5.試験当日


 

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『――烏丸ゴロウが復活するかもしれない』



 フリーで活動しているWebライター、とどろきハネコは垂れた黒髪を掻き上げる。顔つきは怜悧れいりで鋭い。誰しもが美人であると認める容姿をしていた。にも関わらず近寄りがたいオーラを激しく放っている。


 長身痩躯。


 黒のレディーススーツに身を包んだハネコが向かうのは仙台駅の東口に居を構えている巨大な建造物だ。――探索者協会・宮城県仙台支部。


 目的は取材だ。とある噂が耳に入った。にわかには信じられない噂が。……あの伝説の探索者・烏丸ゴロウの復活という、噂が。


 入り口を抜けるとエントランスに出る。広い空間をセキュリティゲートが横断していた。さらに屈強な警備員がいたるところに立っている。……近くにいる探索者達はライセンスをタッチさせてゲートを抜ける。


 ハネコはゲートの脇にある警備員の詰め所へ行って身分を証明してから中に入った。


 一階には食堂と受付が広がる。


 二階には装備や道具などの売店が。


 三階は探索者達の休憩所だ。レストランもある。ちなみにどうやらランクによって休める場所や入れるレストランも違うらしい。たとえるならばE級まではカプセルホテル。逆にA級以上はスイートホテルの一室のような。


 ハネコが足を運ぶのは食堂だった。


 目的の相手は既に食堂の端にある二人席でハネコを待ち構えていた。



「ハネコ殿」



 無表情にハネコを迎えるのは、可憐なくの一だ。お腹と足が大胆に露出した、黒一色の忍び装束に身を包んでいる。


 ――B級探索者・スズリ。


 口元は薄い黒布で隠されている。スズリが喋ると布がかすかに震えた。


「スズリ。それでメールの内容は本当なの?」

「本当でござる。どうやら電話があったらしいでござるな。……ライセンスの受験を告げる、電話が」

「烏丸ゴロウから?」


 スズリは無言で頷いた。


 しかしハネコにはやはり信じられない。というか想像がつかない。あの烏丸ゴロウが……嵐のように現れてはS級探索者として伝説に君臨し、これからが期待されている絶頂期に、今度は陽炎のように突如として消えていった、あの烏丸ゴロウが……戻ってくる? しかも律儀に探索者協会に受験申し込みの電話をして?


「それ、本当なの?」

「本当でござるよ。それに実は拙者、会おうと思ってるでござる」

「え?」

「受験日が分かったでござるから……会ってサインを貰おうと思ってるでござるよ」


 一体どうして受験日なんていうプライベートなことが分かるのか? というのは訊かなくても理解できた。なぜならスズリはとても悪い顔をしているから。



   5



 試験当日の朝は妹のミダレに起こされるところから始まる。ちなみに俺の部屋はミダレに侵入されすぎたことで厳重警戒態勢をいていた。具体的にはまずドアノブ。寝る前に必ず南京錠と鎖によって雁字搦がんじがらめにしていた。ドアノブが決して動かないように。


 しかしそれだけでは不十分だ。ミダレは当たり前のようにベランダを乗り越えてやってくる。そこで窓枠に板材を打ち付けて窓も固定した。ふふ。


 もちろんベランダに出られないことは不便だが、夜にいきなりミダレに顔を舐められるよりマシだ。と思っていたのだがミダレは壁を削って俺の部屋と自分の部屋を繋げやがった。およそ三年前のことである。


 おまえは映画の脱獄囚かと突っ込まずにはいられない。いや。実際には突っ込まずに俺は泣いた。俺は意外と泣き虫なのだ。そして俺に求められることは顔を舐められても熟睡を続けられる睡眠力だった。それは本気になれば一週間で習得することが可能だった。


 俺、やっぱり天才かも。


「おはよー、おにー。朝だよ。今日は試験でしょ? 起きないと」

「試験は試験だけど、ミダレが邪魔で起きられない」

「なんで? ミダレはただひっついてるだけだよ。大丈夫。ミダレとおにーは一心同体じゃん?」

「重い」


 脇腹を噛まれる。「あむあむあむあむあむ」。いつもよりパワーが強くて痛かった。けれど気にしない。痛覚の遮断は得意だ。ミダレを噛みつかせたまま階段を下りて洗面所で顔を洗う。ミダレの唾液を丁寧に洗い流した。それからリビングで朝食を食べる。


 ちなみに両親はまだ眠っている。平日の朝七時。父親は働いていて母親は専業主婦だった。とはいえぶっちゃけどちらも働く必要がないくらいに俺はかつて稼いでいた。その貯蓄もまだ残っているはずだ。


「テレサさんが迎えに来るんでしょ?」

「ああ。ぶっちゃけ電車で行ってもいいんだけどな。どうせ仙台駅だし」

「ミダレも付いていっていいかな?」

「ダメ」

「なんで!」

「学校をサボるな」


 左手を噛まれる。俺は無視する。


 ちなみにミダレは俺と違って高校では成績優秀の優等生らしい。たぶん一年後には道を逸れることなく大学に入学しているのだろう。周囲もそれを期待している感じがある。ちなみに俺も賛成だ。


 七時三十分に家を出る。


 テレサは家の前の道路に駐車して俺を待っていた。時間きっかりだ。


 俺はすれ違う小学生の集団に「おはよう!」と元気に挨拶して「うわニートの兄ちゃんが早起きしとる。明日は槍が降るぞ!」と悪態をつかれる。そして泣きながら車に乗り込んだ。


「しくしく」

「先輩、情けないっす……」

「しくしく」

「てか先輩、変装は?」

「え?」


 俺は目を点にする。変装? なんだそれ? あ。記憶のふちで思い当たるところがあって俺はそれを引きずり出す。ずるずるずる。記憶の淵から陸に打ち上がったのは一昨日の電話だ。


 テレサから「試験大丈夫っすか?」と電話があったのだ。もちろん「カンニングしてるから大丈夫」とは言えずに俺はてきとうに受け流していた。そしてその電話の最後にテレサは言った。


『当日は顔が分からないように変装した方いいっすよ。先輩、自分で思ってる以上に有名人なんで』

『やめてくれよ。いまの俺はただの引きこもりニートだ。変装なんてしたら痛い勘違い野郎になっちゃうだろ』

『はあぁ。先輩は、もっと自分の知名度を理解した方がいいっすよ。とにかく、変装。分かったっすか?』


 いまテレサは運転席に座りながら項垂れていた。俺もとりあえず項垂れておく。共感というのは大事だ。


「試験の開始まで余裕あるんで、家でてきとうに見繕いましょう。いいっすね?」

「え~。嫌だって言ったらどうする?」


 首根っこを掴まれて家に戻った。


 さすが現役のD級探索者なだけあって力が強かった。それから、やんややんや。ミダレとテレサで色々喋ったり盛り上がったりで俺は無視される。しくしく。でも最終的には変装が決まる。


 サイズの合っていないギチギチのキャップ帽とツルのねじ曲がったサングラス。さらに女児向けアニメのキャラがプリントされたマスク。


 完璧な変装だ! 俺は泣く。



 でも変装という意味では本当に完璧で誰も俺には気がつかないだろう。


 俺は確信を秘めて探索者協会・仙台支部の駐車場で車を降りた。



「あ、あぁっ! 烏丸殿でござるか! サインくれでござる!」



 くノ一のコスプレをしたやべー女が涙を流して言った。速攻でバレた。



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