20.悪魔
20
――悪魔と魔物の違いとはなにか?
俺はロッカーを出て状況を認識した瞬間に振り返って
濃縮された
これでもう、シラズさんは七階層にはやってこれない。あとは彼女が避難してくれることを願おう。
さて。
――
砂漠だった。遠く彼方では砂塵が渦を巻いて天を
砂に埋まった両足が、次第に火傷を招いてしまうほどに熱くなる。
けれど俺は痛みを感じていない。痛みを遮断している。意識から外している。そして俺が意識を向けるのは――眼光を研ぎ澄ませた先にあるのは
悪魔と、遺体。
受験者の腹から臓物を啜る悪魔と、見るも無惨に引き裂かれて失意のうちに命を散らしてしまった、複数の受験者達。
俺から最も近い距離にある遺体には左足と右手がなかった。残っている腕と手はまるで重機で砕かれたようにぐにゃぐにゃに骨折していた。顔は恐怖と悲哀に染まっていた。右の眼球は
千切れた左足と右手は、別の遺体に重なるように乗っかっていた。
「ちょっと待ってね。次はちゃんと君を食べてあげるけど。この子のお肉が美味しくてさぁ。もうすこしだけ待ってねぇ」
「おまえの名前は?」
「ん? ふふ。そんな
俺は凍てつくほどの殺気を
「おまえは場所を間違ってる。悪魔」
「ちょっとちょっと。ボクはこれでも礼儀の正しい悪魔なんだ。だから、食べるときに話しかけないでくれよな。そんなんじゃモテないぜ? きみ」
「ここはダンジョンの最深部じゃない」
「ダンジョンの最深部にしか悪魔が出現しない、なんて誰が決めたんだい?」
悪魔は――その名前も素性も分からない悪魔は首を傾げて言う。困ったように眉がひそめられた。まるで人間だった。いや。人間そのものだった。
街中を歩いていても違和感はないだろう。中性的な顔立ちをした、しかし声からして男だと分かる。さながら昼間はお洒落なカフェでコーヒーでもラテでもなく、スムージーをストローで飲んでいそうな爽やかなイケメンだ。年頃は大学生か? カジュアルな服装をしていた。
――悪魔と魔物の違いとはなにか?
――人間に近しい造形をしていて、かつ高度な知能を獲得しているか、否か。
「悪魔はいつだって神出鬼没さ。きみだってよぉく知っているはずだ。ボクがきみのことをよく知っているように、きみだってよぉく知っているはずなんだ」
「黙れ」
「あはは! 悪魔に黙れだって。面白いなぁ。悪魔なんて喋ってなんぼなんだぜ? きみは本当によく知っているはずじゃないか。違うかい? いいや、違わないはずだ。きみはよく知っている。悪魔について」
遅々として土中から進行していた
蒼の波動が悪魔の足下から放たれてその全身を伝った。風から伝わる熱波がひやりと冷える。悪魔の皮膚が氷に侵され――目と目が、合った。
にやりと、細められる。
瞬間に俺は猫のように跳躍してその場を飛び退く。
衝撃!
交差させた両腕に伝わるのは骨が軋んでしまうほどの圧力だった。俺はそのまま空中を回転し――回転しながら先ほど放った
刃のイメージ!
着地と同時に顔を上げる。
悪魔が俺の放った風の刃を軽く弾いているところだった。
先ほどまで俺が立っていた場所には、逆さに生えた巨大な
ただ、目的は果たした。
俺が最初に発動させた凍てつく魔法は
悪魔は鼻で笑った。
「なんだぁ。殺し合いがはじまると思ったんだけど、拍子抜けだなぁ。ふふ。きみって意外と、優しいところがあるんだね? ロッカーを壊したりなんかしてさ。あれ、良くないんじゃなかった? 人間のルールによるとさ。罰則じゃない?」
「悪魔を殺したらチャラだよ、全部。罰則なんてクソ食らえだ」
「うん。一理ある。ボクを殺せたら、きみは
悪魔はまるで伸びをするかのように目一杯両手を広げた。顎を上げて、気持ちよさそうに太陽を仰ぐ。風が吹き、悪魔の前髪を揺らした。
悪魔の全身にこびりついていた受験者達の血が、一瞬で乾いて剥がれて散っていく。まるでかさぶたが剥がれるかのように。
「ああ、気持ちの良い風だね」
「そうかよ」
「きみは思わないかい?」
「どうだろうな」
「つれないねぇ。まったく、きみらしくない」
「俺のなにを知ってるんだよ、悪魔が」
「なんでも知ってるさ。悪魔だから」
俺は――悟っている。これ以上ないくらいに悟っている。どうしようもないくらいに悟っている。砂漠の大地にひとりきりでぽつんと孤独に立ちながらに悟っている。
俺に、この悪魔は殺せない。
もしも六年前であれば? 良い勝負にはなっていたのではないだろうか? どうだろうか。俺はこの悪魔と対等に渡り合えていただろうか? 倒せていただろうか? 息の根を止められていただろうか? ああ。
この悪魔の『名前』を知っていれば、問題なく、殺せていただろう。
けれど――名前を知らない。そうだ。悪魔との戦いには攻略法が存在する。だが逆にいえば攻略法があるということは、攻略法の手順通りに事が進まなければ、不利を背負うということも意味している。
悪魔の名前を知るということは、悪魔を弱体化させるということに繋がる。
「おまえの名前は?」
「ん? ふふ。なんだと思う? 好きなように呼んでくれて構わないよ」
「じゃあ馬鹿の悪魔だな」
「うんうんそれでいいそれでいい。ふふ。お好きなようにどうぞ」
悪魔はまるでホテルマンのようにうやうやしく、胸の前に手を当てて深く礼をした。
その脳天に魔法を放ってしまいたかった。俺が想像出来る限りの最大限の攻撃の魔法を。それは灼熱であり爆発であり閃光であり破壊だ。けれど、俺は深く呼吸をして
無駄だ。
無駄であることを、俺は悟っている。
なにせ――やはり、名前を知らない。名前が分からない。この悪魔は何者か。どういう悪魔なのか? ――お互いに初対面で事前知識もない状態であれば、悪魔の方が優位だ。それは仕方のないことだった。木から落ちた林檎が地面に落ちていくのと同様――この世の
ダンジョンという場所において、悪魔はこの世の者ならざる、尋常ではない力を持っている。ありとあらゆる、人間を凌駕する、力を。
俺はいままで自分が
【
――まだまだいるが、いずれにせよ、俺は名を把握していた。
「それにしても、最初はまた餌がきたと思っていたけれど、うんうん。日頃の行いが良いからかな? 幸運な巡り合わせに感謝だねぇ」
「おまえの名前は?」
「んふふふふ。しつこいなぁ。執拗だなぁ。それにしても愚直すぎないかい? 無粋じゃないかい? きみの持ち味である、ユーモアはどうしたんだよ? ボクはわりと好きなんだぜ? きみのふざけた、悪魔を舐め腐った態度っていうのがさ」
悪魔はくるりと踊るように回転して言う。その足下で、砂が掘れていた。
悪魔の名前を知る
だが、それが至難だった。
――俺がいままで倒してきた悪魔達は先人達の犠牲によって名前が知れていた悪魔達だ。というか、ほとんどのダンジョンにおいては悪魔の名前というものは知られている。既に犠牲になった者達がいるから。だが今回のような新規の悪魔の出現――異変においては、例外である。
つまるところ、この場合において俺に求められている役割というのは、一つなのかもしれない。
悪魔の名前を、文字通り、死んでも持ち帰ること。
「おやおやおや。おやおやおやおや。神妙な顔つきだなぁ。きみらしくない。本当に、きみらしくないじゃないか」
「……だから、俺のなにを知ってるんだよ。おまえが」
「世の中というものは本当に不公平さ!」
悪魔は急に芝居がかった動作をしながら言う。高らかに響く声を砂漠に溶かして。
「きみはボクのことを知らない。けれど――ボクはきみのことを知っている」
「妄言も大概にした方がいい。嫌われちゃうぜ」
「きみの名前は烏丸ゴロウ」
瞬間、時間は止まる。
「ボクの――ボクの親愛なる友人達を地獄に葬ってきた、ボクにとっての、
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