27.悪魔の天敵


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 その悪魔が自分の特別性を自覚したのは物心ついてすぐのことだった。悪魔の両親が気がつけば傍にかしずいていたのだ。


 両親は悪魔の世界――『虚ろの世』において上流階級に位置している貴族のはずだった。下流にも分類されない出来損ないの悪魔を強制的に労働させて搾り取って殺しているような両親だった。なんなら実の子であったとしても出来が悪ければ始末してしまうような、まさに悪魔のかがみのような存在だった。そんな両親が、自分を豪奢な椅子に座らせ、自分たちは傍に傅く。おかしな状況だった。


 悪魔はしかし混乱することも狼狽えることもなかった。そのまま悪魔として成人――十五回、地獄の火山が噴火して大人であると認められるまで家の主として君臨していた。


 そして成人してすぐに両親を殺した。理由はつまらなかったからだ。面白くなかった。悪魔は切り落とした両親の首を持って領地を闊歩した。反応は様々だった。嬉しがる者と悲しむ者がいた。落ち着く者と取り乱す者がいた。予想の範疇だった。だから悪魔は殺して回った。つまらない。つまらない。つまらない。だから殺す。許しを求める者を殺す。命乞いする者を殺す。自分にとってつまらないと思う者を、すべて殺す。


 ああ。なんて世界は面白くないのだろう。



『――わたしのもとに、ひざまずきなさい』



 圧倒的、瘴気しょうき


 そうして――虚ろの世という世界のくだらなさに絶望していた悪魔に声を掛けたのは、見ただけで膝を折って涙を流してひれ伏してしまいたくなるほどの悪魔――達を引き連れた、王の中の、王だった。


 虚ろの世の、王。


 世界の王。



 ――【悪魔の王サタン】。



 悪魔は死を悟る。けれど悲しくはない。辛くもない。この御方を前にして感情は揺れない。たとえ殺されたとしても、ここで死んだとしても、それでいいではないか。それでいいのだと思えるのだ。むしろここでこの御方に――【悪魔の王サタン】様に殺されることこそ、これまで生きてきた理由なのではないか? 本気で、そう、思える。


『喜びなさい。おまえはこれから、わたしの駒になれるのだよ』


 そして広大な領地で王として君臨していた悪魔は悟った。自分を特別な存在であり特別な悪魔であると認めていたのは、すべて間違いだったと。生まれてからいままでのすべてが、間違いだったと。違うのだと。


 己は所詮、この御方の駒に過ぎないのだと!


 ああ――嬉しい! なんて嬉しいのだろう! この御方の駒になれる! それは大変な名誉に他ならないじゃないか! 他の塵芥ちりあくたの悪魔達とは違う! それこそまさに特別なのだ! 生きてきて、生きてきてよかった!


『名前を授けよう。いままでのすべてを忘れなさい。これからのすべてを、わたしのために、捧げるのだ。いいね?』


 やさしい微笑みだった。まさに王だった。それでいて、慈愛に満ちた――父だった。


 喜びに打ち震えて涙はれる。悪魔は【悪魔の王サタン】から名を授かる。心が揺れてしまうほどの光栄な名前を。そうだ。出会って三分で悪魔は決定的に己の人生を定めたのだ。そして決めた。これからは無意義に残虐的行為をするのはやめようと。すべての行いは【悪魔の王サタン】様のために。勝手な行いは慎み、すべての行動と言動を【悪魔の王サタン】様に捧げるのだ――!


 それから過ごした長い年月は幸せだった。【悪魔の王サタン】様は滅多にお姿を表さない。しかし【悪魔の王サタン】様がなにを望んでいるかは分かる。気がつけば、悪魔は頭角を表していた。


 【悪魔の王サタン】から名を授かるというのは虚ろの世において特別名誉なことだった。気がつけば悪魔のもとには配下が集まっていた。自分に付き従う者達。頭を垂れ、自分のことを彼らはこう呼んだ。



 【悪魔の王サタン】の子、と。



 しかし悪魔は頭を下げる彼らに一様に手を差し伸べた。そして言った。


『ボクに頭を下げる必要なんてないよ。みんな、ボクの友達さ!』


 悪魔にとってみれば自分など木っ端なのだ。あくまでもこの世界における王はひとりだけ。【悪魔の王サタン】だけ。頭を下げるべきは【悪魔の王サタン】だけなのだ。だから自分に頭を下げる必要なんてないのだ。もちろん配下は配下だ。それでも悪魔は彼らに軽く接してた。まるで友達のように。まるで親友のように。


 【業火の悪魔インフェルノ・デビル】は笑い方が豪胆な奴だった。直情的な面があって手の掛かる奴だったけれど裏表がなくて付き合いやすかった。自分を兄貴と呼んで慕ってくれた。よく二人で遊びに出ては人間を燃やして遊んでいた。どちらが先に人間の魂を地獄の業火で焦がせるか、楽しく遊んだのを覚えている。


 【双子の悪魔デビル・デビル】は双子のくせに性格が真逆だった。表面的な仲というのも悪そうだった。けれどそれがすべてポーズであることを悪魔は見抜いてもいた。二人は微笑ましくなってしまうくらいに仲良しなのだ。兄の方とはよく人間を殺す罠について話し合った。どういう罠が最も人間を苦しめるのに最適なのか? 大量の人間を殺すためにはどういう罠が最善か。弟の方とは人間の拷問方法について朝まで語り合った。実際に人間の魂を拷問して、実験したこともある。


 【空虚の悪魔ルーザー・デビル】は滅多に姿を表さない。いつも自分の作り出した異空間に引きこもってひとり遊びをしている。だからたまにこちらから出向いて遊ぶのだ。シャイな奴だった。笑いかけると白い頬を林檎のように染めていた。彼女とは気があったので人間を異空間にさらっては飽きるまで遊んでいた。飽きたら殺して捨ててしまえばいい。しかも魂は彼女の異空間にずっと監禁している。それはまるでペットみたいなものだった。痛みや苦しみを与えてやると人間の魂は暴れて震えてよく泣いて、こちらの気持ちを満たしてくれる。


 他にも様々な悪魔と友達だった。親友になれた。このまま【悪魔の王サタン】様のもとで配下という名の友人達とともに遊ぶ。人間を恐怖させて壊して殺して魂を貪って、遊ぶ。なんて幸せなのだろう? なんて満ち足りた日々なのだろう。


 幸せだった。




 ――烏丸ゴロウという名の、悪魔にとっての悪魔天敵が、現れるまでは。




 銃口の冷たい感触に、悪魔は我に返った。


 周囲では砂塵が渦巻いていた。乾いた風が強まっていた。熱波は悪魔の肌を焼く。灼熱の太陽は烏丸ゴロウではなく悪魔だけを集中的に狙っているような気さえした。もちろん気のせいだ。分かっている。それでも思ってしまう。


 目の前に座る烏丸ゴロウという人間の実像が、大きく、見えてくる。


「クソゲーの攻略法を教えてやろうか、悪魔」

「……きみは、もう、負けているんだよ? 呪われている、はずなんだよ?」

「はずってなんだよ。俺はまだ人間だぜ」

「……きみは」

「攻略法は一つ。勝つまでやめないことだ」


 烏丸ゴロウの指が、引き金を絞っていく。……大丈夫。当たらない――当たらない! 当たるはずがない! 天運は既に五回も――五回も烏丸ゴロウを撃っている! 烏丸ゴロウの敗北を告げている! だから当たらない。今回も当たらない。当たるはずがない……当たらないでくれっ!


 悪魔の懇願に応えるように、回転式拳銃リボルバーは不発を告げた。


 瞬間、重い、曇天よりも重いため息が、悪魔の口元から漏れていく。……もう、先ほどまでの喜びはない。ワクワクもない。いまはひたすら、怖い……怖い? 怖いのか? 怖い。なにが? ……烏丸ゴロウが。


 一体、これは、なんだ?


 なにが起きているんだ?


「また外した。うける。マジでこれいかさまじゃねーの? いや。いかさまじゃないよな。分かるよ。俺には。だからこそチャンスがあると思ってるんだけどさ」


 血だらけの烏丸ゴロウが言う。


 ひたいには穴にも思えるほどの傷があった。そこからとめどなく血があふれ出ている。顔中が血に濡れている。しかも血は乾燥して酸化してほとんど黒塗りにも近かった。その上を新しい血が流れていく……。まるで、鬼。


 頭蓋骨にひびが入っていても、おかしくはない。


 にも関わらず烏丸ゴロウは平然としていた。まるで痛みなど感じていないようだった。痛みという名の神経そのものが欠落しているかのようだった。異常だった。信じられない光景でもあった。


 そもそも悪魔の目的は烏丸ゴロウを呪うことなのだ。悪魔にしてしまうことなのだ。殺すことではないのだ。……しかし、勝手に、烏丸ゴロウは死ぬかもしれない。死を迎えてしまうかもしれない。ロシアン・ルーレットで、負け続けて。


 怖くないのか? 死ぬことが。傷つくことが。痛むことが。苦しむことが! 怖くはないのか……?


 異様かつ、異常。


 もう呪いはとっくに身体をむしばんでいるはずだ。五発も撃ったのだ! 五回も呪いは掛かっているのだ! であるならばもう呪われ、烏丸ゴロウは悪魔になっていてもおかしくはない。おかしくはないはずだ! それなのに……なぜ?


 なぜ――この天敵はッ!


「……烏丸ゴロウ」

「ん? 次はおまえの番だろ」

「……特別ルールを追加しないか?」

「後付けルールは喧嘩のもとって幼稚園で習わなかった?」

「負けを認めたら、負けられるルールだ。これは卑怯でもなんでもなく、ボクの優しさによる追加ルールだよ。ほら。そうしたら、きみだって、もうこんな思いはせずに済む。痛いだろう? 辛いだろう? 苦しいだろう? もう本当は泣きたいはずだろう? だから」

「まあべつにそれはそれでいいけど。おまえが負けを認めたとき、当然、名前は教えてもらうぞ?」


 ――そうじゃないっ! そうじゃない! これは烏丸ゴロウのためのルールなのだ。それに、それこそ、悪魔は負けを認めてはいけない。名前を知られてはいけない。弱体化してしまえば――殺されるッ!


 烏丸ゴロウの、血濡れた顔にめ込まれた黒い瞳。瞳はさながら虫網を持った少年のように輝いている。負けているのに。もう何度も負けているのに。そして痛い思いをしているはずなのに……度重なる呪いという名の絶望に、心も軋んでいるはずなのに! 既に悪魔になっていてもおかしくはないというのに!


 悪魔は、絶望的な気分で、天を仰いだ。


 ロシアン・ルーレットは終わらない。


 いつまでも終わらない。


 なぜなら烏丸ゴロウが悪魔にならないから。五発も弾を撃ち込まれているのに未だに悪魔にならない。そして負けを認めない。ゆえに終わらない。しかも――烏丸ゴロウは淡々と次のゲームへと進む。一切の躊躇なく回転式拳銃リボルバーの引き金を絞る。なにより――命乞いもせずにただ自分の運命を受け入れ続けているッ!


 絶望が、心に宿らない。


 条件は、達成されない!



「大丈夫。安心しろよ。いつかは終わる。だろ? 終了条件は二つに一つ。――俺が完全に悪魔になるか、俺がおまえの名前を知るか。なあ、ところで悪魔。どっちで終わると思う?」



 そしてすべての悪魔にとっての天敵烏丸ゴロウは、やさしく、いたわるように、悪魔の手に、回転式拳銃リボルバーを握らせた。



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