8.『S級ダンジョン攻略してみた(笑)』



   0



「ハネコ殿」


 凜と響きながらもどこか幼さを残した声音がハネコを呼び止めた。背後だった。


 振り返ると見知った顔がある。忍装束に身を包んだスズリが電柱の陰に立っている。仙台市内の飲食店街の一角だった。


 スズリの気配は数日前に会ったときよりも鋭かった。それでいて周囲に自然と溶け込むような異質さを兼ね備えていた。まさに隠密の達人というべきか。周囲を行き交う雑踏はスズリの存在にまるで意識を向けない。


 コスプレとしか思えない目立つ格好をしているというのに。


「なにかしら」

「今日、主殿に会ってきたでござるよ。現在、主殿は筆記試験に臨まれている」

「っ。実際に会ったのね。どうだった? 実物は。六年も間が空いているのだから……衰えてはいるわよね。あなたから見てどうだったの?」


「――契約」


 スズリの声は無人のトンネルのように冷たい。視線は凍えるようだ。こちらを突き刺そうという意思に満ちているように思える。すくなくとも友人に向けるものではない。ただ、いまはそれでいいのか。


 なぜなら現在は依頼人と請負人の立場であるからだ。スズリが依頼人であり、ハネコが請負人である。そしてまだ契約は済まされていない。


「主殿の評判を落とすような記事は書かない。そういう契約であったでござろう? 代わりに、『烏丸ゴロウの復活』という特大のスクープを、ハネコ殿はこの世で一番はじめに放てる」

「ええ。そういう契約だったわね。だから、聞いたとしても書かないわよ。単純に私個人の疑問なの。いまの烏丸ゴロウはどうなの? S級探索者としての力は」


「衰えている」


 スズリの答えは端的だ。あまりにも直接的だ。だからハネコは意味を認識してもしばらくは硬直していた。――衰えている。頭の中では納得できる。それはそうだ。衰えているに決まっている。


 六年も月日が空いているのだから。


 けれど――こびりついている。


 ハネコの脳裏にはこびりついている。七年前の衝撃が。七年前に見た――烏丸ゴロウが主体として登場する、ありふれたダンジョン探索を題材とした動画の、衝撃インパクトが。



『S級ダンジョン攻略してみた(笑)』



 それは伝説の動画だった。


 まだインターネット上に浮遊している。ありとあらゆる動画投稿サイトに転載されまくっている。中でも世界一の動画サイトと呼ばれているWETUBEでは国内外を問わず再生されていた。


 すべての動画投稿サイトを纏めた総再生回数は、およそ二億八千万を越えているはずだ。


 あの動画の衝撃がハネコは忘れられない。いまでもふと再生してみたくなるときがある。動画再生時間は、たったの十三分。――どんな人間であろうと心を鷲づかみにされる十三分。老若男女を問わず、善人悪人を問わず、すべての人類にとって分け隔てなく心を鷲づかみにされる、十三分。


 ハネコは深く呼吸をする。それから訊く。


「本当に、衰えているのね? にわかには信じがたいけど」

「衰えているでござるよ。拙者の手の動きも――いや。あれは六年のブランクがあって、目で追えている時点でおかしいでござるが。ともかく、衰えていることは確かでござるな」

「なら、もう復帰したとして、昔のようには?」


 縋るような口調になってしまうのはどうしてか。やはり期待しているのだろうか。中立の立場ではいられないのだろうか。自分もかつての烏丸ゴロウという人間に魅せられた人間であるから。


「ハネコ殿」


 ふと。


 そこでハネコは気がつく。


 烏丸ゴロウという人物に対して最も妄信的感情を抱いている人間は誰か? 烏丸ゴロウを勝手に主殿と定めて偏執狂へんしゅうきょうのように追いかけている人物は誰か? そして探索者協会・仙台支部に所属している人間の中で、烏丸ゴロウに最も目を付けている人間は誰か。


 ――スズリだ。


 そのスズリは、しかし、落ち込んだ様子を見せない。悲しんだ様子を見せない。それは不自然だった。違和感だった。烏丸ゴロウの衰えに、最も落ち込むべき人間であるのに。最も悲しいはずの人間であるのに――。


「なにも心配は要らぬでござるよ」


 スズリは微笑むように目を細くして、言った。


「あの御方は、天才ゆえに」



  8



 さて困った。難問が続いている。


 狸谷の作った問題というのはダンジョン探索における倫理規定・行動規則を複雑化したものだった。またマナーの応用でもあった。


 一つ例を挙げるとするならば――「ダンジョン内への持ち込み物がすべて魔物の酸で使えなくなった。しかし形は残存している。さらにバディを組んでいた者が重傷を負った。この場合、持ち込み物をダンジョン内部に放置して重傷者だけを背負って帰還することは許されるのか? また理由を答えよ」といったような問題である。


 回答欄は狭かった。記述できる範囲も少ない。ということで俺は解答用紙の裏にそれぞれ答えを書いていく。たぶん俺の答えって間違えているんだろーなと軽く思いながら。


 そうだ。


 筆記試験には正答が存在する。正しい答えというものが。でも本当の正しさなんてものは存在しないと俺は同時に知ってもいる。特にダンジョン探索という、理不尽と不条理がまかり通っている世界では。


 俺は問題を選ぶ。くだらない問題に解答をしようなんていう気は湧かない。時間ももったいない。でもさすがは狸谷。どの問題もそれっぽく書いてあるし読ませる文章をしている。


 しかし狸谷の問題には答えるべき問題と答えなくてもよい問題が存在する。


 ところで採点は誰がするのか――狸谷の派閥に属している人間であれば間違いなく俺は落ちる、っていうか狸谷派閥の人間じゃなくても落ちるかなあ。って考えながらペン先でさらさらと紙を撫でる。解答を記述。なぜその解答になるのかも記述。さらさらさら。あっという間に一時間が経過する。


 筆記試験終了。


 すると前方に立っていた試験官が、口元だけで笑みを湛えて言った。



「お疲れ様でした。筆記試験の結果は後日、家に郵送いたします。また、これから軽く面談を行います。お相手は――みなさんツキがありますね! 副会長が担当してくださるそうですよ」



 副会長――性悪の女狐を思い出し、俺は嘆息した。きっと面倒なことになるに違いない。



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