10.伝説の動画について


   10



 家に帰ったら忍者がいた。


「おー。おかえりでござるよ主殿。ちなみに妹君いもうとぎみは買い物に出かけたでござる。つまり、二人っきりでござるな?」

「おまえ、なんなの?」

「主殿の隠密でござるよ」


 くノ一ことスズリは当たり前みたいに俺の部屋にいた。普通に俺のベッドで横になって秘蔵の同人誌(R18)を読んで足をぱたぱたさせてくつろいでいた。


 もはや俺以上に俺の部屋に溶け込んでるんだけど? なにこれ? ドッキリ? とりあえず俺はスズリの足を引っ張ってベッドから落として同人誌を奪ってベッドの下に戻す。どうして同人誌の場所がバレたのかはさっぱり分からない。


「ちなみに主殿、配信機材は整っているでござるか?」

「いや、まったく。てか帰ってくんね? 俺ちょっと仮眠したいんだけど」

「狐森殿に手ひどく攻められていたでござるからなぁ。疲れたでござるか?」

「……なんで知ってんの?」

「? 見ていたからでござるよ」


 やはり当たり前のようにスズリは言う。小首を傾げる姿は動物園で珍しい生き物を見つけた子供の仕草にも近しい。そして俺は自分の中にあるスズリに対する評価というものを一段階上げることにした。


 なぜなら俺も狐森もスズリに盗み聞きされていたことに気がつかなかったからだ。六年のブランクがある俺はともかくとして、狐森を出し抜いたというのは優秀だった。


 俺はベッドに座る。そのままスズリを見上げて言う。


「配信機材ってほどのものじゃないが、丈夫なカメラは持ってる。ダンジョンに持ち込める用の。専門店で買ったことがあるから」

「ああ。あれでござろう? 『S級ダンジョン攻略してみた(笑)』の」

「それそれ! よく知ってるなぁ。さすが忍者」

「いや。……あれはむしろ知らない人を探す方が珍しいレベルに有名でござるが」

「お世辞はいいよ」


 あの動画を知っているのはコア以外の何者でもないだろう。俺の隠密を自称するだけはある。


 ちなみに『S級ダンジョン攻略してみた(笑)』は当時のグループメンバーに「撮ってみてよ~」とすすめられて撮影したものだ。つまるところノリだ。よってクオリティは低い。画質や音質も良いとはいえない。


 完全に内輪ノリで投稿したのでアカウントも忘れてしまった。いまや削除することも出来ない。……いやまあ。あの動画を視聴する奴なんてスズリみたいな限られたコアなファンだけだろうけど。


 なにせ最初の一週間の再生回数は脅威の8回だったのだから。


「実技試験は来週の水曜日でござるよね?」

「いえす。その前にちょっとアマチュア用のダンジョンで、深呼吸だけでもしてこようかなとは思ってるんだけど」


 ベッドの上で伸びをしながら答える。


 アマチュア用のダンジョンとはその名の通りだ。探索者ライセンスを持たずとも探索することが可能な場所。それこそ一種のアトラクションに近い。よく一般人のカップルや家族連れが遊んでいる。


 俺もたまに深呼吸だけをしに行く。三時間ほどダンジョンの入り口で深呼吸だけをしていたこともある。もちろんカップルには苦笑される。家族連れにはリアルに「見ちゃいけません!」と扱われる。俺は気にしない。


「深呼吸でござるか。魔素マナを吸っているんでござるね?」

「いえす。アマ用だから、微量だけどな」


 魔素マナ――ただの人間に過ぎない探索者が、どうしてダンジョンにおいて凶悪な魔物達と互角に戦えるのか? というのは魔素マナと呼ばれる要素に答えがあった。



 ダンジョンには魔素マナが漂っている。



 そして魔素マナこそが人間を覚醒させる鍵だ。魔素マナに適応すれば身体能力は飛躍的に上昇する。一撃のパンチで大岩を穿つことも可能だ。また手から火を放ったり、なにもない空間に雷雲を呼び起こすことさえも。


「ちなみに主殿、魔素マナ共鳴率ハーモニー・レートはどれくらいでござるか? 拙者は37%がアベレージでござるが」

「大体100だよ」


 答えながらに欠伸をする。大きな欠伸を。目から涙が出てしまうほどの欠伸を。そして頬に滑っていく涙の粒を指でぬぐった。


 その間にスズリは口を空けてぽかんと固まっていた。お手本のような硬直だ。なるほどスズリはデッサンモデルに丁度良い人材かもしれない。とりあえず俺は部屋の隅に置いてあるスナック菓子を開封してスズリの口に投げ入れる。ぽいぽいぽいぽい。


「……ふぁふぇひふぉお」

「食べてから喋れ」

「んぐ。むぐむぐむぐむぐむぐ……」

「これ美味いだろ。俺好きなんだよ。やっぱりしょっぱさが正義っていうか」


「100ってなんでござるか!? そんなことがあり得ていいのでござるか! 100って! いかれてるでござるよ主殿! ちょっと身体を触らせるでござる!」


 目を剥きだして迫り来るスズリの迫力はB級ゾンビ映画にも劣らなかった。俺は片手を突き出してスズリの突進を止める。しかしスズリはその場で足踏みしながら続ける。


「100って……100ってなに!? 共鳴率ハーモニー・レート100%ってなに!?」

「気をつけろ。が出てるぞ。ござるはどうした」

「つまり主殿はあれでござるか! 魔素マナの濃度がそのまま身体能力とか超能力に適応されるでござるか!?」

「ござるでござるよ」


 俺はお気に入りのスナック菓子を貪る。


 ところで『共鳴率ハーモニー・レート』というのは『魔素マナの人体に対する影響率』とも言い換えることが可能だ。つまりたとえば共鳴率ハーモニー・レートが0%であるならば――その人間はダンジョンにおいてまったくの無力である。


 なにせ人体を強化する魔素マナがまったく働かないのだから。


 逆に共鳴率ハーモニー・レートが10%ならばそれなりの力が発揮される。30%ならばなかなかだ。50%もあれば天才と呼ばれる領域である。


 スズリは力が抜けたように床にへたり込んだ。


「でも凄いな。37%もあるなんて」

「いま言われてもまったく嬉しくないでござる。……いや。ちょっとは嬉しいでござるけど」

「まあ大丈夫。探索者として活動していけば伸びていくから」


 人間の最も優れている能力は適応能力だ。俺も小学生の頃の共鳴率ハーモニー・レートは20%くらいであったはずだ。まあ、小学生にしてはかなり高い方だったのだが。


 中学生のときに一気に伸びた。いわゆる遅れてきたゴールデン・エイジによる影響だろう。中一で共鳴率ハーモニー・レートは20%から40%へ。中二では55%へ。そして高校二年生のときに共鳴率ハーモニー・レートは100%を記録した。


「でも絶対、拙者は一生かかっても100%なんて数値には届かないでござるよ。50%にさえも」

「天才でごめん」

「本当に天才っていうか……ダンジョンに潜るために生まれたみたいな人なんでござるね、主殿は」


 俺は手に持ったスナック菓子をつまんでスズリの口元へと持っていく。


 スズリはまるで親鳥の給餌きゅうじを待つ雛のようだ。俺の指ごと唇でついばんで菓子を食べていく。指先がペロリと舐められて、くすぐったさに鳥肌が立った。


「でも、なるほどでござるな。あの動画の謎が解けて、スッキリしたでござるよ」

「あの動画? 謎?」

「『S級ダンジョン攻略してみた(笑)』でござる」

「謎なんてあったか? わりとシンプルな動画なんだけど」


 はああ。


 瞬間に吐き出されるスズリのため息は語尾に(クソデカ)という形容をしても不足ではないくらいに、大きかった。スズリはそのまま呆れた様子で言う。


「あの動画で主殿、【業火の悪魔インフェルノ・デビル】をぶっ倒してるでござるよね?」

「ああ。ていうかそれがメインだけど。攻略してみたってタイトルにしてるけど、実際は最深部にいる【業火の悪魔インフェルノ・デビル】を倒しているだけっていう。いわゆる詐欺だな」

「ただ倒してるわけじゃないでござるよね、あの動画は」


 スズリの視線が湿っていく。じとじとと。まるで雨上がりの公園で誰からも避けられてしまうベンチの木目のように。


「――金属バット。主殿は金属バットだけで【業火の悪魔インフェルノ・デビル】を倒したでござる。他の武器も、魔法も使わずに。金属バット一本で、【業火の悪魔インフェルノ・デビル】を、殴り殺した」

「うーん。言葉にするとむごいな。……当時はアウトロー系の漫画に憧れてたんだよ。だから」

「規格外の理由の一端が知れた気分でござるよ、いまは」


 次のため息に滲んでいるのは呆れではなく諦念ていねんだ。どうして諦念なのかは俺には分からない。それでもどこか諦めたようにスズリはため息を吐き出して、それから立ち上がって言う。


「さて、と。じゃあ、十日後にまた来るでござる。配信機材は手配しておくでござるよ。ちなみに、試験用のダンジョンは最低級でござろう?」

「F級ダンジョンって話だ」

「承知でござる。主殿であれば余裕でござるね?」


「まあ。――何事も起きなければ、な」


 そしてなにも起こらない平穏な日常が続き、実技試験の時はやってくる。




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