18.凡人と天才
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火島マサムネが自分の才覚のなさを自覚したのは
火島の人生というのは凡庸の一言に尽きた。物心ついたときから周りには自分よりも優れた人間がたくさんいた。運動においても、学業においても、遊びにおいても、火島より出来る者達はたくさんいた。しかしそれに劣等感を覚えることはなかった。それが当たり前だとも思っていたからだ。
それでも火島は
同類の人間が多いことも火島は理解していた。けれど自分は周りの人間とは違う、という傲慢さもあった。同じように「まだ本気を出したことがない」という人間はいるけれど、しかし、俺はそいつらとは違う。そいつらのように落ちこぼれの言い訳として使っているのではない。なにせ俺はうまくやっている。
そうだ。
本気を出さずにそこそこの立場にいる。俺はそこそこうまくやっている。そこそこうまい人生を歩んでいる。そこそこ。まだ本気を出していないにも関わらず。まだ全力を出していないにも関わらず。だから、他の同類とは違う。他の奴らとは言葉の重みが違う。
という思考が砕けたのは現在地点からおよそ九年前のことになる。
二十五歳。
火島マサムネは自分の才覚のなさを自覚する。
本当の天才――火島はテレビ画面に釘付けになって動けない。今日もまた同郷の人間が活躍している。仙台市出身の探索者――烏丸ゴロウ。まだ十四歳。弱冠中学二年生。しかしダンジョン探索者として脅威的な活躍をみせていた。
ダンジョン攻略率100%。
当時の火島にとって若い天才というのは手放しで褒められるものではなかった。もちろん自分だってまだ若い。まだ世間からしてみれば未熟な年頃だろう。これから色々と経験を積んでいく年齢でもあるだろう。ゆえに未熟で当然、思い通りの成果が出なくて当然、それはこれから、着実に実力を上げて成果を……出せるのか?
地元密着の番組である『未来スター』。未来に必ず頭角を現すであろう人物を取材して私生活を探る番組。映し出されているのは三週連続で烏丸ゴロウという中学二年生。烏丸ゴロウはいまや世間の注目の的だった。それが……。
その事実が火島の胸を苦しめる。
分かっている。本当は分かっている。本当は理解している。本当は気がついている。どこか自分の冷静な部分が告げているのだ。
「自分は天才ではない」
「自分は特別ではない」
なにより自分自身のこれまでの二十五年間の人生が物語っている。やはりどこまでいっても『そこそこ』の人生なのだ。そこそこうまくいっている。仕事も、趣味も、対人関係も、そこそこうまくいっている。
ああ――変わらなければ。火島はテレビを消して思う。烏丸ゴロウという存在を自分の中から抹消して思う。自分は天才ではない。特別でもない。それでも、変わらなければ。そうだ。自分はまだ変われるはずなのだ。なぜなら本気を出していないから。まだ本気を出していないだけだから。
そして心機一転、火島はすべてに全力を尽くすようになる。本気を出そうとする。仕事を精力的に行う。趣味にも手を抜かない。対人関係では相手を第一に考える。そして、我慢をする。我慢をする。我慢をする。
結果得られるのは、そこそこの成功だった。
そこそこ。
そこそこの枠組みから火島は出られない。そこそこの檻に閉じ込められて火島は胸を苦しくさせる。変わらない。なにも変わらない。本気を出そうと、本気を出さなかろうと、火島の人生は変わらない。ずっと、そこそこ。
本気などというものは、存在しなかった。
自分は自分であり、等身大以上の自分など、存在しなかった。
気がつくのは早かった。そして、腐るのも早かった。以降の火島は無理をしない。自分の才覚のなさというものを心に刻みつけられて、学ぶ。無駄なのだと。意味がないのだと。凡人は所詮、永遠に凡人なのだと。生まれてから死ぬまで、ずっと凡人のままなのだと。だから、頑張っても意味なんかない。
凡人に、頑張る必要なんてない。
腐った火島は以降の人生を惰性で過ごす。ずっと惰性だった。惰性のまま生きてきた。大学を出て就職した会社に長く勤め続け、転職などは考えず、職場の人間に連れられた飲み屋街で出会った女と付き合いだし、結婚し――このまま死ぬまで同じ生活を繰り返すのだろうと思った。
死ぬまでずっと凡人のままで退屈な人生を繰り返すのだろうと。
刺激的な人生からは遠く離れた場所で、よく言えば平穏に、しかし現実的には凡庸に、一生を終えるのだろうと。
――発作のような衝動だった。
三十三歳のときに火島は妻に「やってみたいことがあるんだ」と相談した。妻は「やってみればいいじゃない」と軽く答えてくれた。だから火島は会社のボーナスを使って養成所に入所する。
ダンジョン探索者の、養成所に。
仕事との両立は身体的に辛いものがあった。もう火島は若くない。体力だって衰えている。それでも自分で決めたことだった。これが最後と――これで挑戦は終わりだと――腹を決めて火島は養成所に入所したのだ。だから、弱音を吐くことは、なかった。
火島マサムネは過酷な一年を過ごした。
朝早くに起きて養成所で出されていた筆記試験用の問題集を解く。朝飯を軽く済ませたら車に乗り込んで会社へ。理解のある上司によって一年間の仕事は
妻のサポートがなければ生活は成り立たなかっただろう。
そして三十四歳――火島は人生で初めての幸運に恵まれる。
筆記試験を終えたあとに電話が掛かってきた。狸谷と名乗る男だった。狸谷という男は筆記試験の合格を告げたあとに切り出した。うまい話がある、と。
実際に会って話を聞かされたときに火島の手は震えていた。ありとあらゆる感情の大波に押し流されて心も震えていた。これは――受けるべきなのか? 断るべきなのか? いや分かっている。断るべきだ。なにがなんだか分からないが――目の前の男は間違っている! 狸谷という男は明らかに間違ったことをしようとしている! 受験生の特定にひとりをおとしめようとするなんて!
だが、迷いがあったことも事実だった。
なぜなら――これは最後のチャンスだ。これは人生を変える最後のチャンスなのだ。ここで普通に実技試験を受ける。もしも、通らなければ? 倍率は高い。何人の受験生がいるかは不明だが、十グループのうち三グループしか実技試験を突破することは出来ない。可能性は低い。かなり。
しかも、自分は、やはり、凡庸なのだから。
その迷いを見透かすように狸谷は言った。
『火島さん。あんた、年齢的にももう最後だぜ。いままでなんの努力もしたことがなかったんだろ? 大方、ここ一年で急に頑張った
喫茶店のコーヒーが、ゆっくりと、冷めていく。
狸谷は身を乗り出し、火島は動かない。
『乗っておきな、火島さん。もちろん無理強いはしないが、俺は、約束は破らねえ。ただあんたは、俺が選定したメンバーを試験に臨むだけでいいんだ。これがなにか問題か? なぁ。別にいいじゃねえか。そもそも、俺がこうして声を掛けなくたって、相手は馬鹿みたいな変装をしているやつだぜ? あなたは十中八九、そいつと組もうなんて思わないはずだ。結果は変わらねぇんだ。なら、受けるべきだ。違うか?』
狸谷の言葉は悪魔的に魅力的だった。
そして火島の答えを持ってして、狸谷は金を置いて喫茶店を出ていった。
『当日はよろしく頼むぜ』
と言葉を残して。
……そうだ。探索者になりたい。ならなければ。いや。別に探索者である必要はないのかもしれない。ただ、火島は人生を変えたかった。凡庸な人生を変えたかった。そこそこの人生を変えたかった。だから探索者になりたかった。理由はそれだけだ。他に大切な理由があるわけでもない。執念があるわけでもない。
ただ、自分が自分で決めてしまった枠組みを飛び越えたい。
自分が自分で定めてしまった、そこそこの運命を変えたい。
――ああ。
「中断だ」
火島は言う。自分自身の状態と周りの受験生を見て決断する。もはやこちらに戦意は残っていない。リビング・ジャイアントという強大な魔物の猛威を見せられて――心は折れていた。そもそも。
命なくして、枠組みも運命も存在しないのだ。
「理由は単に、危険だからだ。というかこの説明、あの嬢ちゃんにはされなかったのか?」
「シラズさんには言われたよ。でもほら、俺は納得してないからさ」
目の前に立つのは、まだリビング・ジャイアントの返り血の
一体全体なにが起きているというのか。
考える。想像する。もしもダンジョンに異常が起きていなければ状況は順調だっただろうか? あの若い女――シラズはきちんとこの名無し男を裏切れていただろうか。そして俺達は狸谷の
名無し男の異様な強さを目の当たりにして、思う。
どちらにせよ、この規格外の人間は常識を越えてくる。こちらの思惑などぴょんと軽く飛び跳ねてくるだろう。事態は同じように混沌としていたはずだ。であるならば、まだ、笑えるか。
火島は心の中で笑いながら言う。
「納得もクソもあるか。危険は危険だろうが。引き返すに越したことはない。それともなんだ? 命よりも大切なものがあるってのか?」
「いやそういうことじゃなくて、なんていうか、おじさん、ズレてるぜ」
名無し男は分かったようなことを言う。……いや。あるいは本当に理解しているのかもしれない。自分よりも何倍も、なにか、概念的で抽象的なことを理解しているのかもしれない。
ところでシラズという若い女はいま人から離れたところにいた。なにか手にカメラを持っている素振りもある。意味は分からない。火島は見て見ぬふりを決めていた。
「ズレてるねぇ。俺にはおまえさんの方がよっぽどズレてるように見えるが?」
「どこが。良い帽子だし、良いサングラスだし、良いマスクだろ?」
「ああ。返り血に汚れて、よっぽど垢抜けたぜ、坊主」
「え? でへへ」
「褒めてねえよ、馬鹿が」
調子が狂う。火島は鋭く息を吐く。
「とにかく中止だ。いまいる全員でこのダンジョンを引き返す。これが総意だ」
「総意じゃないよ。俺は進もうと思ってるから」
「……おまえ、自分の能力に圧倒的な自信を持ってるタイプだな」
そして火島が重ねるのはかつて見た――テレビに映っている若き天才、烏丸ゴロウの存在だった。もういまから六年前に引退してしまったが、あいつは紛れもない、天才だった。
「死ぬぜ、そのままだと。あるいは、心が折れる」
「知ったように言うじゃん、おじさん」
「烏丸ゴロウって知ってるか?」
名無し男は硬直する。知っているのだろう。
「天才だった。だが、いまは消えた。きっと重圧に耐えられなかったんじゃないか? これは俺の想像でしかないが、かなり危険なダンジョンに潜り続けていたみたいだしな」
「楽しそうだよね、あれ」
「ばか言え。危険が楽しいなんていう発想を持っている奴、いるわけねえだろ」
「そうかな」
「とにかく中断だ。いいな」
凄むように言えば、しかし、目の前の名無し男は首を横に振る。緩やかに。
そして、名無し男は言う。
「じゃあ、ここでおじさん達とはお別れだ。お見送りくらいはするよ。ていうか、しないとな。この階層は血が漂ってて、魔物が凶暴化している可能性も高いし」
「……馬鹿なのか、おまえ」
「この格好を見てどう思う?」
「馬鹿だ」
「それが答えだよ」
名無し男が肩をすくめ、そして火島は毒気を抜かれる。
「……なあ。おまえの無茶苦茶な生き方には憧れるが、おまえの選択は、否定させろ。周りの人間が、辛くなるだけだからだ。まあ……これは、ずるいおっさんの、戯れ言だけどよ」
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