7.VS 狸谷


   7



「狸谷さんってそんな酷い人なんすか? 先輩。私べつに普通な感じで思ってたんすけど」

「どうだろうな。別にそんな、めっちゃ性格が悪い人ってわけじゃないぜ。たぶん。まあ俺にとっちゃ悪い人だけど。極悪にな」


 狸ジジイ――狸谷はあくまでも俺を目のかたきにしていただけで他の探索者に対して態度が悪いわけではない。……いや。まあ。もちろん依怙贔屓えこひいきの分かりやすいジジイではあった。気に入った探索者にはどこまでも甘いのだ。


 しかし気に入らない探索者には冷たく、無関心を貫く。果てしなく嫌われてしまうと実際に嫌がらせを受ける。俺のように。


 駐車場でスズリと別れてからそのまま探索者協会・仙台支部へと乗り込む。


 テレサはセキュリティゲートを簡単に抜ける。俺は端の方まで歩いて警備員に本名を告げなければならなかった。


「烏丸ゴロウという者です。ライセンスの筆記試験で来たんですけど」

「……は。あ、あなたが? 烏丸ゴロウ?」

「はい」

「……しょ、承知しました。身分証明書をご提示ください」


 残念ながら俺は免許証を持っていないのでマイナンバーカードで済ませる。その間にも警備員は困惑の表情を見せていた。こめかみから汗の玉も流れている。俺を明らかに疑っていた。なぜだろう?


 俺はギチギチのキャップ帽を目深にかぶり直して思う。それから斜めに掛かったサングラスをくいっと中指で持ち上げた。


「か、確認いたしました。お通りください。そのまま正面の受付に試験のむねを伝えていただければ問題ありませんので」

「ありがとうございます」

「あのっ」

「はい?」


 警備員の気配が変わる。どこかこちらを窺うように顔色を変化させた。そして俺はその顔色の変化というものに既視感があった。……ここ六年は引きこもって人とコミュニケーションなんて取っていないから人を相手に既視感なんて覚えるはずがないんだけど。なんて考えながらも、俺は自然と右手を伸ばしていた。


 握手。


 言葉は要らなかった。なぜなら六年前にはよく対応していたのだ。いわゆるファンサービスのようなもので。小っ恥ずかしくて俺はあまり得意ではなかったけれど。


 どうやら正解だったらしい。


「頑張ってください!」

「ありがとう」


 応援を背中に受けながらセキュリティゲートを抜ける。テレサは受付の手前で俺を待っていた。そのまま合流して受付を済ませてしまう。


 警備員と同じく受付の職員も困惑を露わにしていた。まったく不思議だ。けれど最終的にはその受付の職員とも俺は握手を交わした。受付さんは喜んでいた。どうやら仙台支部は握手フェチの人間が多いらしい。


「先輩、なんか勘違いしてないっすか?」

「? いま気持ち悪ぃ勘違い野郎だなって言った?」

「耳大丈夫っすか?」

「いま腐った耳を垂らしてるんじゃねえよ勘違い野郎って言った?」

「あーあ。ハサミでチョキチョキ先輩の耳を切りたいっす」

「ひぃ。俺の聞き間違いだよね?」


 ところで筆記試験は十人一組で行われるらしい。俺の組の開始時間は三十分後だった。


 待ち時間を潰すのは食堂だ。六年前と比べて全体的に清潔感が増している。食堂を利用している探索者達にもマナーが見て取れた。なにせ俺がよく食堂を利用していた時期――それはもはや十年前にも遡るのだが、昼間から酒を浴びるほど飲んで泥酔した探索者が周囲の探索者に絡みまくったりしていたのだ。


 ちなみに食堂は食堂ではあるけれど形式としてはショッピングモールのフードコートにも近い。ありとあらゆる飲食店が揃っていた。


「なんか食べるっすか? 買ってくるっすよ」

「んー」

「それかコーヒーでもいいっすけど」

「トイレ」

「トイレの水はばっちぃっすよ」


 テレサのごとを無視して食堂を出る。トイレに向かった。


 ……歩いていると視線をよく感じた。謎だ。どこからどう見ても変装は完璧だからだ。俺が烏丸ゴロウだと分かって視線を向けているわけではなさそうである。


 試しに聴覚を研ぎ澄ませるとひそひそとした話し声が聞こえてくる。


「おい。あの気持ち悪い奴、なんだよ」

「さっき受付してたわよ? 詳しくは聞こえなかったけど」

「今回の試験にのぞむひとりでしょ」

「マジかよ。あれで? 気持ち悪ぃ。普通に辞退しろよ」

「ああいう痛い奴っているわよねぇ」


 どうやら俺は初対面の人間に好かれる才能を持っているらしい。俺はつい嬉しくてニタニタしてしまう。口角がマスクからはみ出してしまうほどに深く。そして俺の噂話をしている三人に顔を向ける。手を振った。


「ひぃっ」

「もはや魔物だろ」

「職員さんに報告しましょうよ。魔物が人間に化けてるって!」


 好かれてる好かれてる! 俺は全身でぶんぶんと手を振って彼らがこちらを見なくなるまでファンサービスをしてからトイレに向かった。



「まあ――」



 そして、俺は無人のトイレで呟く。


 便器の前で用を足す。トイレに人気ひとけはなかった。けれど一つの足音が入り口から近づいてくる。硬い足音だった。こつ、こつ、こつ、こつ。一定のリズムを刻む足音は――俺の隣で止まった。


「便器、たくさん空いてますけど」

「だからなんだよ」


 乱暴な言葉使いは相変わらずだ。俺は普通に素で笑った。それから言う。


「あんたは俺のことが本当に嫌いですよね」

「安心しろ、嫌いじゃねえよ。殺してぇほど大嫌いなだけだ」

「俺は好きですよ、あんたのこと」

「黙れ。本気で殺すぞ」

「だはは。老いぼれには無理だ。これでも元S級探索者なんで」


 隣に立っているのは俺よりすこし身長の低い白髪の男だった。年齢は四十代後半。白髪が目立っているけれどそこまで年寄りではない。顔つきも精悍だ。しかし眉間の皺は濃い。なるほど怖いジジイだった。


 狸ジジイ――狸谷。


「クソガキ。ざまぁねえぜ。楽に生きたけりゃ俺の言うことを聞いときゃよかったのに」

「嫌に決まってるでしょ。あんたに気に入られても自由がない。ヤンデレ彼女に愛されるみたいに束縛されて終わりだ」

「六年前。おめぇは辞めた理由を『飽きたからだ』と言った。だが実際は違ぇんだろ?」


 俺は便器を離れる。


 狸谷は振り返らずに言う。


「耐えられなかったんだろ? S級探索者とは思えねぇほどの待遇に。もちろん金は出る。三階のワンフロアも自由に使える。だが……攻略を指示されるダンジョンはすべて命の危険が付き纏う超弩級だったもんなぁ! それで心が疲れちまったんだろぉ! なあ!」

「いや。普通に飽きたからだけど」


 俺は当時を思い出して言う。そうだ。別に命の危険とかはどうでもよかった。もちろんグループを組んでの探索が主だから、メンバーには気を遣ったけれど。


 とはいえ俺自身が危険に対してなにかを思うことはない。むしろ。


「あの日々は思い返してみると贅沢すぎるくらい楽しかったぜ。ありがとよジジイ」

「……強がりはよせ」

「いや普通に本心なんですけど」

「いいか? おまえが俺の軍門に今度こそくだろうってなら、好待遇で迎えてやる。F級からS級まで、なんの危険もなく――」

「じゃあそろそろ行くわ」

「待てや!」


 狸谷はやっと小便を終えたらしい。まったくいつまで待たせるつもりなのか。学生の連れションとは訳が違うというのに。


「おまえに一つ、言わなきゃならねぇことがあったなあ」

「なに。愛の告白?」


「――今回の筆記試験。おまえの問題だけ俺のお手製だぜ。意味は分かるな? ひひひ。どの職員をたらし込んだのかはわからねぇけど、まったく。最後のチャンスをあげたっつぅのによぉ。ま、おまえは探索者としては天才だが、頭はどうかな? な? 自覚してんだろ? お馬鹿さん。そんじゃ、お疲れとぉ」


 ああ。すべてバレていたのか? すべての暗記時間は無駄だったのか。まあ、協力者がリンさんだとバレていないという点は幸いか。よかった。


 去っていく狸谷の背中を俺は見送る。絶望に染まった表情で。



 そして狸谷が勝ち誇った顔でトイレを出てから、真顔に戻った。



「まあいいや。普通に解くか」



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