23.ロシアン・ルーレット



   23



 荒唐無稽こうとうむけいかつ出鱈目でたらめな状況だけれども俺の頭は冴えていた。なぜならもう状況は不可逆的なところまで進行したからだ。契約は成立したのだ。


 そして、悪魔との契約は絶対だ。


 ロシアン・ルーレット。


 めるのは、魔素マナ


 俺が勝てば、悪魔の名前を知る。


 悪魔が勝てば――俺は呪われ、悪魔になる。


 ……悪魔になる? まったく意味が分からない! 通常の呪いとは違う。そうだ。通常、そこいらのダンジョンにいる悪魔が人間に向けて掛けてくる呪いとは致死的な病なのだ。たとえばテレサがいまその身をおかされているような、徐々に死へと近づいていく呪い。だが、どうやら俺に掛けられる呪いは特殊らしい。


 悪魔の白い手が握る、漆黒の回転式拳銃リボルバー。悪魔はまるで西部劇に出てくるヒーローのように回転式拳銃リボルバーを回す。引き金に指を沿わせて、その指を支点にして、くるくると。そして銃口に息を吹きかけた。


 悪魔は目を細めて言う。どこか艶やかな表情を醸して。


「きみは魔素マナの扱いが超絶に上手いよねぇ。まあボクには及ばないけれど。だからさ、ちょっと特殊なロシアン・ルーレットにしないかい?」


「いや、魔素マナの扱いはめっちゃ下手だぜ。どうしようもないくらいに」


「ボクの親愛ある友人である【空虚の悪魔ルーザー・デビル】を殺すとき、きみは最後の瞬間に魔素マナの波動を放ったね。魔法ですらない、魔素マナの、波動だ」


「あ、はい。某漫画に憧れていたもので。ていうかあれは誰しも憧れて当然っていうかやって当然っていうか探索者になったら一度はやってみたいっていうか……」


「さらにボクが長く面倒を見てきた【双子の悪魔デビル・デビル】を殺すとき、きみは魔素マナ機関銃マシンガンを放った。それで片割れの悪魔を常に牽制し、もう片方の悪魔を屠ったね」


「随分よく知ってるんだな」



「みんな地獄に行く前に、ボクに教えてくれたから」



 寂しげな表情を見せる悪魔――こいつは何者なんだろうか。


 俺に悪魔の死の過程は分からない。もしかすると悪魔の界隈では死んだときに知り合いに挨拶に行くのが常識、というか一般的なのかもしれない。けれど……俺は思い出す。自分が殺してきた悪魔達を。


 彼ら彼女達が死の間際に挨拶? まるで想像がつかない。どいつもこいつも凶悪の塊のような奴らだった。同胞の悪魔の悪口さえ語っていたのだ。


「ねえ、烏丸ゴロウ」

「……」

「ボクはきみに期待しているんだ。ボクはきみこそ優れた悪魔なんじゃないかって、ずっとずっと期待していたんだ。なのにきみは、六年前からダンジョンに現れなくなったよね」

「はやくゲーム、しないっすか?」

「でも、今日、いきなり現れた。はは。きみは悪魔的に焦らすのが上手だし、サプライズも上手だ! やっぱりきみ、良い悪魔になれるよ。きっとボクの親友になれると思うんだ! 永劫えいごう的な、親友に」


 にこにこ。悪魔は中性的な顔つきをやわらかくさせて微笑む。まるで天使みたいに。


「はやくゲームしよう。お互いのどちらかが破滅するまでの」

「ちょっと特殊なロシアン・ルーレットにしよう。でもその前にじゃんけんだ。烏丸ゴロウ」


 拳をふりふりさせながら悪魔は言う。まるで子供みたいに。いや。もしかすると子供なのかもしれないなと俺はふと思う。どうしてそう思うのかは分からない。そもそも悪魔に子供とか大人とかの概念があるのかすら俺には分からない。でも、なんとなく、さながら散歩中に香ってくるどこかの家庭の夕食のように、子供なのではないかと、思う。


「勝った方が先攻。いいね?」


 じゃんけんをする。


 俺は悪魔の表情を見る。目線を窺う。「最初はぐー」。視線を落とす。拳は拳のまま。俺の拳と付きあって、ふりふり、ふりふり。「じゃんけん」。――俺は自分の右手に魔素マナを流し込む。「――ぽん」。悪魔の拳がぴくりと動く予兆を感じて一瞬でチョキの形を作ろうとするけれどその前に悪魔の表情を見て、その表情が俺を見てわらっていることに気がついて、俺は一気に手を開いた。


 俺のぱー、悪魔のぐー。


「あはは。意外に臆病なんだね? 烏丸ゴロウ」

「負けた奴が抜かすなよ」

「あはっ。じゃんけんの勝ち負けなんてどうでもいいさ」

「どうかな。一発目で当たりを引き当てて、おまえは自分の名を吐き出すかもしれない。契約の履行として」

「うん。大丈夫。契約は守るさ。いや。ボクが悪魔ボクである限り、守らざるを得ないっていう方が正しいんだけどねぇ」


 悪魔はからの弾倉の一つに指を添えた。そして――濃密な魔素マナの気配。抽出されていくそれは目で見えるほどに濃かった。まるでアメジスト。キラキラと輝くアメジストの宝石が弾倉に装填される。


「……おい。俺が先攻だろ? 勝ったのは俺だぜ。なんでおまえが」

「うん。だからきみが先に撃たれるんだ。ロシアン・ルーレットの先行っていうのは、そういう意味だろう?」

「……」

「ボクは悪魔だよ」


 天使みたいな微笑みのままに悪魔は言った。


 そして、俺は思考を切り替えなければいけない。明らかにいまのは俺のミスだった。確認不足だった。油断だった。慢心だった。甘えだった。これではいけない――どこか、まだ切り替わっていないような気がする。にぶっているような気がする。いや。ブランクがあるのだから当然か。けれどブランクなんていうものは言い訳に過ぎない。


 いま、ここで、死ぬということ。


 死ぬかもしれないということ。


 それを、俺は、まだ、具体的には掴めていないのだ。


 具体的な危機感として、まだなにも警戒できていないのだ!


 だから、切り替える。俺は切り替える。死ぬ覚悟を――同時に、殺す覚悟を。俺は瞳に宿してから言う。


「確認させろ」

「? なにをさ」

「弾丸の位置を」


 悪魔は渋々といった様子で弾倉を開く。俺は悪魔の些細な一挙手一投足に全神経を集中させる。弾倉には、弾が一発。俺は弾丸がどこに籠められているのかを確認する。


 弾倉が、再度、閉じられる。


「これでいいかい?」

「ああ」

「よし。再度、終了条件の再確認をしよう。……きみが呪われて悪魔になるか、ボクが自分の名を吐き出すか。これで構わないね?」


 俺は頷く。


 ――悪魔が弾倉を回す。一回。かちかちかちかちかち。音は不思議なほどに心地よく、これから俺に向けられる、命を奪うための武器だという事実を、薄れさせるほどだった。


「……ふふ。あはは。あはははははっ!」


 悪魔はゆっくりと回転式拳銃リボルバーを持ち上げる。まるで焦らすかのように。そして銃口は俺のひたいに突き当てられた。……なるほど特殊な遊びだ。特殊なロシアン・ルーレットだ。相手に向けられる銃口。


 相手から伝わってくる、まるで黄昏みたいな、くらい感情。


 滲む、殺気。


 撃鉄が、起こされる。


「終わっちゃうかもねぇ、烏丸ゴロウ。ここできみは終わっちゃうかもしれない。というか、きみ、なんか、ぬるくなってないかい? いや、答えは要らないね。なっている。ぬるいよ、きみ。六年前とはまるで違う。ボクの親友達を殺しに殺し回っていたときとはまるで違う。全然、弱い」


 引き金に、指が、添わされた。


「――衰えている。きみは」


 ゆっくりと、引き金が、絞られていく。


「でも大丈夫。悪魔にさえなってしまえば、なにせきみには天性の悪魔性っていうものがあるんだから」

「御託は良いから、はやく、撃てよ」


 俺は悪魔から視線を外さない。悪魔の瞳から視線を外さない。瞳の奥に見える仄暗ほのぐらい部分から決して目を背けない。


「きみ、自分は大丈夫だって思ってない?」

「御託は良いって言ってるだろ」

「自分だけは負けないって、なにか、勘違いしてないかい?」


 ひたいに当たる銃口の圧力が、高まった。


 俺は答えない。


「自分を特別だと感じていないかい?」


 俺は答えない。


「自分は他とは違う。天才だ。運もある。いままでも勝ち続けてきた。なんだかんだで、人生は上手くいっている。世界は自分を中心に回っている。だから死なないって、どこか、勘違いしていないかい?」


 俺は答えない。


「――きみは、負けるよ」

「撃てよ」


「きみだって負けるときがあるんだ。それは、生きている限りは仕方がない。どんな強者も、どんな天才も、たとえもしもこの世界に主人公みたいな存在がいたとしても、みんな、負けるよ」


「撃て」

「負けない人生なんてありえないのさ!」



 そして撃鉄が叩かれた。



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