第8話 スローライフ配信者。庭いじりをする

 ここでの生活も落ち着いてきた。とりあえず、求人サイトを見ながら就職先を考えている段階である。


 仕事さえ見つかればここでの生活も安定するはず。しかし、それよりも先に俺はやりたいことがあった。


 それは庭の手入れである。最初にここの家に来た時から思っていたことであるが、この庭は手入れされていない。


 庭の手入れをしていないと見栄えが悪くて、こっちで友人ができたとしても、家に呼ぶなんてことができなくなる。


 それに、配信で庭が映ってしまった時に手入れされていない庭が映ってしまうとだらしのない奴だと思われてしまうかもしれない。


 それだけは避けたいので、俺は就職先が決まる前に庭の手入れをしようと思った。


 季節は8月真っ只中。暑い。とにかく暑い。炎天下の中で作業をすることになるから、どうしても暑さ対策は必要である。


 水分と塩分。それを用意しなければ死ぬ。日本の夏の暑さを甘く見てはいけない。今日の予想最高気温は37度。猛暑日である。こんな暑いのに、今日これを決行するのには理由がある。明日はもっと暑いからである。そして……明後日は雨だからである。


 となると、天気予報的には今日やるのがベターというわけで……先延ばしにしても良いことはなさそうだし、もう少し後の日付ならば適した気候はあるかもしれないけれど、そんな長い間放置もしたくない。


 そんなわけで、まずは水分。これはクーラーボックスにキンキンに冷えた麦茶を入れる。酒やジュース等は利尿作用があるのでかえって水分を失うことになる。だから、ノンカフェインの麦茶こそが熱中症対策において最強だと個人的には思っている。


 そして、もう1つは塩タブレット。汗をかいた後に食うと滅茶苦茶うまくてつい食べ過ぎてしまうということでお馴染みのブツである。


 日本人は塩分をとりすぎだと言われている原因の1つなのではないかと密かに疑っているのである。しかし、それでも真夏に塩分を取らなければ死ぬので、過剰摂取に気を付けながらかじることになるアイテムだ。


 そして日焼け対策も忘れてはいけない。日焼け止めクリームを全身に塗り塗りして、タオルも首に巻く。帽子もかぶって髪の毛も紫外線から守る。髪は長い友達と言う。雑に扱ってその長い友達と短い付き合いにならないようにしたいところだ。


「よし、準備できた。まずはこの雑草を抜くところかな」


 俺はボーボーに伸びた雑草をぶちぶちと抜く。2度と生えないように根こそぎぶち抜く。でかい雑草を抜いて地面の中で複雑に絡み立った根ごとぶち抜くととても気持ちが良かった。


 しかし、その気持ち良さも最初だけであった。この作業が続くとどうしても単調なので飽きが来てしまう。でかめの雑草を抜いて気持ちいいという感覚が面倒だなに変わった時に一気にやる気がなくなってしまう。


「ふう……少し休憩だな」


 俺はクーラーボックスから麦茶を取り出してゴクゴクと飲む。流れる汗を首に巻いたタオルを使って拭きながら一息つく。


 拭いてむ拭いても湧いてくる汗に俺は田舎の夏を感じていた。


 そりゃ都会でも汗はかく。だって、都会も暑いし。でも、田舎でかく汗とはまた違うものである。


 具体的な違いは説明できないけれど、都会でかく汗はなんか違う。イキイキとしていない。でも、田舎でかく汗は生きているという実感がするのだ。


 この感覚は学生時代にバスケをやっていた時にかいた汗に近いのかもしれない。あの時の運動でかいた汗。あれは確実に青春の汗で、自分が前を向いて前に進んでいるという実感を感じるものであった。


 ブラック企業に勤めていた時にかいた汗。外回り営業の時の汗は……なんかこう生きているっていう感じはしなかった。


 同じ生理現象なのにこの違いはなんなんだろう。単に気持ちの問題なのであろうか。


 仕事もキツいことにはキツい。この庭いじりもキツくないと言えば嘘になる。でも、前者は全く楽しくなかったけれど、後者は楽しさを見出す余地はあるんだ。


 実際、最初の方にでかい雑草を抜いたら楽しくて気持ちいいという感覚はあった。


 これが自然に触れるということなのだろうか。人間は土や植物に触れることでしか摂取できない心の栄養素というものは確実に存在すると思う。


 俺はこの田舎暮らしを始めてそれに気づけたのかもしれない。俺の中で1つの真理が確立された瞬間だった。


 もしかしたら、ブラック企業に勤めていた時に観葉植物を買ってきて、その世話をしていたらある程度のストレスは軽減できたのかもしれない。そうしたら、もっと違う未来が……いや、ないな。どっちにしろ、あの仕事はやめたい。ストレス軽減できたから良いってもんじゃない。


 いまだに俺は上司を恨んでいる。会社を軽蔑している。世の中にあんな詐欺まがいなことをして、客を騙している企業が存在していいものなのか。


 内部告発してもギリギリ法律に抵触していない範囲だから意味がないのもタチが悪い。


「ぬわああ!」


 前の会社のことを思い出すだけで腹が立ってきた。俺のこの怒りは雑草刈りにぶつけよう。この草を、ムカつく上司の残り少ない髪の毛だと思って毟ってやる。おら! ハゲろ! ぶちって抜いてやる!


 ぶちぶちと音を立てて抜けていく雑草。それを数回繰り返すことで俺の溜飲は下がった。


「ふう……落ち着いた」


 今思えば、上司も上司で苦労していたのかもしれない。あそこまでの地位を得るためには犠牲にするものも多かったはず。その過程でストレスでハゲてしまっていたのかもしれない。


 あのハゲは遺伝とかじゃなくて環境で生まれたものだとしたら同情の余地は多少はあるのかも……いや、ねーな。どんな事情があっても俺にパワハラするやつは許さねえ。


 他人に殴られたからって、他人を殴っていいわけではないのだ。俺も上司に恫喝されたからって、それを他の人間。後輩や将来できる部下にやったところで憎しみの連鎖を生むだけだ。


 だから、俺は降りた。俺にはそんなことはとてもできない……いや、待てよ。あのハゲ上司と同期の世代もこうした感覚を持っている人間が離れた結果、あのパワハラ陰湿ハゲ上司だけが生き残って出世街道を上ったんじゃないのか。


 うーん。なんというか日本社会の縮図と言うか闇を見たような気がする。まともな環境じゃなければ、まともな人間からやめていくので結果として残るのはまともじゃない人間だけ。だから自浄作用が働かない。


「恐ろしいもんだなあ」


 次の職場はきちんとしたまともな環境であることを祈ろう。そう願いながら俺は草むしりを続けた。


「ふう、草むしり終了……!」


 俺はなんとか草むしりを終わらせることができた。ボーボーの雑草に荒らされ放題だった庭がなんということでしょう。キレイすぎて殺風景な庭へと変貌しました。これはこれで寂しい。


「雑草の代わりになにか植えないとな」


 とはいえ、なにかを植えるのにも金はかかるというもので……庭に植えて良い植物とかも探さないといけない。


「確かこの土はアルカリ性だったな」


 アルカリ性の土壌に適した植物。それを調べて探して植える。それは今後の課題にしよう。そして、今はとにかく……休みたい。


「疲れたな。汗で体がびっしょびしょだ」


 俺はシャワーを浴びてから、家に戻って横になった。クーラーが効いた部屋で大の字に寝転がって天井を見上げる。こうしていると1つの達成感と言うものを感じる。だが、俺には直視しなければならない現実が残っていた。


 俺は立ち上がり、窓から庭を見た。そこから見る現実の光景。


「……とりあえず、あの一画だけは終わったな」


 そう、庭全体はまだまだ終わってないのである。庭が広すぎて1日で終わるわけがない。


 とりあえず人目につきやすい位置だけ、視界に入りやすい表の部分だけ、応急処置で終わらせただけである。家の裏側の部分はまだまだ終わっていない。俺たちの草むしりはこれからだ!

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