15.儚樹シラズ


   15



「名無しさん、何者なんですか?」

「人間だぜ」

「いやそういうことじゃなくてですね。そんなの見たら分かりますし」

「ばか言え。見ただけで人間だって判断するのは危険だ。バケジンっていう、人に化けて騙し討ちしてくる魔物もいるし」


 鬱陶しい下草しもくさを蹴り倒しながら言う。


 六階層――深い森だった。木漏れ日が僅かに入ってくる程度の薄暗い森だ。既にこの階層に入って五分ほどが経過している。この五分で様々なポピュラーな魔物が出現していた。ゼリー・スライムにゴブリンにオーク。他にもウルフやアンデッド。木に化けているウッド・ツリーなども出現した。


 欠伸が出そうだった。


「ほら。コメントのみんなも訊きたがってますよ?」


【ぶっちゃけ素性は気になる】

【なんでそんなキモい格好なの】

【帽子サイズ合ってないし】

【ちなみにシラズちゃん何歳?】

【シラズちゃんの顔もっと見たいな】

【シラズちゃん映って】

【シラズちゃん「変態」って言ってくれない?】

【シラズちゃんなんか声聞いたことあるような】


 むしろ俺以上にシラズさんの方が興味を持たれているんじゃないだろうか? と思うのだけれどシラズさんは無言でコメントをブロックしていく。素早い。手慣れた作業のようだ。やはり配信者で間違いないだろう。家に帰ったら調べてみよう……。


 ふいにカラスが一斉に鳴きはじめた。


 遠くだ。俺は耳を澄ませる。鳴き声の方角を把握する。さらに羽ばたき――かすかに聞こえる。鳴くと同時に飛び立ったのだ。どこからか。集団で。


「なんかの魔物ですかね」

「どうだろう。カラスと見せかけてブラック・バードの可能性はあるな」

「でもブラック・バードって……やっぱりF級というよりかは」

「うん。まあ。ダンジョンのレベルが上がってるんじゃないか? 全体的に」


 俺はその場にしゃがんで小石を集めてポケットに突っ込んでおく。後々に必要になってくるような気がした。勘だった。


 ちなみにカラスにしろブラック・バードにしろ飛び立つのは不穏であり危険だった。もちろんただ彼らが移動したくて飛び立ったという線もある。だがそれ以上に他の可能性もある。それはつまり――強大な魔物がそこに現れた。怯えて飛び立ったという線だ。


「ダンジョンのレベルが上がってるって、そんな話は聞いたことないですけど」

「まあ一般に公開はされないからな。ダンジョンの情報については」


 というか俺からしてみればどうでもよかった。ダンジョンのレベルが上がっていようが上がっていまいが。ここまで遭遇してきた魔物達――なるほど高く見積もってサイクロプスでD級ダンジョン相当だろうか? 相手にはならない。お話にもならない。


 まだ俺はそこまで衰えてはいない。


「行こうぜ。カラスかブラック・バードかは分からないけど」

「え」

「もし強敵ならラッキーだ。近くにロッカーがあるかもしれないし」

「ちょ……ちょっと待ってください。ちょっと」


 なにを待てばいいのかは分からないけれど俺は待つ。待ちながらにポケットに入れた小石を取り出して遊ぶ。複数の小石を放り上げてお手玉のように遊ぶ。最初は二つ。二つから三つ。四つ。五つ。五つまでくると手は高速で回転してさながら扇風機のようになる。六つはさすがに厳しいだろうか……? いや。俺ならばっ!


 視界の端ではシラズさんが「うぅん」と難しい顔をして唸っていた。そこまで難しいような悩みではないような気がするのだけれど。なにせシンプルだ。


 危険を避けるか。危険に進むか。


 避ければ遠回り。進めば近道。


 シラズさんは臆病そうな性格をしている。気弱な感じを醸している。それでも短い付き合いではあるが、唯々諾々いいだくだくとすべてを受け入れるような性格とは思えない。ちゃんと自分の意思を持っているように見受けられた。


「分かりました。行きましょう」

「おっけおっけ」

「ただこれは了承してほしいんですけど……」

「ん?」


「もし逃げなくちゃいけなくなった場合、この麻袋、私は置いていきますよ。いいですか?」


 ドロップ品によって膨らんだ麻袋は紐を結ばれた状態でシラズさんに背負われていた。確かに重そうだった。かつシラズさんの移動は遅くなりつつある。これ以上のドロップ品はいらないだろう。


 ということで森に入ってからは素材を拾わないようにしていたのだが――シラズさんは拾い続けていた。律儀な性格なのだろう。ただ結果的に時間が遅くなってしまうので俺としては意味がないと思うのだけれど。


「もちろん。すぐ置いていっていいよ」

「分かりました。なら……鳥の鳴いていった方向に、行ってみましょう」


【結局何者なん兄ちゃん】


「あ。そういえばそうですよ。何者なんですか」


 余計なコメントめ……。俺は歩きながらにカメラを見つめる。ずれたサングラス越しに。


「この姿を見てどう思う?」


【変態】

【変態】

【変態】


「それが答えだ」


 地面が震えた。


 微細な震動だった。木の幹は震えない。木の枝も震えない。それでも木の葉の先端がかすかに震えるような……とても微細な震動だ。さらに震動は断続的に続く。俺は震動の感覚を計算する。大体一秒。一秒間隔で震動は続いている。これが意味するところはなにか?


「名無しさん?」

「ちょっと待ってな」


 俺はしゃがんで右手を大地に当てた。土はひんやりと湿っていて冷たかった。森という環境ゆえに乾燥が及ばないのだろう。俺は目を閉じて――イメージ。魔素マナを大地に流し込んで魔法を顕現させる。


 さながら探知機ソナーのように。俺は魔法によって震動の大元――震源地を把握する。さらに震源地が移動していることをも理解する。つまりこれは……。


【なにしてんの】

【休憩?】

【お腹痛いんじゃね】

【シラズちゃんどっか行ってあげて】

【変態はトイレです】


「トイレじゃねーよ」


 俺は浮き足立つのを感じながら早足で歩き出す。シラズさんのことは頭から外れかかる。けれど背中にちゃんと付いてきているのを感じる。困惑しながら。困惑の言葉を上げながら。けれど言葉の内容までは入ってこない。それよりも俺は――震動が強まる。誰もが理解できるほどに。


「ちょ、これ、なんか、やばくないですか」

「やばいよ」

「えっ」

「やばい」


 やばいという言葉ほど便利な言葉は存在しないよな――なんて場違いに思いながらポケットから小石を取り出して身体を捻った。まだ距離はある。それでも――俺は小石をいくつか投擲する。弾丸のように。さらにその勢いで大木の幹をえぐるようにつま先で蹴る。幹が剥がれ、それは刃物になる。俺は幹をも投擲した。


 野太い雄叫びが轟いた。


 震動の主――巨大な魔物がこちらに気がついたのだ!


 そして俺は駆け出そうとして――


「きゃああああああああああっ!」


 という絶叫を聞いて、しかもそれがシラズさんのものではないことに気がついて、一気にトップスピードに加速した。



   0



 分からない! 分からない! 分からない! 目の前をいきなり疾走しはじめた名無し男の速度は異次元だった。あっという間に森の隙間を抜けて背中が小さくなっている。しかもまだ加速する! 絶対に追いつけない!


 森に、ひとり、残されそうになる。


 それは恐怖だった。どこからか魔物の息づかいが聞こえてきそうな気がした。薄暗さも恐ろしい。ひとりになるというのは恐ろしい……! そもそもなんだ? なにが起きたのだ? 急な雄叫びと、人間の絶叫。あれはなんだ? この、無気味な震動は?


 臓物を縮み上がらせるような震動が先ほどから絶え間なく続いている。まるで――まるで足音のように!


 シラズは前に走り出す。名無し男に追いつくために必死に。けれど、身体は、重かった。


 背中には重たい麻袋を背負っている。


 すぐに息が切れて喘ぐ。足も高く上がらない。木の根っこに躓いて身体が倒れた。受け身も取れずに転んでしまう。顔が土に突っ込んだ。肺が潰れて声すら出ない。ぜぇ、ぜぇ、土のにおいを濃厚に感じながら息をする。ゆっくりと起き上がる。離してしまったカメラを手に取る。


【大丈夫?】

【変態どこ行った】


 名無し男はもう見えない。どこに行った? いや方角は分かる。大地に点々と名無し男の足跡が刻まれていた。すぐに追いかけなければ……けれど。


 麻袋が邪魔だった。


【はやく追いかけなくていいの?】

【ひとりで平気?】

【追いかけた方がいいよ】


 スマホから聞こえてくるコメントはこちらを心配している。けれど頭には入らない。心配されているのだろう。その心配がいまは鬱陶しかった。


 ――麻袋を、下ろすべきか。


 ――これは、チャンスなのではないか。


【ドロップ品重いなら下ろせば? 後で取りに来ればいいじゃん】


 誘惑が耳に入り込む。そのコメントの音声だけは自然と頭にも入った。


 ああ。これは誘惑だ。悪魔の誘惑だ。そうだ。……麻袋を下ろせば、目的は達成される。木陰などに隠してしまえば……そして名無し男に気づかれなければ……ほとんど成功だ。今回の探索における目的はすべて達成される。


 それに理由も出来た。いまであれば。追いかけるために麻袋を下ろしたと。慌てていたと。だからどこに下ろしたのか分からないと……言い訳も、作れる。


 麻袋の紐に指を掛けた。


 結び目を、ほどけば、それでいい。


 後は必死に名無し男を追いかければ。


 それで裏切りはすべて完了する。




 ――元気出して、お姉ちゃん。僕達、お金がなくても平気だから!



 ふいに、愛すべき弟の声が、胸のうらに甦った。


 

 ――それに、僕達も、大人になったら頑張るから。



 まだ幼い弟に言われた言葉が、指先にかかった力を、緩めていく。



 ――お姉ちゃんがお金持ちになるくらい、頑張って働くから!



 両親は借金を抱えて廃人となった。家にはシラズと弟二人だけが残された。まだ高校生の身でお金を稼がなければならなかった。なんでもやった。委員長の立場でありながら放課後には悪事にも身を染めた。染まらなければならなかった。そうでなければ――大好きな弟達を、救えないから。


 けれど、身体と精神は、悲鳴を上げていた。


 涙が止まらなくなる夜があった。どうしようもなく消えてしまいたくなる夜があった。実際に消えてしまおうとしたこともあった。……どうして自分だけ? どうして自分なのだ? 周りの子は苦しんでなんかいない。苦しんでいるのは自分だけ……どうして。どうしてどうしてどうしてどうしてっ! 


 ひとりで泣いているときに支えてくれる、小さな暖かさがあった。


 二つの、星のような光は、頭を撫でながら言ってくれた。



 ――お姉ちゃん。お願いだから、無理はしないで……。



 そして、シラズは選択する。

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