25.火島の鉄拳、狸谷の呻き


   25



 遡ること三十分。


 駆けつけた炭谷すみやスズリは、膝を折りたくなった。


「――おぉ。なんだぁ? おまえ。ああ。知ってるぞ。炭谷スズリだな? どうしたんだよこんなところで? なあ? 悪いがここから先は立ち入り禁止だぜ?」


 一歩、遅かった。


 狸顔の小太りの男――狸谷が、いやらしい笑みを浮かべて言った。


 宮城県北西部にあるとあるF級ダンジョンの手前だった。周りには田畑だけがあった。そして田畑の中心部には黒い案山子かかし――ダンジョンへの入り口。しかしいまは周囲を包囲されている。仙台支部に勤める探索者協会の人間達、しかも主に、狸谷の派閥と思われる人間達によって。


 ――最悪でござるな。


 口元の布を引き上げるようにしながらスズリは思う。


「しかし問題だなぁ。どうして一介の探索者にしか過ぎないおまえさんが、こんなところにいる? まるで、このダンジョンが試験に使われたダンジョンだと分かっているような登場の仕方じゃないか? えぇ? おいおい。まさか情報漏洩か? こりゃ責任問題だな。情報を漏らした奴を徹底的に調べて――」


 相変わらず口うるさい奴だった。また言っていることもある意味では正しいからはらわたが煮えくり返る。確かに――情報漏洩ではあるのだろう。


 およそ一時間前だ。


 レミーが店主を務めるBAR『ラブちゃん』において、スズリは言われた。元記者・現仙台支部の職員であり、緩く巻かれた茶髪が特徴的なお姉さん気質の女性、リンに。


『ちょっと弟くんを助けにいってもらえないかしら。狐森さんには私が話をつけておくから。出来れば、それなりの人数で』

『リン殿はゴロウ殿の姉じゃないでござるよ』

『弟よ?』


 普段は真面目で切れる頭を持っているのに烏丸ゴロウのことになると頭がおかしくなる。しかし、それは自分も同じか? 心で自嘲しながらスズリはBARを出て――最悪を想定した。最悪の事態。つまり、あのリンが「烏丸ゴロウを助けに行った方がいい」と決断したのだから、かなりの強敵。


 ゲームでいえば、ラスボス級の、相手の登場。


 あり得ないことだと分かっていながら――スズリはしかし想定する。




 たとえば相手は――【悪魔の王サタン】とか?




 もちろんあり得ない。あり得ないけれど最悪を想定して動く。よってスズリは仲間集めに奔走した。それも、自分が関わり合っている中で、最強の仲間を。かつ烏丸ゴロウという人物をよく知っている人間を。


 テレサに連絡したのはしのびとしての直感だった。


 同時刻にリンから連絡があった。連絡には実技試験に使われている秘密のF級ダンジョンの座標が記されていた。だから現地集合。テレサと【十六夜の黒鳥ピース・バード】と現地で集合すると連絡して――いまに繋がる。


 いま、黒い案山子の手前には狸谷の息がかかった職員達と探索者達がいる。たぶん救助隊のほとんども狸谷の息が掛かっているに違いない。


「だが、おまえが情報漏洩の大元をいまここで正直に白状するってなら、罪を軽減してやることも考えないとなぁ。正直者には、幸あれ、だ」

「……まだ救助が完了していない探索者達がいるでござるよね? 拙者は、その者達を救出するために来たでござる」

「なにを言っている? 炭谷スズリ。貴様は今回、お呼びじゃないぜ。帰れ」

「救出は済んでいるでござるか?」

「何度も言わせるなよ? おまえの知ったことじゃないんだよ、そんなことは。帰れ」

「まだ救出されていない受験者が」

「おまえの知ったことじゃないッッ!」


 いきなりの怒号は腹の底を震わせるほどに迫力があった。


 もしもスズリがB級探索者ではなくD級などの探索者であったならば、それだけで足がすくんでいたことだろう。さすがに魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこする探索者協会というところで、役職ある立場を死守しているだけはあるということだろうか?


 スズリは自然、腰の後ろに手を回していた。そこには黒塗りをして衣装に溶け込ませている小さな手裏剣が仕込まれている。


 ――まだ救出されたグループは少ないでござる。ゴロウ殿も、まだダンジョンの中にいる。無事に進んでいるならば事も無しでござるが、万が一、この異変によって引き起こされた最大級の危険の中にいるというのであれば、たとえライセンスを剥奪されたとしても、拙者は助けに行くべきでござる。……というか。


 助けなければ、恩を、返せない。


 ゴロウは覚えていなかった。いや。当然か。助けられた当時はまだ忍び装束に身を包んではいなかった。まだ、ただのF級探索者。学生の探索者に過ぎなかった。


 助けられた。


 救われた。


 命を。


 烏丸ゴロウに。


 そしてそれはなにも、特別なことではない。スズリだけが経験していることではない。たぶん、仙台に限らず、県内のダンジョン探索者には多いのではないだろうか? さらに東北地方には……烏丸ゴロウにダンジョンで救われた探索者というのが、特別ではないくらいに多いのではないだろうか。


「そこを退いてほしいでござるよ、狸谷殿」

「なんだあ? おまえ、暴力か。はは。その後ろ手に、なにを握ってやがる?」

「狸谷殿。拙者は、進むでござる」

「いいぜ、やってみろよ」


 狸谷はまるで恐れることなく両手を広げた。さらに視線を周囲へと配る。


 周りには人の目があった。狸谷の息がかかった人間達だ。さらに受験者達も怪しい。すこし前に様子を窺ったとき、救助されたグループの受験者がへこへこと狸谷に頭を下げていた。さらに狸谷も気安く肩を回していたりした。だから……ここには、狸谷派閥の人間しかいないと考えていい。受験者を含めて。


 強硬手段に移れば、間違いなくライセンスは剥奪される。それどころか。


「そういやぁ、これは当たり前の常識だけどよぉ、探索者の一般人に対する暴力っていうのは、執行猶予なしの一発実刑だぜ? どれくらい刑務所にいくんだろうな? な?」

「……それを言うのであれば、貴様も責任問題でござろう?」

「責任問題? 俺はただ、俺の役割を全うしてるが?」

「実技試験でこんな状況を招いておいて」

「そいつは俺の管轄じゃねえんだ。俺はただ、ほら、見ろよ? いまも救助された奴らが来たな? 俺は適切な人員を配置し、救助隊を派遣し、いままさに受験者を助けている。むしろ英雄側の立場なんだぜ?」


 狸谷の視線の先。


 黒い案山子が輝いた。ゆっくりと、しかし大きく。それは車のヘッドライトが急にハイビームへと変化する瞬間にも似ている。そして光が落ち着くと人間が、受験者グループが現れている。まるで手品みたいな現象だ。


「ほら見ろ。俺様のお陰でまた助かった。これのなにが責任問題なんだ? 炭谷」

「……ゴロウ殿は?」

「はあ?」

「ゴロウ殿はまだ救出されていない。ゴロウ殿の救出は?」

「さてなぁ。どうなんだろうなぁ。まあ、安心しとけよ。たとえそれが遺体だったとしても、ちゃんと表に出してやるからよ」


 意地悪く口角をつり上げた狸谷の顔面を見て、スズリは腹を決めた。殺してでも救出に行こう、と。まだ現地に集合していないテレサと【十六夜の黒鳥ピース・バード】の連中をおいて、ひとりででも、助けに行こうと。


 そして手裏剣を指で挟んで狸谷の首筋に狙いを定めた、瞬間だ。



「狸谷さん」



 いましがた救出されたばかりの、壮年の男。どこか苦労人の様子を醸している男がゆっくりとこちらに近づきながら、言った。


 そして狸谷が浮かべるのは営業的な笑みだった。かつ精神的な優位に立っている者の笑みでもあった。つまり、狸谷の息が掛かった人間か。こいつも。


「おぉ、火島さんじゃねえか。いやあ災難だったな。でも安心しろよ。俺は約束を破らねえさ。だから」

「いや、もう、いいんだよ」


 肩に回そうとした狸谷の腕を、火島と呼ばれた男は、振り払う。


「? いいってなんだよ、火島さん。あんた今回の試験に賭けてたじゃねえか。人生ってやつをさぁ。安心しろって。次回は」

「もしも次回があるとして、俺は、自力でやる」

「……あ?」

「まあ、次回なんてないだろうが。……俺は、俺のままでいい。一般人のままでいいさ。身の程を、知れたよ」

「なに言ってんだ? 火島さん」


「目が覚めたって話だ」


 ――鉄拳が、握られた。


「俺はクズだが、おまえは、もっとクズだ」


 静かなる叫び。


 なにが起きたのか、スズリには、理解ができなかった。


 たぶん、狸谷にも。


 唯一、この場において身体を動かしたのは火島だけだった。火島という男の筋肉質な腕が、鋭く伸びた。空気を切った。それはスズリには余裕で目で追える速度――しかし。


 一般人である狸谷には、見切れない速度。


 鉄拳が狸谷の顔面を打ち据えた。肉を震わせ骨を叩く音。ぐらり、と狸谷の身体がよろめく。一歩、後ろへ。なにかを言おうとする、その言葉にかぶせるようにさらに一発、左のジャブが狸谷の頬を打った。さらにぐらり。火島が踏み込む。次の一発はスズリの目でも残像が残るほど、速かった。


 鉄拳制裁!


 拳のストレートが綺麗に伸びきって狸谷の顔面を破壊した。それは見事な拳だった。体勢も力の入れ方も完璧だった。地道に鍛えてきたのだと分かる。探索者になるために鍛錬を積んできたのだと分かる。そんな一撃だった。


 狸谷は吹っ飛んで仰向けに地面を滑る。後頭部がアスファルトに跳ねた。遅れて、周りの職員がこちらに駆け寄ってくる。


「そこ、なにをしているんだ!」

「せめてもの、罪滅ぼしだよ、馬鹿共が。いい加減に目ぇ醒ましやがれよ。どいつもこいつもよお! こんな男の甘言に乗りやがって!」


 火島が唸り、そしてどこからか、口笛が鳴った。


 スズリは口笛に振り返る。


 いつの間にか立っている、四人がいる。



 もこもこの髪の毛をカラフルに染めてその上に帽子をかぶり、さらに服装も目が痛くなるほどカラフルなファンシーファッション、棒付きキャンディを舐めている、女。


 雲母きららメアリ。



 唇を尖らせ、口笛を吹いたと思われるのは、小柄な身体に季節外れのスーツコートを羽織った、どこか小生意気な顔つきをしている、ともすれば少年と見紛う童顔の、男。


 黒田くろだリックン。



 燃えるようなあかの髪を腰までストレートに伸ばし、悪戯な顔つきから覗く八重歯がチャーミングな、パンツスタイルがよく似合っている、どこか子供っぽい、女。


 赤月あかつきシャボン。



 そして――テレサ。


 白髪のショートカット。D級冒険者に関わらず、ある種の覚悟を表情に張り付かせていた。新進気鋭の将来有望として仙台支部でも有名だった。烏丸ゴロウと、一番付き合いの長いことでも。


 そして、だからこそ、この場に、呼んだのだ。


「ほらっ。行けよ、嬢ちゃん達。あの変態を救え!」

「っ。てめぇら、侵入したら、ライセンス剥奪だぞぉ! この狸谷様が」

「おめえにそんな権限、あるわけねえだろうがっ! それに、あいつらは救助隊だ! 俺達を助けた――変態男を助ける、救助隊だ!」


 倒れ伏す狸谷に馬乗りになり、火島が叫ぶ。拳が振り上げられ、そして職員が殺到した。瞬間、スズリ達は走り出している。進入禁止のテープを乗り越え、黒い案山子の左手に、全員でタッチする。


 五秒。


 気がつけば――ダンジョン。




 ――伝説のグループ、【十六夜の黒鳥ピース・バード】による最速のダンジョン攻略は、僅か十五分で決着を迎えることになる。


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