第38話 スローライフ配信者。未知への探求に触れる

 俺は赤くなったマナナッツを持って植野教授の元へと向かった。


 実際に結実したマナナッツ。これを植野教授に見せればなにかがわかるかもしれない。


 クロベーが喋れるようになったり、俺の身体能力や頭脳や睡眠の効率を向上させたこの不思議な木の実。


 その性質は今は不明であり、怖いところもある。でも、それが解明されたら人類にとっての大きな飛躍となりうるかもしれない。


「ふむ……これがマナナッツですか。確かに赤いですね」


 植野教授はまじまじと俺の持っているマナナッツを見つめている。


「私のところのマナナッツも開花してもう直に結実すると思います。このマナナッツを食べた時の効果は……」


「はい。ダンジョン内のモンスターに食べさせたら、ダンジョン外で活動できるようになったり、しゃべったりできるようになりました」


 植野教授はアゴに手を当ててなにかを考えている。


「うーん……マナナッツ自体にモンスターを手懐ける効果があれば、モンスターは人類にとって大きな助けとなってくれるかもしれません」


 人間とモンスターの共存。それができれば、人類は大きく発展するかもしれない。


 例えば、現代でも人間の役に立っている動物はいる。盲導犬や介助犬。畜産業の動物等々。


 それらのポジションに新たにモンスターが加わるとなると……その経済効果は計り知れないかもしれない。


「しかし、狩谷さんが飼っているモンスターが特別に人懐っこいだけだったかもしれません。そうでない凶暴なモンスターがダンジョンの外に出ると大きな被害が出るのは免れないでしょう」


「ええ。それは俺も危惧しています。だからモンスターに与えるのは慎重にならざるを得ないと思います」


 人間よりも遥かにパワーがあって意思疎通ができるモンスター。それを有効活用できるのはまさに夢ではあるけれど、安全性が確保できない限りは不用意にこのマナナッツを解禁するわけにはいかない。


 幸いにして、この赤いマナナッツは俺の庭の土でしか栽培できないらしい。だから、世間一般がこの赤いマナナッツを手に入れるのはほぼ不可能だ。


 だから、俺がこの赤いマナナッツを不用意に配らなければ平和なままでいられるかもしれない。


 と言っても、俺の庭にいる微生物と同じ性質の微生物が他にいないとも限らない。この赤いマナナッツが解禁されるのもいつかは起こりうるかもしれない。


「狩谷さん。この赤いマナナッツをウチで預からせてもらえませんか? 成分やらなにやらを研究したいのです」


「ええ。俺1人で手に余るような案件なのでそっちの方が助かります」


 植野教授は俺から受け取ったマナナッツを見て首をかしげている。


「この赤いマナナッツ。そのままかじると確かに危険な代物かもしれないけれど、成分を抽出して調整すれば良い感じの効能になるのかもしれませんね」


「あっ……たしかに。俺はそのまま食べることしか頭にありませんでした」


 成分を抽出して、調整して薬として使用する。その発想はなかった。


 というか、発想があったとしても、素人の俺がそんなことできるはずもない。やはり、ここは大学という研究機関の力を借りるしかないか。


「植野教授。このマナナッツの研究成果をどうするつもりですか? やっぱり、世間に公表しますか?」


「ええ。私も研究成果をまとめて報告するのが仕事なものですからね。研究結果のねつ造や隠ぺいはできません」


 まあ、そりゃそうか。植野教授の立場からするとそうなるよな。仕事として研究しているわけだし、その成果を隠すというのことは、仕事をしてないと思われても仕方がない。


 仕事というのは報告して始めて評価の土俵に上がれるというものだ。


「狩谷さんの危惧していることもわかります。しかし、ここは私に任せていただきたい。決してこの研究結果を悪いようには致しません」


「はい……植野教授を信じます」


 というか、もう信じるしかなくなったよな。いくらでも悪用できるこの赤いマナナッツ。植野教授も手に入れるのは時間の問題だ。


 ならば、その危険性もきちんと報告して相談する。それが俺に遺された最善手だ。


 俺が庭の土を植野教授に渡した時点でこの道をたどるのは避けられないことだ。


 あるいは、俺がマナナッツを栽培しようとしなければ、このパンドラの箱は生まれなかったのかもしれない。


 なんで、ほんの数ヶ月前までブラック企業でひーこら言っていた俺が、こんな重大なことに巻き込まれているんだろうか。


 俺はヒーローでもなければ、大スターでもない。たんなる一般人だ。


 それなのに、こんな大きな発見に関わることになるなんて。人生は本当になにが起きるかわからないな。


「ところで狩谷さん。この赤いマナナッツ食べると眠くなるとのことですが……」


「はい」


「あなたはこの効果を実感してなにを思いましたか?」


「えっと……そうですね。食べるとすぐ眠くなるのは危険じゃないかなって思います」


「なるほど。確かに状況によっては危険でしょう。しかし、睡眠は人間にとって……いえ、生物にとって最も重要なことなのです」


 睡眠が重要? なんかそう言われてもイマイチ、ピンとこない。


「そうですかね? 俺は寝過ごしたりしたら時間がもったいなく感じますけど」


「ふむ。こういう話は聞いたことありますかね? 生物はどうして眠るようになったのか? その理由についての考察です」


「いえ、全く心当たりがありません……俺の予想ですけど疲れた体や脳を休ませるためじゃないですかね?」


 眠ると疲労回復するからこれは正しいと思う。


「いいえ。それでは脳のない生物が眠ることへの説明がつきません。脳のない生物が体を動かなくても睡眠はしますし、その生物も睡眠をとらなければパフォーマンスは下がります」


「うーん……なんか全く予想できませんね。なんで睡眠は必要なんでしょうか」


「その理由は案外単純なものなのです。生物は進化の過程で睡眠を手に入れたのではない。その逆。進化の過程で覚醒を手に入れたのだという」


 俺は植野教授が一瞬なにをいっているのかわからなかった。でも、冷静に彼の言葉を反芻はんすうしてみると、言いたいことが理解できた。


「生物は眠っている状態が基本だったということですか?」


「その通り。起きている方が生物としては不自然な状態なのかもしれない。そういう話があるのですよ……まあ、私も聞いた話で、この分野に関しては素人なもので話半分に聞いておいてください」


 植野教授は赤いマナナッツを見て更に語りだす。


「睡眠状態が生物の基本だとするならば、この赤いマナナッツは生物のその根源に関わっていることになる。進化というものは何も新しいなにかを得るだけのものではない。失うこともあるでしょう」


「失う……例えば、蛇の元になった生物から手足がなくなるみたいな話ですか?」


「ええ、概ねその通りです。生物が進化の過程で覚醒を手に入れたとすれば、代わりになにかを失ったかもしれません。この赤いマナナッツはその失ったなにかを呼び起こそうとしているのかもしれません」


 植野教授は赤いマナナッツをじっと見ている。まるで黄金に魅入られた商人のような目である。研究者として、未知のものに遭遇するとこういう目になるんだろうか。


「少し、私の仮説を語りすぎましたね。これでも研究者なものなので、未知への探求心は高いつもりなのです」


「いえ。とても興味深い話でした」


 俺が急激に眠くなって、その後に物凄い力が沸いてくる……人間は起き続けることでパフォーマンスは下がってしまう。だとすると、覚醒って本来は生物が持っている能力を減衰させる行為なのではないか。


 赤いマナナッツは力を与えてくれるんじゃなくて、減衰したなにかを取り戻してくれている? うーん。根拠はないけれどそういう気がしてきたな。


 まあ、俺は植野教授みたいに科学者じゃないから完全に素人考えだけど。

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