9.「ダンジョン配信者になってもらう」


   9



「きみにはダンジョン配信者になってもらう」


 ハイライトのない瞳が俺を捉えて言った。


 探索者協会・仙台支部の奥底に居を構えている、副会長室だった。


 声の主である女――狐森こもりが座っている椅子は黒の革張りだ。椅子の前に置かれている机も漆塗りで、重厚そうだった。


「ちなみにゴロウくんに拒否権はないわけでさ」


 狐森は長い足を組み替えながら言う。狐森は身長が高い。立ったときには百八十ある俺が目線を上に向けてしまうほどに高い。たぶん百九十近くはあるのではないだろうか? 特徴的なのはツートンカラーの髪色だ。左が黒で右が白。


 肩ほどまでのボブ、毛先の浮き上がった、いわゆるエアリー・ボブ。


 ちなみに狐森の髪色は六年前と変わらない。色の理由は高校生のときに訊いたことがあった。


『狐森さんなんで左右で色違うの? 中二病? 潔癖な私の裏側にはダークな私がいるのよ。ふん! みたいな感じ?』

『おおむね間違ってないね』

『間違ってないんだ』

『清濁をあわせのむのが狐森さんの主張だから』

『あとずっと言いたかったんだけど、一人称が自分の女ってちょっと痛いよ』


 そして俺は本気のアイアンクローを食らって「ぐわああああ!」と苦しんだ。アイアンクローはしばらく解放されなかった。それからしばらく俺はアイアンクローの痕をつけながら暮らした。周りには「霊障だ」と騒がれた。


「さて。無駄話をしている暇もないんだよね。狐森さんはこれでも忙しい身でね」


 相変わらず抑揚のない話し方で狐森は言う。とにもかくにも平坦だ。やはり狸谷とは正反対だなと思わずにはいられない。二人が犬猿の仲である理由もよく分かる。


「いってしまえば君と話したいがために今回の面談を引き受けたわけでね、狐森さんは」

「ふーん。それ、愛の告白?」

「そう捉えてもらっても構わない」

「構わないんだ」


 狐森はまた足を組み替えた。身体が反対側に傾く。


「無駄話はやめよう。ゴロウくん。配信を引き受けてくれるね?」

「やだよ」

「最初の配信は実技試験でのF級ダンジョンだ」

「俺の話、聞いてる?」


 狐森は長い人差し指をぴんと立てる。爪の形は綺麗だ。


「繰り返そう。きみに、拒否権は、ない」

「俺さ、あんまし配信とか興味ないんだけど」

「不正行為、狐森さんが気がついていないとでも思っているのかな?」


 悪戯な響き。狐森にしては感情が伝わってくる物言いだった。狐森は首を傾げながら言っている。モノクロの髪がそらを泳ぐ。


「不正行為? なんのことか分からないっすね。仮に不正行為を働いたとして、テスト自体は普通に解いたんで」

「狸谷がお手製で問題を作ったからね。まったく。余計なことしかしない狸だよね。君を強請ゆする材料が減っちゃったよ」


 狐森は首を振りながら言った。やはり怖い女だった。というか俺の周りには怖い女しかいない。リンさん以外。テレサは微妙なラインだ。やっぱお姉さんしか勝たん。


「でも残念。きみ、解答用紙の裏面に答えを記入したでしょ。つまりきみの点数はゼロ点なんだよね」

「いや。それは採点者によるでしょ。ちゃんとどの解答がどの問題に対してなのか、分かるように書いてるんで」


「――採点者、誰だと思う?」


 にこりと。


 あの狐森が笑ったことで俺は天を仰いだ。なるほど――これは愛の告白だ。たぶん俺は愛されている。愛されすぎている。なるほどなるほど。


「天秤はどちらにでも傾きうる状態なんだ。そしてきみには大きな目的がある。そうだろう? 六年間ずっと引きこもりニートだったくせに復帰しようだなんて、それはもうさぞかし大事な用があるんだろう。目的があるんだろう。つまりきみは――死に物狂いで探索者になりたい。そうだね?」

「なんで引きこもりニートなの知ってるの……」

「狐森さんを舐めちゃいけない」


 狐森は表情を戻す。無に。


 相変わらずやりづらい。食えない女の体現みたいな奴だ。なにより狐森は普通に心理戦を仕掛けてくる。狸谷のように直接的な攻撃に打って出るのではなく、水面下でこちらを侵略してくるのだ。さながら雨漏りに見せかけた毒のように。


 俺は諦めたように息を吐く。そして言う。


「まあいいや。実技試験で配信? おーけーおーけー。やれと言われればやるよ。でも、なんで? 理由は?」

「これは独り言として話すけれど……年々、仙台支部の力は弱まっていてね。探索者の数そのものは増えているけれど、質が低下しているんだよ。支部間でのパワーバランスにも影響が出ていて、本部からも、昔みたいな扱いはされなくなっているん。……特に、君がいなくなってからは」


 完全な裏話だ。俺は耳を掻きながら欠伸する。


「露骨に興味なさそうにされるとムカつくね」

「興味ないんで」

「……まあいい。簡単に言おう。仙台支部に、注目を集めたいんだよ。狐森さんは」

「そっちの方が素直で分かりやすい。なるほどね」

「協力してくれるね?」


 俺は薄ら笑いを浮かべた。


「拒否権ないんでしょ。てか俺、じゃあ普通に顔出しとかするの?」

「いや。変装はしてもらおうか。ネタばらしは後だ。きっとその方が、面白くなるから」


 爪の先が机を叩いた。


 狐森は背もたれに体重を預ける。


「よし。理解してもらえたなら結構。話は以上だよ。帰ってよし」

「え。なんかいきなり冷たくない……?」

「男女の関係なんてそんなものさ。ちなみに」


 とんとん。


 また、爪の先が机をノックした。


「狸谷の妨害には気をつけろ。こちらも用心するが、あいつはあいつで強敵だ」


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