21.VS 悪魔


   21



 ――暑いな、砂漠。


 喉がけてしまうほどに渇きはじめていた。どこかに水はないだろうか? ないだろう。砂漠のオアシスを期待してはいけない。なにせここはダンジョン。目の前には余裕綽々の悪魔。名前がまだ分からない、中性的な悪魔。


「まあ座りなよ、烏丸ゴロウ。じっくりと話し合おうじゃないか」

「嫌でぇす」


 俺は右足に魔素マナを流し込む。


「駄々をこねるなよ。戦ったところで、お互いに傷つけあって終わりさ。かつ、きみの方が痛手を負うことになる。だから」

「おまえ、俺を、分かってないな」


 左足を回転させ、右足で思い切り砂地を蹴っ飛ばした。砂の散弾が膜のように拡がり、悪魔へと一瞬で迫る。――俺はその背後に隠れて肉薄する。


「分かっているさ」


 しかし、散弾の無効は一瞬だ。悪魔はなにもしない。立ったまま指先すら動かさずに、砂の散弾は見えない壁にぶつかって静止した。そして、俺も。


 見えない壁は、すべての衝撃を無効化してしまうような不可思議な壁だった。全速力の勢いはすべて吸収され、作用反作用の力学など無視されている。


 理屈や理論は、通用しない。


 静止していた砂粒が、大地へと滑り落ちていく。


 手を伸ばせば届く距離にいる悪魔に、しかし、手を伸ばすことが出来ない。


 悪魔は笑って指を鳴らす。リズムを取るように何度も。そして言う。


「きみのことは分かっている。理解している。だから、さっきも言っただろう? きみはボクの親愛なる友人達を葬ってきたんだ。ボクがなにも知らないはずないじゃないか」

「俺のなにを知ってるんだよ」

「きみの名前も、素性も、ダンジョンにおける行動も、きみが隠したがっている恥ずかしい秘密も、なにもかも」

「変態!」

「いまのきみに言われる筋合いはないけれど」


 首を傾げるようにして言いながら、悪魔はゆっくりとその場に腰を下ろしていく。


 俺はキャップ帽を脱ぎ捨てる。サングラスを外した。マスクも取ってしまう。そして素顔を晒す。焦げつくような砂のにおいを目一杯に嗅いだ。なんだか新鮮な酸素を吸うのも久しぶりのような気がした。


 拍手。


 軽い銃声にも似た拍手は悪魔の手元から放たれる。悪魔は悪魔らしく口角を深く上げながら微笑んでいた。無気味な微笑みだ。一定のリズム感覚で鳴らされる拍手も気味が悪い。


「座ろうじゃないか、烏丸ゴロウ。そしてボクと存分に語り合おう。ボクはきみと話したいことがたくさんあるんだよ」

「俺はないんですけど」

「ゲームをしないかい?」

「したくないです」

「このままじゃきみは緩やかな死を待つばかり。それでいいのかい?」


 優しい顔つきを純度100%の心配に染めて悪魔は言う。なるほど、悪魔らしい見事な表情だ。


 そして、悪魔の言い分は正しい。


 緩やかな死――俺は灼熱の気候を肌に感じながら思う。確かに。確かに確かに。たぶん戦闘に及んだところで無駄だ。お互いに傷つけ合うばかりで決着はない。そして回復力や生まれつきの丈夫さという点で悪魔に敵う道理もない。


 俺が先に死ぬだろう。


 だが究極、別に俺自身はどうでもよかった。しかし――俺は、振り返る。壊れた状態で、石碑のように砂漠に打ち立てられているロッカーを見る。さらに広大な七階層という砂漠全体に視線を這わせる。


 緊急事態に備えて待機していた探索者達が、いま、このダンジョンの攻略を始めている。いずれこの階層にもやってくるだろう。そのとき――悪魔は、彼らをどうするか?


 答えは分かりきっている。


 俺は早急に、この悪魔を殺さなければならない。


「三分、待て」

「待つとも。待つことには慣れているから」


 そして俺は受験生達の遺体に両手を合わせてから氷漬けの彼らを一カ所に纏めた。たとえ戦闘になったとしても被害をこうむらない場所に。さらに氷の精度を深めて頑丈にする。


 遺体に対して、抱く感情は少なく、薄かった。


 俺はもう、ダンジョンにおける死亡事故というものに、慣れすぎている。


 悪魔に向き直る。ゆっくりと近づいていく。正面。悪魔が俺を見上げた。……俺は腰を下ろす。飛びかかればすぐにでも手が届く距離に。


 悪魔の胸に手を当てて――命じればいい。


 おまえの名はなんだ、と。


 名前を知れば、悪魔は、大きく弱体化するから。


 しかし、

 遠い。


 俺は触れられないことを理解しながら、手を伸ばす。


 悪魔の胸元。


 悪魔は抵抗せず、ただ微笑みを深くする。


 手が、止まる。


 見えない壁は、悪魔を絶対的に守っている。


 ――名前を明かさぬ悪魔は、かくも恐ろしい。


「ゲームをしよう。烏丸ゴロウ。ボクはきみとゲームをすることを待ち望んでいたんだよねぇ。きみはゲームが好きなんだろう?」

「世界一人口の多い対戦ゲームの世界一を半年間防衛しちゃうくらいには」

「いい自慢だ」


 悪魔は砂山に手を入れた。もぞもぞと腕を動かし始める。


「きみのことはよく知っているんだ、烏丸ゴロウ」

「ストーカーですか? もしかして、くノ一の友達?」

「きみに葬られたボクのともがら達が、きみをどう言っていたか、知りたいかい?」

「いや別に」

「あの人間は変だ、と」


 ふーん。俺は聞き流す。


「きみに肉体を破壊され、魂と化した彼らは、地獄にかえる前にボクのところに来て、言っていた。……あの人間は変だ。変な人間に殺されちゃった、と」

「うける」


 あひゃひゃと笑う。悪魔は笑わない。俺は言う。


「……で? なにするんだよ? テレビゲームとか?」



「ロシアン・ルーレット」



 砂山から悪魔の手が引き抜かれた。


 握っているのは、命を奪う質感をした、黒。


 漆黒。


 回転式拳銃ブラック・リボルバー



「籠めるのは、魔素マナ



 からの弾倉が、爪弾つまびかれる。


 からからからから。


 まるで風車みたいに、軽快に、弾倉は回る。



「当たれば、死にはしないが、痛いよ」

「死なないロシアン・ルーレットって、面白くなくね?」

「大丈夫。死よりもつらい『呪い』が、きみをむしばむから」



 とびきりの笑顔で悪魔は言った。



「ボクはね、思うんだ。ボクの大切な友人達を地獄に送り返したきみに出来る、贖罪しょくざいはなんだろうと」

「贖罪は俺が決めるものであって、おまえが決めるものじゃないんだけど」

「そしてボクは思ったんだ」



 回転していた弾倉が、停止した。



「きみに、悪魔になってもらえばいいんだって。――そして、友達になろうよ!」



 漆黒の回転式拳銃リボルバーが、灼熱に煌めいた。



「きみが悪魔になってしまう呪いを、魔素マナめようじゃないか!」


「なら俺が勝ったら、おまえの名前を教えてもらう」



 名前を知りさえすれば――殺せる。


 悪魔は喜色満面に告げる。



「きみが完全な悪魔になるか、ボクが自分の名を名乗るか。――契約成立だね。さぁ、ゲームといこうか!」




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