻りのロッカーに入って五階層へと引き返すのを見送った。
残るのは俺とシラズさんと――妙な寂しさだった。たぶんこの寂しさに慣れることはこれから先永遠に訪れないんじゃないだろうか? 俺はシラズさんに向き直って言う。
「本当に良かったの? シラズさんは。ぶっちゃけ引き返して、探索者協会からの迎えが来るのを待つってのも手だと思ったんだけど」
「急にまともなこと言うのやめてください」
「なんかそれめっちゃ失礼じゃね? え?」
「私とあなたはグループですから。それに……さっきの話で、私もBETする気にはなったので」
俺はシラズさんをまじまじと観察する。観察に意味があるのかどうかは分からない。シラズさんはシラズさんだからだ。けれど……どこか雰囲気の変わったような印象を受けた。なにがどう違うのかは理解できないけれど。それでもシラズさんの中でなにか変化が起きようとしていることは容易に推察できた。
だから俺はそれ以上、心配したり無駄に優しくしたりするのをやめると決める。
「ならさっさと次に行っちゃうか」
「ええ。行きましょう。配信も付けちゃいますね」
「うん。歩きながらで。ちょっと急ぎたい理由もあるし」
「理由ですか?」
シラズさんがぽちぽちとスマホをいじる。たぶん配信画面を開いているのだろう。もう片方の手でカメラも操作していた。ダンジョン探索用のカメラは形態を変化させることも可能だった。ハンディと、ヘッド。いままでハンディカメラのように使っていたけれど、いまからは頭にゴムベルトを通して撮影するらしい。
配信が開始されたようだ。
俺は自分のスマホで確認する。シラズさんの視点になっている。俺を横から斜め上に見上げた画角だった。
視聴人数――108。一気に増えた。まだ配信を開始してすぐだというのに。
すぐにコメントが流れ出す。配信中断の理由はなにか。大丈夫なのか。いま試験はどうなっているのか。そもそも本当にここはF級ダンジョンなのか。この配信がフィクションであることを疑うコメントもあった。ふざけた荒らしコメントも増える。
ただ俺はすべてを目に入れないし、流れる音声も耳には入れない。
「急ぐよ、シラズさん」
「え、あ、はい。……まあ確かに、手練れの探索者さん達が来ますもんね。そこで強制的に中断されちゃったら、合格も不合格もなくなっちゃいますし」
「そういう問題もあるけど、それとは違う問題もある」
火島達を戻りのロッカーまで護衛したのは保守的な動きではあるけれど同時に時間の消費も激しかった。俺は体感として失った時間を考える。その失った時間がもたらしうる最悪の可能性というものも考える。考えながらシラズさんを横抱きにした。
「え」
「悪い。でも本気で急ぐね」
一気に――加速!
一歩目の蹴り出しから瞬間的に加速する。走る。走る。走る。両腕はシラズさん抱えているから使えない。だから足を目一杯に上げて速度を上げる。前のめりの体勢から――トップスピードに乗った瞬間に体勢を整えた。そして探す。全神経を視界に集中させて――七階層へのロッカーを。
急ぐ理由は一つだった。
もちろん火島の緊急連絡で後から手練れの探索者達――事前に準備されていた救助用の探索者達に追いつかれてしまうから、というのもあった。けれどそれは理由ではなかった。あまりにも小さすぎて理由にはなり得なかった。
理由は一つ。
まだ他の受験者達がいる。
考える。このダンジョンには異常が起きている。そしてたぶんそのことについて狐森や狸谷が気がついていないとも思えない。なにせ配信――配信をつけているのだ。ゆえに狸谷はともかくとして、狐森は間違いなく既に手を回しているだろう。あるいは火島の緊急連絡を待たずして既に救助用の探索者達が入っている可能性もあった。
――火島達以外の受験生が、みんな下の階層のどこかにいるのであれば、それでいい。俺の心配は杞憂だろう。けれど、もしも一グループでも、この先にいるのだとすれば?
七階層以降に侵入しているのだとすれば。
ロッカーを発見する。と同時に俺はシラズさんを下ろして先に自分ひとりだけロッカーに入る。そしてドアを閉める前に言う。
「シラズさん」
「は、はい?」
「俺がロッカーに入ったら、一分の間を置いてほしい」
「え」
「俺を信じて」
――祈る。俺の心配が杞憂であることを祈る。祈りながらにドアを閉める。そして。
七階層。
ロッカーを出た直後。
漂う、死臭。
嗅いだことのある、決して慣れることのない、血と、臓物の、におい。
無残な、遺体。
四肢が千切れ、頭が潰れ、命の消えた、複数の、遺体。
――凶悪の、気配。
「あらら。また、餌がきた」
悪魔は、受験者の腹を啜りながら言った。
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