3.妹とお姉ちゃん(?)


   3



「っていうことでS級探索者からやり直したいんですけどぉ」

『探索者ライセンスを再取得してください』

「いやあの俺その昔S級探索者でほら! 烏丸ゴロウっていう名前でしてぇ」

『一度ライセンスを返納された方の再取得は筆記試験からとなっております』

「あのぉ」

『再取得の試験に臨まれる場合は空いている日時をご指定ください』


 電話の向こう側から響いてくるのは機械よりも無機質な冷たい声音だった。にも関わらず「鬱陶しい奴だなこいつ」という感情が伝わってくるのだから人間というのは不思議だ。心というのは不思議だ。なんて考えて俺は自分の心に受けたダメージを誤魔化す。……いや。誤魔化しきれない。普通に涙が出てきそうだった。


 気まずい無言が流れる。その間に俺が考えるのは俺の脳味噌のことだった。俺は馬鹿だ。ああ。もちろん俺はなぜか分からないけれど探索者としてはかなりの成功を収めてS級探索者なんていう立場に史上最年少の十七歳でなってまったく天才天才天才ともてはやされて天狗の鼻がびーーーーんと反り立ってしまった男なわけだが、しかし頭が良いかと問われれば首を捻らざるを得ない。


 そもそも俺が探索者のライセンスを取得したのは小学生のときなのだ。「探索者になりたーい」と鼻水を垂らしながら言った俺を両親が探索者養成の塾に通わせてくれたのだ。そして半年間みっちりと勉強して筆記試験に合格した。


 さてタイムスリップは可能か? 小学生のときの脳味噌は取り戻せるか? いまの俺に筆記試験を合格できる実力は? 脳味噌は? なあああああい!


 ということで俺は言う。


「最短で空いている試験の日はいつですか?」

『一週間後の火曜日、午後一時と午後三時が空いておりますが』

「じゃあ一週間後の火曜日、午後一時で」

『それでは当日は――』


 語られるのは当日の荷物だった。なにを持ってくればいいのか。どういう試験内容なのか。また試験の後には短い面接が組み込まれる。というのをすべて聞き流しながら俺は自室のパソコンの電源を入れる。


 パソコンの電源を入れるのは久しぶりだった。もちろんここ六年間は家に引きこもってずっとパソコンの前に座ってゲームをしていた。けれど一ヶ月前に急に飽きた。いや。原因は分かっている。その対戦型ゲームの世界一を半年間防衛してしまったからだ。もはや敵はいなくなった。すると興味が失せた。有り体には飽きた。


 なんだかこの世界が狭く思えたのだ。この世界に存在しているのが自分ひとりだけに思えたのだ。孤独感が身近に迫った。そうしたら急に、つまらなくなった。


『それでは当日、お待ちしております』

「ありがとうございました。失礼します」


 電話を切る。と同時に素早くパソコンを操作してメールを打ち込んでいく。相手は決まっていた。


 どういう文章がいいだろうか? いくら昔に仲が良かったとはいえ失礼な文章ではいけないだろう。懇切丁寧に、分かりやすく、いまの自分の状況を伝えて、その上で要望を伝えるように……。


 俺は慣れない作業に汗をかきながらもメールを打ち込んで送信した。ふうと一息つく。我ながら完璧だった。



「ちゃす。かつて伝説っていわれてた、烏丸です(笑)。あ。ゴロウくん、の方がいっすかね~~(笑) いやあ月日が流れるのは早いっすね。リンさん、お久しぶりでーす(笑) 記者やめて探索者協会の職員になったんすよね? いまなんかそこそこ偉い立場にいるらしいっすよね? ちょ、マジ、いま困ってるんで助けてくんね?(笑) みたいな(爆笑) とりま電話番号書いておくんで、連絡よろっす~~~(ノシ)」



 リンさんというのは俺が現役で探索者だった頃にお世話になっていた記者のお姉さんである。緩く巻かれた茶髪とおっとりとした雰囲気が包容力を倍加させているお姉さんだった。当時の俺は何度リンさんをお姉ちゃんと呼び間違えたことだろうか? そのたびにリンさんは困ったように微笑んで俺を許容してくれたのだ。はっきり言って初恋の相手でもあった。


 いまはどうだろう? 俺の初恋は継続しているのだろうか? いやそもそも六年の月日が流れている。俺は既に二十三歳だ。ということはリンさんは? 俺の五つ上なのだから二十八歳か。結婚をしていてもおかしくはない年齢だろう。ならば初恋など考えるのもおかしいか。


 自嘲からくる失笑を浮かべた瞬間だ。ベッドの上に放り投げていたスマートフォンが痙攣するように鳴った。俺はびくりと身体を震わせて硬直してしまう。で……電話だ! 引きこもりニートとして六年を過ごした俺にとって電話が掛かってくるというのは恐怖の対象でしかないのだ! ひぃい!


「おにー、電話鳴ってるよ?」


 そしてベッドの下からひょっこりと顔を出すのは妹のミダレだった。重度のブラコンである。小学校のときからブラコンで高校三年生のいまもブラコンである。そして外見も小学生のときからそんなに変わっていない。つまり治療は不可能だ。俺はミダレを無視して「ひぃ! ひぃ! ひぃいいっ!」と電話に怯えることにする。怯えるのにもコツがいるのだ。まったく。


「わたしが出ちゃうよ? おにー?」

「ダメに決まってるだろ。まったく」

「どうせ女でしょ」

「かもな。探索者協会からの電話だろ」

「え。おにー、探索者復帰すんの?」


 ミダレの質問には答えずに着信相手を確認する。見知らぬ電話番号だった。おかしい。折り返しの探索者協会からの電話であれば分かるはずだが……? 震えるスマホを持ったまますこし考える。


 すると俺の足を腕で抱くようにしながらミダレが言う。


「復帰するならまたいっぱいお金稼いでね!」

「がめつい奴め。まだ金なら残ってるだろ!」

「じゃあお金稼いでくれないの?」

「ふん。金は勝手に付いてくるもんだ」

「かっこいい! さすがおにー! わーい!」

「ミダレにはやらん」


 足に噛みつかれる。「あむあむあむあむ」。だが俺はこれも無視する。痛みなんていうものは意識をちょっと切り替えるだけで遮断することが可能なのだ。この切り替え技術によって俺はダンジョン探索中も痛みを感じない無敵の人間と化して踏破を繰り返していた。一緒にグループを組んだ人間にはドン引きされた。心は痛んだ。ああ、思い出すだけで辛い……。


 なんて考えている間に電話が切れてしまったので俺はスマホを片手に外に出た。ミダレは玄関まで俺の足に噛みついていたけれどさすがに外まで醜態をさらす勇気は持てなかったらしい。ふん。だから二流なのだ。ちなみに俺は恥を捨てて全裸で往来を歩くことすらも可能だ。


 電話をかけ直す。


 ぷっぷっぷっぷっ。という呼び出しのあとにコールは鳴らずに人の声が耳許みみもとで響いた。


『ゴロウくん!? お姉ちゃんだよー。久しぶりだね。いまどこに』

「詐欺ですね」


 俺は鋭く指弾しだんして電話を切った。危ない危ない。お姉ちゃん詐欺に騙されるところだった。しかも声もちゃんと穏やかなお姉ちゃんだった。お姉ちゃんすぎた。もしも俺がお姉ちゃん属性に弱い人間であったならば相当のダメージを負ってお姉ちゃんに貢いでいたことだろう。なにせお姉ちゃんと弟の関係性というのは貢ぐ者と貢がれる者の関係性にも近いのだ。


 ちなみに図式としてはどちらにも転がりうる。これが姉と弟の怖いところだ。姉に貢ぐ弟もいれば、弟に貢ぐ姉というのも存在するのだから。


 ところで俺は普通に遅効性のダメージを負って普通にお姉ちゃんとまた電話をしたくなってリダイアル。ぷるるるるる。


『あっ、ゴロウくん酷いじゃん電話を切るのはー。詐欺じゃないよ。リンお姉ちゃんだよー。いまなにしてるの? 困ったことってなに? 力になれることってある?』

「お姉ちゃん……」


 お姉ちゃんのあまりにもお姉ちゃんすぎるお姉ちゃん対応に俺の干からびた心が癒やされて感涙。俺の心はお姉ちゃんの聖なるお姉ちゃん属性に染まって瞳に涙が膨らみ零れていく。ああ。お姉ちゃん。リンお姉ちゃんだ……。おっとりとしていてウェーブのかかった茶髪が男心を殺して破壊力抜群の包容力で俺をデレデレにさせていた、元記者のリンお姉ちゃんだ……。


 そして俺は真面目に言う。現探索者協会職員の、そこそこ偉い立場に立っているらしいリンさんに。


「筆記試験の答え、教えてください」



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