4.レミーとリンさん


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 リンさんに会うために向かうのは仙台駅近くの路地裏だった。


 仙台駅の西口にあるペデストリアンデッキを五分ほど歩いてから階段を下りる。平日の昼間ということもあって表の飲食店は賑わっている。けれど路地裏は閑散としている。薄暗く、昼間だというのに陽射しが入ってこなくて空気が淀んでいた。


 まあ俺は淀んだ空気も好きだ。


 路地裏に『さ~びすしちゃいまース♡』とふざけた看板が立っていた。


 看板の足は二本あるけれど一本はなかばから折れかかっていて看板も斜めになっていた。斜めになっていることで『さ~びすしちゃいまース♡』の看板が尚更に苛立たしい仕様になっている。この看板を考えた奴は人を怒らせる天才に違いない。


 雑居ビルの一階が店だった。扉を開けると寂しい店内が見渡せる。客がひとりもいないBAR。


 店内には二つの影がある。


 一つはこの店の長である三十路を過ぎた女だ。いまはカウンターの奥でぼんやりと煙草をふかしながら、小さなテレビで映画を眺めている。肩には蛇を模したタトゥーが入っていた。雑に染められた金髪はさらにその店主のアウトローさを際立たせている。


 愛称はレミー。


「邪魔するぜ、と」


 俺の目当てはレミーではなくリンさんだ。


 リンさんは正面のカウンター席に腰掛けてレミーと一緒に映画を見ていた。そしてリンさんは俺の気配に気がついて振り返る。瞬間、目が一気に輝いた。


「ゴロウくん!」

「リンさん!」

「ちょっとお客さんうるさいから静かにしてくださいね~」


 レミーの声を無視して俺達は再会の抱擁を交わす。ああ。暖かくて良い匂いがしてなにより柔らかくて包容力があって――このままじゃお姉ちゃんに溺れる!


「久しぶりだねぇゴロウくん! 大きくなったね! ……うーん。でもこれまでなにしてたのかなぁ? お姉ちゃんいつでも連絡してって言ったよね? なんでいままで六年間もお姉ちゃんに連絡してくれなかったの? ねえ? しかもお姉ちゃんからの連絡はぜんぶ無視してたよね?」

「うわぁ愛が重い。ちなみにメールは一通も来てないよ。宛先間違ってない?」

「う、うそっ。恥ずかしいっ!」


 リンさんは両手で顔を覆い隠して「きゃー」と叫ぶ。そんなところも可愛らしい。おっとりとしていて抜けているお姉さん。最高だ!


「ちょっとマジお客さんうるさいですよ~。いま良いシーンなんで~。殺しますよ~」


 レミーは鬱陶しそうに紫煙をふかしながら眉をひそめていた。言葉は強いけれどまだ怒ってはいない。怒ると無言でサバイバル・ナイフを取り出すのだ。俺は知っている。なぜ知っているのか? 一年だけ同じ探索者グループに所属していたからだ。


 いまはもうどちらも引退している。俺とレミー。


「レミー。奥借りるぞ」

「うい」

「じゃあ行こっか、リンさん」

「お姉ちゃんね?」

「リンさん」

「お姉ちゃん」

「お姉ちゃん」


 俺はお姉ちゃんをお姉ちゃんと呼んでお姉ちゃんと手を繋ぎながら奥のテーブル席に向かう。椅子を引いてお姉ちゃんを座らせて俺はカウンターに戻る。コーラと麦茶を勝手に頂戴した。


「麦茶でいいよね」

「うん。さすがゴロウくん。お姉ちゃんがゴロウくんのいま飲みたいものが分かるように、ゴロウくんも分かるんだね? これはきっと本当の姉弟に違いないよっ。DNA鑑定しよ?」

「筆記試験の答えって、教えてもらえます?」

「うーん」


 お姉ちゃん……いやリンさんはそこで渋るように喉を唸らせた。そしてさらに「うーん」と唸りつつリンさんは麦茶を飲み込んでいく。


「ゴロウくん。お姉ちゃんは今日ね、筆記試験の解答の冊子をコピーして、秘密裏に盗んできました!」

「おおっ! さすが!」

「見つかったら解雇どころかお縄についちゃいます。まあ。だからこういう場末ばすえのお店で落ち合うことを希望したんだけど」


 お茶目なウィンクが弾ける。星が散ったような気がするくらいに魅力的なウィンクだ。


 同時にカウンターの向こうで「場末って言うな~」とレミーが嘆くように言う。もちろん俺達は無視する。


「でもまだゴロウくんには渡せない。なぜなら、理由を聞いていないからです」

「かくかくしかじかで」

「それで誤魔化そうとしちゃだめっ。ね?」


 ということで俺はすべてを洗いざらいに白状する。ちなみに隠すつもりは最初からない。


 やがて話を聞き終えたリンさんは言う。


「それ、既に探索者協会の方で動いている案件でもあるよ? ゴロウくん。青森の弘前ひろさきのダンジョンだよね? もちろんお姉ちゃんは仙台支部の職員だから詳しくは知らないけど、そういう状況になって、青森支部が動いていないわけがないから」

「まあ。そうだよね」


 それはそうだ。俺はまたコーラを飲み込みながら思う。当たり前だ。


 ここまでの流れを整理するこうだ。


 C級ダンジョンだと思われていたところに、悪魔が出た。悪魔が探索者のひとり――あるいはテレサ以外にも被害者がいるのならば複数人――に呪いを掛けた。そしてダンジョンは立ち入りが制限された。現在は誰も立ち入れなくなっている。


 およそ現在の難易度はA級。


 という状況で探索者協会が動いていないはずがない。


 もちろん表には告げられていないだろう。テレサにも知らされていないかもしれない。それでも裏側では攻略のための準備が成されているはずだ。手練れの探索者達に声を掛けてグループを編成する。などなど。


 グラスの底を机に置く。硬い音が鳴る。俺は言う。


「でもリンさん。究極的にはさ、俺の動機に、探索者協会の動きとかは関係ないんだよ」

「え?」

「テレサは俺に助けを求めた。たぶん、俺以外に頼るあてがなくなったんだろう」


 俺は土手沿いの公園で眺めた、昨日のきらきらの川面かわもを思い出す。


「そして、俺は助けると言った」


 橋の下で放り投げた、ペットボトルの軌跡を思い出す。


「だから、俺は動いている」

 

 テレサにとっての、頼れる先輩として。


「シンプルでしょ? まあ、やることはダサいけど。カンニングだから」


 ぺろりと舌を出せば、リンさんは……不出来な弟を暖かく見守る姉の表情で、鞄からコピー用紙の束を取り出した。



 筆記試験はあっという間にやってくる。



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