6.くノ一(やべー女)
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俺の変装は完璧だった。というか明らかに俺は不審者だった。
頭が入りきっていないキャップ帽に、ツタがねじ曲がってもはやレンズの位置が眉毛くらいにあるサングラス。しかも女児向けアニメのキャラがプリントされている蛍光色のマスク。
「テレサ、俺はなんだ?」
「絶対に隣を歩いていてほしくない男ナンバーワンっす」
「そんなことないでござる! 隣を歩いていてほしい男ナンバーワンでござる!」
「テレサ。この、くノ一のコスプレをしている不審者はなんだ?」
「やべー女っす」
テレサはいつも正しい。やべー女だった。そして俺は絶対に隣を歩いてほしくない男ナンバーワンだった。ちなみにテレサは美少女。一体なんなんだ? この混沌は。
俺は明らかにコスプレとしか思えない、忍び装束を身を纏った女に向き直る。
枝毛一つなさそうな艶やかな黒髪はサイドで縛られている。口と鼻は黒い布に覆われている。しかし形の良い眉と整った目だけで女が美人であることは分かる。
胸は隠されているけれどお腹と足は大胆に露出していた。「きゃーでござる! 見られてるでござる!
「なんで俺が烏丸ゴロウだって分かった?」
「? 分かるでござるよ。なにを当たり前のことを言っているでござるか? 主殿。拙者は主殿の隠密要員でござるからね。むしろいままで主殿はどこに消えていたでござるか? せめて拙者に一言告げてから消えてほしかったでござるなぁ。まあ、もう安心するでござる。これから一生、死ぬまで目を離さないでござるから」
「テレサ! 警察を呼べ!」
「は、はいっす。うわぁ、緊張するっす! いざ警察を呼ぶってなると! えーと。119と」
「ばかそれは時報だ! なにしてるんだ! はやく呼べ!」
――弾丸。
に思えてしまうほどの速度でくノ一は手を伸ばした。テレサが持っているスマホに。そして俺はくノ一の手が描く残像の軌跡を目で追った。……かろうじて。
くノ一はスマホを奪ってしたり顔をする。
しかし俺が考えるのは別のことだ。
なるほど。俺の動体視力はここまで衰えてしまったのか。最盛期であれば走行中の新幹線の窓に貼り付けられた五桁の数字をくっきりと視認することが出来たのに。いや。というか六年前であればくノ一の手を掴むことも可能だっただろう。
俺は衰えた。だから俺は笑って言う。
「まあいいや。変人には慣れてるから」
「先輩も負けず劣らず変人っすけどね」
「名前は? くの一」
「スズリでござるよ、主殿。夢の中で何度も自己紹介は済ませたはずでござるよ」
「俺の夢におまえが出てきたことはない」
スズリという名前に心当たりはなかった。しかし見た目からして俺と歳は近そうだ。あるいは六年前に一方的に知られている可能性はある。なにせ当時の俺はイケイケ(死語)だったから。
ダンジョン探索関連で例を出せば、それこそ探索者協会・仙台支部の三階のワンフロアが自由に貸し出されていた。一国の王様みたいな扱いだった。……まあ、それはしかし俺が特別扱いされているわけではない。むしろS級探索者レベルではそれくらい優遇されて当然らしい。
色々と政治的な側面の利権が絡んでいたりするのだろう。協会支部ごとに力関係もありそうだった。S級探索者というのは抱えているだけで利益を生み出す存在でもあるのだから。
そう考えてみると俺が辞められたのは仙台支部の良識のお陰だろう。……ひとりを除いて。
俺はいけ好かない狸ジジイを思い出す。
「ちなみに、待ち伏せだよな。どう考えても。……どうして俺が今日ここに来るって分かった?」
「む。うーむ。ちょっとお耳を拝借してもいいでござるか?」
「しょうがない。ちょっとだけよ」
俺は膝を屈めてスズリと身長を合わせる。黒い布越しにしっとりとした吐息が
「ちなみに、主殿」
「てか主殿って呼ぶのやめてほしいんだけど」
「いまここで息をふーってやったらどうなるでござる?」
「あふん、ってなる」
「ふぅーーっ」
「あひぃいいんっ」
頭蓋骨の表面をやさしく撫でられるみたいな感覚。……なんてやってる場合じゃなかった。いまの吐息でせっかく暗記した試験の内容が頭から流れていってしまいそうだ。危ない危ない。
「主殿、ライセンスを再取得する際に正直に名乗ったでござろう? 電話口の人間に」
「そりゃ名乗ったよ。当たり前だろ」
「じゃあたぶん電話を受け取った人間から情報が漏れたんでござるね。まあ安心するでござるよ。探索者の中でこの情報を知っているのは一握りだけでござる」
「いや。普通に一握りが知ってるだけで問題だと思うんだが」
「主殿が望むなら拙者が動くでござるよ? 主殿の情報を漏洩した不届き者を捕らえることも可能でござる」
「いや、それはいい」
俺は立ち上がってスズリから離れる。というかいまの会話のどこに内緒話の要素があったのだろうか? 単純に俺をからかいたかっただけではないのか。
ふと視線を向けると、スズリが意味深長な視線をテレサに向けている。それはどこか勝ち誇っているような視線だった。そうしてスマホを返しながらに、スズリは言う。
「返すでござるよ。これは」
「……先輩、やっぱ警察呼ぶっすね。こいつむかつくっす」
「? もう呼ぶ必要ないだろ」
「ちなみに主殿。先に謝っておくでござる。信頼できるフリーのWebライターには主殿が復帰するって、漏らしたでござる」
「え。なんで?」
「先輩ほら! こいつダメな女っす! 警察を呼びましょう! 逮捕っす!」
「情報というのは最初の出し方が肝心でござるよ。その上で、他の信頼できないライターには主殿のことを書かせたくはなかったでござる。どうせいつかはバレる話でござろう? その際、変に
スズリの漆黒の瞳は真摯な輝きを発していた。かつスズリの言葉には説得力があった。確かに情報というのは出し方によって大きく印象が変わる。
「それで、主殿。これからもよければ隠密として動かせていただきたいでござる。なあに、主殿は使い捨ての駒みたいに扱っていいでござるよ。雑に扱ってなんぼでござる。それにそっちの方が拙者もこうふ……ごほん。なんでもないでござる」
「もうなにがなんだかよく分からん」
「そろそろ時間でござるね。これが最後の忠告になるでござるが」
「なに?」
「――人事部の
狸ジジイ――あいつか。
思い出す。かつて受けた嫌がらせの数々は酷いものだった。ランク昇級試験でも必ずあの狸ジジイはひとりだけ反対を挙げていた。俺という人間を徹底的に妨害するために。
そして俺は嬉しくなって、笑った。
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