16.VS リビング・ジャイアント


   16



 景色をすべて置き去りにした。


 踏みしめた大地を後方に蹴り飛ばす。直面する木々は破裂の魔法を飛ばして突破する。ただひたすらに直進する。さながら流星のように。尾を引く景色の残像はワープ空間にも似ていた。俺は突き進む。


 雄叫びと悲鳴の、根本。


 十三秒――到着すると同時に俺は魔法を放たずに正面の大木を両足で蹴ってスピードを殺した。大木が、まるで錆び付いて壊れた配管のようにゆっくりと折れて倒れていく。


 そして俺は見上げる。


 ――【赤鬼】という異名で恐れられる魔物がいる。ありとあらゆる刃物を弾いてしまうような鋼の肉体。筋骨隆々とした姿はさながら山に鎮座する大岩のようでもある。その上、でかい。巨体は天をくように高く、高く、高く。


 こずえから覗ける太陽さえ遮ってしまうような巨体が、森林に、屹立きつりつしていた。


 地獄から甦ったとされる魔物――赤い肌を持つリビング・ジャイアント。


 どれだけの数の探索者がこの【赤鬼】によって屠られただろうか? 強靱な肉体はすべてが凶器に等しい。文字通り、当たれば死ぬ。それこそ歩いているところに直撃しただけで二十トントラックに高速道路で衝突するくらいの衝撃を受けてしまう。内臓は簡単に潰れる。口からは血反吐ではなく腸が飛び出てしまう。


 久しぶりに会うな、本当に。


 俺は素早く周囲に視線を這わせた。状況を確認した。リビング・ジャイアントは周囲の木々をその身一つで押しのけながら移動していたらしい。ゆえに木々が倒れて面倒な地形になっている。その足下には俺が投げた小石と木の幹の破片が落ちている。さらに。


 ――探索者。


 探索者グループの五人が震えながらへたり込んでいる。どこかで見たことがある顔が揃っていた。すぐに思い至る。協会で俺の変装がおかしいとひそひそ話していた連中だと。


 近くの木は薙ぎ倒され、破砕はさいされていた。これは歩いた拍子に倒されたというよりかは――リビング・ジャイアントが手に持っている木によって破壊されたと考える方が自然だろう。


 助かっているのは運の良さだろう。


「ついてるな!」


 俺はサムズアップをして彼らに顔を向ける。けれど彼らは誰も応えてはくれない。ただ口をぱくぱくさせているのみだ。無視だ。あれ。協会で陰口を言われていたときは好かれていたと思ったのだけれど、もしかして嫌われた?


 まあ、そんなことはどうでもいい。


 俺は視線をリビング・ジャイアントへと戻す。【赤鬼】の異名で知られる魔物は濁った赤い瞳を俺に向けていた。ああ。俺というちっぽけな存在をようやく認識したらしい。こちらには無視されていないようで一安心である。


「にっ!」


 という声は背後でした。カメラのシャッターでも切っているのかもしれない。俺はかけ声に合わせて笑った。


「にっ、にげっ、に」


 声は震えていた。俺はもっと笑う。どこでカメラを構えているのかは分からないけれど撮るなら早く撮ってほしい。


「にげろっ」


 変なかけ声だ。


 リビング・ジャイアントがゆっくりと手に持っている木の幹を振り上げていく。動作は緩慢だった。それでも明確な殺意が全身から滲んでいた。それは――部屋に出た不愉快な虫けらをティッシュ箱の底で叩き潰す人間の殺意にも似ている。


 視線が交錯した。


 俺を狙っていることが明らかだった。


 良かった。


 完全に振り上げる前に俺は右手を振って小石を投げた。リビング・ジャイアントの右腕の関節に。直撃の瞬間の音はゴムが切れる音にも似ていた。ぱちっぱちっぱちっ。ああ。それなりに鋭く投げたはずだけれど意味はない。ただ俺は小石に魔素マナを籠めていた。


 弾かれた小石が周囲に散らばり、魔素マナを立ち上らせる。


 リビング・ジャイアントの右腕が、頂点に達した。


 俺は瞬間に両手に魔素マナを流し込む。


「写真、撮ってる場合じゃないぞ」


 呟く。


 同時に――振り下ろされた木は風圧で世界が両断されてしまうほどの勢いだった。音は遅れて聞こえてくる。そして俺は両手を交差させて頭上に置いた。


 時間が凍り付く。


 一瞬の静寂ののちに訪れるのは爆発だった。


 粉砕されて宙を飛ぶ木片――のすべてを巻き取るように、俺は空間に広げた魔素マナで魔法を発動させた。それは目には見えない風の渦だ。渦は俺とリビング・ジャイアントを囲って静かに回る。まるで地球の自転のように、誰にも悟らせないように回る。


 吹き飛ぶ木片が巻き取られて、回転に従った。


 これで他の探索者に被害は出ない。


 顔を落とした【赤鬼】と、再び視線が交錯した。


 だから、俺は言う。


「ダメだろ。自分より脆いものを武器に使ったらさ」


 両腕を緩やかに動かす。まるで指揮棒を持ってゆったりとした曲調でも指揮するかのように。そして俺の動作は風の渦へと反映されていく。――川の流れ。


 無数の木片が川の流れのように繋がって、一筋の線となった。そして龍のように、踊るように、ちゅうを縦横無尽に駆ける! さらに俺は速度を上げる。動きを早める。木片の流れを――さながら彗星のように!


 両手を胸の前に縮めた。



「地獄に戻れよ」



 一気に、払う。


 刹那――木片の彗星は横から【赤鬼】の首筋に噛みついて貫いた。


 噴水のように血が噴き出て、リビング・ジャイアントは巨体を大地に鎮めた。


 血の雨は暖かかった。なんだか気持ちよくて俺はしばらく血を浴びていた。思えばこういう巨大な敵を倒して返り血を浴びるという経験も久しくしていなかった。まあ当たり前か。最後に同じような経験をしたのはなんだろう?


 引退前に潜ったS級ダンジョンで【腐敗の悪魔ネガティブ・デビル】を殺したとき以来だろうか? たぶんそうだ。


 俺は全身に血を浴びてから振り返った。怯えてへたり込んでいる探索者、というか受験者の五人に朗らかに笑みを浮かべる。


「やあ」

「ひぃっ!」


 どうやらまだリビング・ジャイアントの恐怖が抜けていないらしい。可哀想に。


 俺は「いやだああああ」と首を振って震える彼らの手を強引に取って立ち上がらせる。膝がガクガクと震えていた。本当に可哀想だ。だから俺は落ち着かせるように満面の笑みを浮かべる。


 両肩に手を置いて、言う。


「うるさい奴は嫌いなんだ」

「ひぃいいいいいっ!」


 全員を一カ所に集めて俺は視線を這わせる。男三人、女二人のグループ。まだ五人とも震えていた。なんならリビング・ジャイアントに襲われていたときよりも震えていた。まあ精神的なショックというのは往々にして遅れてやってくるものだ。


 いまは救われた安堵感で無防備になっているから、恐怖も倍増してしまうのだろう。


「で、どうしようかな」


 血に濡れた髪の毛を掻き回すようにする。――実技試験中にグループ同士が出会った場合は無干渉が基本だ。けれどもちろん例外も存在する。何らかの理由で関わってしまった場合は話し合いの末に決定しなければならない。


 どちらが先に動くのか。


 基本はじゃんけんだ。勝ったグループが先に動く。そして負けたグループは十分後。必ずしも正確でなくて構わないから、およそ十分後を目安にその場を動き出さなければならない。


 ただ……俺は彼らの震える両足を見る。またリビング・ジャイアントに襲われていた際の精神的ショックも考慮する。順当に考えて先に離れるべきは俺だ。けれど、この状態の受験生を、その場に置いていっても構わないのか?


 血のにおいが立ちこめはじめる。


 ――魔物は血のにおいが大好物だ。怪我人が大好物だ。弱っている獲物が大好物だ。


 震えて無力化している状態の受験生を、この場に残すという線は考えられない。



「名無しさんっ!」



 頭を悩ませていたときだ。


 シラズさんの声が聞こえ――振り返ると遠くから走ってきている彼女がいた。息を切らし、顔を下げ、よたよたと、それでも走っていると分かる速度で彼女は近づいてくる。


 だから俺も手を振り返して、満面の笑みを浮かべて、とはいえそういえばサングラスとマスクによて笑みが笑みであると分からない状態だけれど、それでも飛び跳ねてアピールした。


「シラズさんっ!」


 彼女は顔を上げる。


「きゅぅ」


 そして気絶して後ろに思い切り倒れた。げ。結構な勢いで倒れたぞ。しかも後頭部から。


 俺は急いで走ってシラズさんを見下ろして……ああ。よかった。



 背負っている麻袋がクッションになって、頭は守られているようだった。



 ――そうしてシラズさんが目覚めてから、受験生同士の話し合いは始まる。


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