14.初コメント
14
階層の移動はロッカーによって行われる。そう。ロッカーだ。学校の教室とかによく置かれている掃除用のロッカーと形状はほとんど変わらない。
ロッカーは階層内のいたるところに設置されていた。たとえば時計の町であればサイクロプスが大の字に倒れ伏した、頭の方向百メートル先にロッカーは設置されていた。変哲もない住宅地の町角である。
中に入ってきちんとドアを閉めると束の間の暗黒に包まれる。そしてドアを開ければ自動的に場所は切り替わっている。ちなみにいま現在の階層というのはきちんとメモしていないといけない。どこかに数字が書かれていたりはしないからだ。
もちろん俺は心のホワイトボードに記録していた。
五階層は月面だった。
当たり前だが本当の月面ではない。呼吸が出来る。なにより遠くに見える地球らしき惑星は赤色をしていた。まるで海のすべてが溶岩と化してしまったかのように。
それでもリアリティを持った月面は重力の感覚もまったく違い――俺は高く高く跳躍する。ゆっくりとゆっくりと昇っていく。宇宙空間へと。
やばい。楽しいかも。
「ちょぉ、名無しさんっ、うわぁっ」
シラズさんはうまく跳躍出来ずに斜めに浮かび上がってくるくると回った。さらに回り始めると「ひゃああ」と声を上げて丸まってしまった。すると抵抗がなくなってさらに回転速度が上がる。くるくるくるくる。なるほどシラズさんも中々の遊び人らしい。
俺はふわふわ浮かびながらうんうんと頷く。
「助けてくださいよぉ!」
「確かに。視聴者が酔っちゃうかもだしな」
「そういう問題なんですか!?」
ゆっくりと泳ぐようにしてシラズさんに近づいて回転を緩めてあげる。さらに着地して月面の砂をさらった。――レゴリス。月の砂はレゴリスと呼ばれている。きめ細やかであり、巻き上がってしまうと眼球が傷ついたり肺が炎症を起こしたりする。危険な砂だ。
月を模しているがために静寂が広がっていた。しかし静寂こそ危険であることを俺は知っている。俺はシラズさんを立たせてからまた思い切り跳躍した。
五十メートル、先。
一本の鋭い角が額から生えた、魔物。
クレイジー・ラビットは体長三十センチメートルほどの魔物であるが、額から飛び出ている鋭い角も体躯と同じ長さをしている。つまりほとんど角がメインであり――人間の腹を貫くなんて造作もない。
「シラズさん。クレイジー・ラビットがいる!」
「っ。え。それ、あれじゃないですか。D級ダンジョンに出てくる」
「すごい群れだ。
「どんな
「カメラ投げてくれない?」
言いながらに体内に取り入れた
――飛ぶ。
俺は空中で足踏みするようにして高度を維持する、どころかもっと高い地点へと飛ぶ。同時に下でシラズさんがカメラを投げる。ぐるぐるぐる。薄い重力の
さらにもう片方の手にはスマホ。コメント欄を注視する。
視聴人数――66人。
「見てくれよ、クレイジー・ラビットの群れ。まだこっちには気づいてないけどさ。ね、ね。角もやばいけど、目もやばくて? 赤い目。なんか赤い目がびっしり詰まってるのってさ、
視聴者にちゃんと話しかけるというのはこれが初めてだった。コメント数がbotの「3」しか計測されていないというのがすこし気になったのだ。これで反応がなければたぶん俺に配信者としての才能は微塵もないのだろう。狐森に言って「考え直した方がいい」と
【初見。烏丸ゴロウ?】
「いや。違うけど」
と平然と嘘をつきながら俺はコメントのアカウント名をチェック。さらにコメント全体のモデレーターを呼び出してNGワードを設定する。「烏丸」「ゴロウ」。それから小声で言う。
「よく間違えられるんだよな。大変だよ」
【コメント打てん】
【NGワード?】
【さっきのコメント消えてる】
【初見。お兄さん何者?】
一気にコメントが動き出す。スマホから音声が流れる。四つのコメントとも別人だった。なるほど。要は最初のペンギン理論か。誰もコメントを打たない状況ではどれだけ人数がいようともコメントは動かない。だが逆に――動き出せば後は雪崩のように。
【さっきなに起きたの?】
【ここどこのダンジョン?】
【試験中って本当?】
【がんばって】
【伝説の探索者って言われてた人じゃない? S級探索者のカラスマ・ゴロウ】
「試験中って本当ですよ。頑張る頑張る。どこのダンジョンかは俺も分からんけど。あとその最後のやつは誤解だって。マジで」
言いながらスマホの操作と
さらに
その瞬間は寒気がするほど恐ろしいものだった。
俺は面白くて笑う。と同時にクレイジー・ラビットの脚の筋肉が一気に増大した。それは飛び上がりの兆候に他ならない。俺はカメラを水平に保ったまま空中に放り上げ――月の砂が勢いよく巻き上がった。
砂塵に紛れて襲いかかってくるクレイジー・ラビットの角は僅かに螺旋を描いて回転している。ゆえに悪質だ。服に掠めるだけでも巻き取られるようにして引っ張られて餌食になってしまう。だから。
「シラズさん! 目、閉じてて」
同時に、目を、瞑る。
イメージは、大袈裟に。
瞬間の、閃きを。
――炎。
増大させた空想はあまねくすべてを焼き尽くして
目を開けた瞬間に俺は両手を広げて呟く。
「こんがり焼けろ」
魔法の
言葉が虚空に
白い光が網膜を焼き尽くした。
やばいこれじゃカメラになにも映らなくね? というのが感想だった。ちなみに俺は眼球を
俺は瞬間的にシラズさんに風の膜を張っている。自分にも遅れて。すこし肺に入ったか。咳をしながら呼吸を確かめる。同時に
燃焼と風と治癒。
三つの魔法の同時継続で頭の中は騒がしかった。それでも手を伸ばして、放り投げたカメラはキャッチしている。そしてまた足踏みで空中浮遊。一体俺はどれだけ仕事を増やせば気が済むんだろう? でも楽しさもあった。
ありとあらゆることに気を回して余裕なんてものは微塵も存在しない。
そんな忙しさが俺はなんとなく好きだった。
同時並行的に幾つものことを続けるのは、楽しい。
【いまのなに!?】
【相棒の人大丈夫?】
【てか相棒の人ってひとりだけ?】
【他のメンバーは?】
【グループ何人なの?】
【質問ばっかで草】
【そりゃなにも知らないから質問ばかりになるでしょ】
俺は答えるより先にシラズさんの様子を確認する。足下に目を向けると両手で頭を抱えて……まるで地震のときの防御姿勢を取っているシラズさんがいた。あまりにも探索者には向いていないと俺は思った。もちろん探索者ではない一般人であれば立派な防御姿勢だが――探索者は絶対に顔を下ろしてはいけないのだ。
常に危険な方向に顔を向けていなければならない。立ち向かう姿勢を持っていなければならない。まあ。この点に関しては
クレイジー・ラビット達は死屍累々の様相だった。こちらに飛びかかってきたクレイジー・ラビットはすべて燃え尽きて灰と化している。残念。素材のドロップがないのでポイントにもならない。ただ飛びかかる前だったクレイジー・ラビットの何匹かがドロップを落としている。
そして俺はやっとコメントに向き合う。けれど質問には答えない。一方的に言う。
「なんか縛りプレイの提案とか、ある?」
【試験なめくさってて草】
0
【炎上】実技試験配信してる馬鹿【通報】
309:とある探索者
これ絶対烏丸ゴロウで草
310:とある探索者
NGワード露骨すぎるだろ
311:とある探索者
祭り?
312:とある探索者
お祭り?
313:とある探索者
いやまだ分からんこの変態が烏丸ゴロウと同一人物かは
314:とある探索者
てかそうじゃない可能性の方が高くね?
声だけでしょいまのところ
315:とある探索者
でもわけ分かんない強さしてるよこいつ
316:とある探索者
強いところは映ってなくね
317:とある探索者
肝心なところが映ってない=フェイク動画です
318:とある探索者
フェイクではねえんじゃね
319:とある探索者
微妙なライン
320:とある探索者
検証班まだー?
321:とある探索者
てかこの変態みたいな変装が烏丸ゴロウとか普通に俺悲しいよ
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