17.変態天才びっくり人間


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 話し合いをする必要もなく普通に一時的な合同グループを組んで行動すればいいんじゃね? そうすれば生まれたての子鹿みたいな彼らを保護した状態で次の階層に進める。もちろんルール違反ではあるけれど事情をかんがみれば仕方のない行動でもある。そして次の七階層で、ルールの適用。先行班と後発班を分ければいいのではないか?


 という主張をする暇もなかった。


「あのっ。他の受験者の方達に配信がバレるのってまずいんじゃないですか? 配信に映るのもまずいっていうか。普通に隠した方がいいと思うんですけど」


 シラズさんの発言があまりにも真っ当すぎて俺は鳩が豆鉄砲を食ったような表情で硬直した。そして硬直した俺の手にシラズさんはカメラを握らせた。やはりただ気弱で唯々諾々いいだくだくとしているだけの女子高生ではないらしい。


 シラズさんが受験者五人組――どうやら火島さんという三十四歳の男性がリーダーを務めているらしい――と合流するのを見届けてから俺はとぼとぼ場所を離れる。


 しかし離れすぎても問題なので、近くで暇つぶしをすることに決める。


【変態だけ仲間はずれで草】

【順当な結果で草】

【しかも謎に血だらけで草】

【怪我? 大丈夫なん? 草】


「大丈夫だよ」


【まったく信用ならない大丈夫で草】


 草々くさくさうるせーな。とぼやきながら俺は足下の草を蹴っ飛ばす。それからリビング・ジャイアントがへし折ったであろう木の断面にカメラを置いて固定した。その画角に収まる場所に立つ。


【ラジオ体操?】

【てか俺らなんの状況も分かんないんだけど】

【なんでそんな血だらけなん】


 ああ。リビング・ジャイアントの死体をカメラに収めるのを忘れていたか。シラズさんの介抱などでてんやわんやだった。見せてやるか? と思うけれど既にリビング・ジャイアントは蒼い燐光と化して天へと昇っていた。残念。


「魔物ぶっ殺したら返り血浴びたんだよ」


【どんだけ大量の魔物だよ】

【てかずっと思ってたけど本当にF級ダンジョン?】

【それ分かる。F級っぽくない】

【仙台支部の試験やばすぎね】


 俺は答えずにカメラの前で人差し指を立てた。これはただの遊び。くだらない遊びだ。俺は人差し指から魔素マナを放出していく。緩やかに――それはまるで煙草の紫煙のように。ちゃんと画面に分かりやすいように配慮して、薄く光らせて。


 きらきらの魔素マナは、まるでラメを含んだ紫煙のようだった。


「よし。なにかお題募集」


【なにそれなんの光?】

【煙みたいなの出てて草】

【びっくり人間だ】

【びっくり人間】

【変態びっくり人間】


魔素マナだよ。こういう遊び、するだろ?」


【たまにするけどそんな光らんわ】

【ボールくらいは作れる。けどすぐ崩れる】

【ボールすら作れん】

【作れないのが普通】


 試しに俺は犬をイメージする。なんの犬がいいだろうか? 俺はふわふわしてもこもこしている犬が好きだ。小型犬よりも大型犬の方が好きだ。でもどうせならば架空の犬を作り出してもいい。それこそ――ゴールデン・レトリーバーくらい大きなトイプードルを想像する。想像しながら魔素マナを放出。


 紫煙のようにくゆっていた魔素マナの流れが意思を持つ。次第に輪郭を形成していく。巨大なトイプードルの輪郭を。魔素マナの流れはさらに重力に従うようにして地面へと下りていった。そして巨大トイプードルは俺の足下で、まるで本物の犬みたいに四つ足を地面にくっつける。


 ちゃんと映っているだろうか?


【やば】

【やば】

【なにそれ】

【すごすぎ】

【きも】

【きも】


 なんでキモいって言われなきゃいけないの……。


 俺は魔素マナで作った巨大トイプードルをさらにリアリティにしていく。輪郭だけではなく中も詰める。さながら塗り絵のように。色も変えた方がいいだろうか? もこもこがちゃんと分かるように。つまるところ絵というのは光の当たり方をどう表現するかだ。俺はイメージする。そして想像をそのまま魔素マナへと反映させていく。


 精緻せいちに、精密に、精確に。


 さらに俺は魔素マナの色を変える。やはり塗り絵だ。ここはどういう色が適しているだろうか? ここは? ここは光の当たり加減からして暗い方がいい。ならそこは明るく。グラデーション。淡色と濃色の使い分け。


 瞳はもちろん、くりくりに輝かせた。


 巨大トイプードルはまるで生きているかのような光を放つ。


【かわいいいいいいいい】

【かわいすぎ 天才かよ】

【てかありえん】

【ここまで魔素マナ操れねえだろ普通】

【きも!】

【きもすぎ!】

【きもーい!】


 なんでまだキモいって言われなくちゃいけないの……。


 俺は普通に泣きながら遊びを続ける。トイプードルはまだ二次元の存在だ。だから三次元へ。輪郭をぐるりと一周させて円を描くようにして繋ぎ合わせて、俺はり性だから、目には見えない所にもきちんと魔素マナを詰めてあげる。それで完成。ここまでは簡単。


 後は……。


【変態で天才でびっくり人間】

【変態天才びっくり人間】

【略して変態】

【変態! きもいぞ!】

【変態きもすぎ!】

【これまじどうやってんの変態きも】

【変態すぎるだろ変態きも】


 俺は罵詈雑言を受け流しながら動きを――そうだ。俺は人差し指から放出し続けていた魔素マナを一度切る。そして両手を開いて魔素マナを放出して――動きを作り出す。巨大トイプードルという魔素マナの集合体を操るのだ。


 魔素マナは繊細であり脆い。さながら史上最弱の生き物といわれているガガンボのように。ガガンボの逸話は秀逸だ。炊飯器の上を飛んでいると思ったら水蒸気に当たってバラバラに砕けていた、なんていう話も聞く。魔素マナも同じである。


 そよ風で霧散しそうになる。小指がちょんと当たるだけで完全崩壊だ。


 俺は久しぶりに緊張の汗を全身にじっとりと滲ませながら、全神経を集中させて巨大トイプードルと繋がる。コネクト。そして俺は持ちうるすべての慎重さを使って巨大トイプードルの足を操作して――同時に尻尾にもコネクトして左右に振り――首を上げ――口からちょっと舌を出させ――カメラを向かせる。


 コメントがなにを言っているかを聞く余裕はない。俺は全力だ。全力で巨大トイプードルを操る。動かす。まるで生きているかのように。いや。実際に生きているかのように。命を吹き込むように!


【がわいいいいいいいいいいい!】

【かわいすぎ! 変態きもすぎ!】

【うおおお! 変態きもいぞ!】

【変態きもい!】

【変態きも!】

【変態きも!】

【変態きも!】


 まったくもってコメントがなにを言っているか分からないくらい集中しているけれど確かに感じる。


 凄まじい一体感を……!



   0



「おまえ、いつあの変態を裏切るんだよ?」


 名無し男が木立こだちの隅でなにか遊びを始めた。そのタイミングを見計らったように言ってきたのは五人グループのリーダー格――火島という男だった。


 シラズは下唇をむ。


 火島達とシラズは決して繋がっているわけではない。それでも狸谷という人事部の男の手で踊らされていることは事実だった。操られていることは事実だった。きっとシラズのように甘い蜜を目の前に垂らされたのだろう。そして吸い付いた。


 裏切ろうと思えば、裏切れた。


 シラズはかたわらに置いたままの麻袋に視線を向ける。ここに持ってくる必要はなかったのだ。裏切ろうと思えば裏切ることが出来たのだ。――それでも、私は、持ってきた。


 なぜ? 分からない。自分の行動がもう既に手中を離れている感覚がある。


「おまえが裏切らねえとこっちも困るぜ。俺達は合格グループに選ばれてるんだからよ」

「……」

「とはいえ、このダンジョンが明らかにおかしいのも事実だ」


 沈黙するシラズに対して火島は続ける。他の四人の受験生はおのおのに休息を取っているようだった。だが一様に表情は暗い。その理由もシラズは知っている。


 リビング・ジャイアントが出現した。


 本来であればD級ダンジョンの最深部近くで見かけてもおかしくはないほどの魔物だ。決してF級ダンジョンなどで見かけてはいけないレベルである。そもそも生き残ったのは奇跡なのだ。そして奇跡を演出したのは――名無し男。


 あの人は本当に何者なのだろう?


 これまでの態度で分かる。答える気はないのだろう。明かすつもりもないのだろう。それでも知りたい。何者なのか。変装にも理由があるに違いない。いっそのことサングラスやマスクを外すか……? いや。


 近くで行動していたからこそ分かる。あの人に隙は存在しない。不可能だ。


「俺達は、引き返そうと思う」

「え?」

「え? じゃねえよ。リビング・ジャイアントまで出たんだ。明らかに異常だろ。命を落としかねないんだぜ。引き返すに決まってる。だろ?」


 火島の言い分は正常だった。


 けれど正常ゆえにシラズは違和感を覚えた。その違和感はなんだろう……? 分かっている。シラズは気がついている。


 本来、命を落としかねないのが探索者なのだ。


 命を落としかねないという状況は、だから、正常なのだ。


 ――自分ひとりでは気づけなかった。あの名無し男という規格外の人物といても気がつけなかった。それでも自分と同等の他者を見れば気がつくことができる。人のふり見て我がふり直せではないけれど――そもそも自分自身も、思い違いをしていたのではないか。


 危険と直面してこそ、探索者なのではないか。


 探索者である限り、危険からは逃げられないのではないか。


 であるならば……。


「なんだその目? おい。言いに行ってこい」

「あっ……の」

「あの変態に言ってこい! 引き返すぞって!」


 荒らい口調の怒号はシラズのはらを冷えさせる。


 なにより……火島の目はもう戦うものの目ではなかった。焦燥感と恐怖に駆られて戦うことを諦めている者の目だった。まだシラズという、自分より弱そうな者には怒ることが出来るけれど――怒りの根源には、絶対的な恐怖がある。


 恐怖が発作となった、怒り。


 シラズが抱いた感情は哀れみに他ならない。そしてシラズは言われた通りに名無し男に近づく。彼は……なぜか巨大なトイプードルと一緒にいた。意味不明だった。いつあんなペットを連れ込んだのか? そもそもダンジョンにペットを連れ込むのは違法では?


 ぐるぐると思考するシラズ、に気がついた名無し男が「お」と声を上げた。瞬間に巨大トイプードルはぐちゃっと形を崩して壊れる。


 悲鳴すら出なかった。


 また失神しそうになった。


 それをぐっと堪えてシラズは言う。


「あの、今回は中断っていう」

「ん? 昆虫?」

「どんな聞き間違いですか……。明らかに異常が起きてるじゃないですか。だから」

「ああ。このトイプードルは俺の魔素マナで作ったやつだから安心してくれ。急に死んじゃったわけじゃない」

「いやそれは分かります。そうじゃなくて……ダンジョンに異常が起きてるじゃないですか。F級とは思えない魔物が出て。だから中断です。危険だから、引き返そうっていう」


「? ダンジョンは危険なものだけどな。そもそも」


 ああ。……平然と言い放つ名無し男の言葉に、僅かばかりの嬉しさを覚えるのはどうしてだろう。自分と意見が合致したから? 自分より遙かに強い存在と……。


 けれど、続く名無し男の言葉は理解不能だった。


「まあ大丈夫大丈夫。まだいける。まだ全然、危険ってほどじゃないし。なんとかなるだろ。だから――先に進もう」


 そして、シラズは、ようやく、気がつく。



 この人は――この人は強いがゆえに、弱者の気持ちには無頓着なのだ! と。




________


次回より19:00頃の更新になります。


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