第3話 売れない元ダンジョン配信者。スローライフを配信する
新村さんからもらった野菜を持って、俺は自宅へと帰還した。野菜が入ったビニール袋を台所に置いてみる。
「このトマトうまそうだな」
俺は袋からガサゴソとトマトを取り出して、それを水道水で洗う。そして、そのままかじりついた。
トマトの水分が口いっぱいに広がる。鼻を通るトマトのちょっと青臭い香り。水分が舌に沁みこむと濃厚なうま味が感じられる。
とれたて新鮮の野菜の味。実にうまい。一口かじっただけで口の中に広がるうま味。まさにこれはうま味の爆弾ともいえるトマトだ。
俺は夢中で二口目にかじりついていた。うめえ。うめえ、と言いながら俺は夢中でトマトに貪りつく。
安いスーパーには絶対に売っていないような味だ。こんなもの食べたら、普通のトマトじゃ物足りなくなってしまう。
「うーまーいーぞー」
俺は誰もいない家でそんなことを言って転がり回った。それくらいおおげさなリアクションをするほどの衝撃を受けたのだった。
◇
そろそろ朝から昼に変わるような時間帯。ブロロロオオとトラックのエンジン音が近づいてくる。俺は窓からその様子を見た。トラックが俺の家の前に停車する。
そして、トラックの運ちゃんが下りてきて、俺の家のインターホンを押した。
「すみませーん。タスマニア運送でーす。お荷物をお届けに参りました」
「はーい」
俺は運ちゃんに応対する。玄関で挨拶をするとトラックから次々と人が出てきて、荷台に積まれている俺の家具類を下ろしていく。
「すみません。これ入れちゃっても良いですか」
「あ、はい。どうぞ」
業者の人たちが次々に引っ越しの荷物を俺の家に搬入してくる。俺は荷物を置く位置を指示していく。
それから数十分。荷物の搬入が全て終了した。
「ありがとうございましたー!」
「いえいえ、お疲れ様でした」
業者の人たちはトラックに乗って去って行った。これでここで生活する分の家具は揃ったわけだ。細かい位置の調整は俺がやらなければならないけれど、それはまあ後でいいか。
それよりも俺は持ってきた荷物を確認する。荷物の中に……あった。俺の前職……と言っていいのか微妙だけど、その相棒。配信機材である。
カメラがついているドローンのような飛行物体で、ダンジョン配信によく用いられていた。最新のAIが搭載されていて、持ち主の後を自動的に追随するのである。
激しい戦闘をするダンジョン内では、かなり役に立つ。戦闘の余波を自動的に感知して勝手に攻撃を避けてくれるので破損する危険性も低い。
今となってはこれはもう無用の長物とでも言うべきなのだろうか。こんな高性能なカメラは必要ない。これを売り払って別のカメラを買った方がいくらかは経済的には有用である。
でも、これを売らずにこの地に持ってきたのには理由がある。それは最後の配信をするためである。
一応は俺も売れないとはいえ、ダンジョン配信者をやっていた。チャンネル登録者数だってそれなりにいる。3桁だけど。
見てくれる常連もいる中で黙ってフェードアウトは個人的にはしたくない。というわけで、引退配信というわけではないけれどダンジョン配信をやめることを伝えるために、そして、田舎で元気で暮らしていることを伝えるために撮影機材は必要だったのだ。
「さあ。行くぞ。相棒。最後の配信を撮ろうじゃないか」
俺はドローンカメラを起動した。そして、庭先で配信を始めた。
「はい。みなさんどうも~。レンです。今日は大切なお知らせがあってこの配信をさせていただきます」
視聴者数が5人。まあ、こんなもんだろう。
「実は俺はもうダンジョン配信者を引退しようと思っています」
:マジで?
「すみません。本当に応援してくれる人には申し訳ないんですけど……脱サラして始めたダンジョン配信も思ったように伸びずに、今後の活動が厳しい状況となりました」
:そっか。それなら仕方ないね。今までありがとう
言葉を紡ぐたびに心苦しくて寂しい気持ちになってくる。引退配信は思ったよりも心に来てしまう。胸の奥になにかつっかえたような感覚があり、目頭も熱くなっている。
そんな長い期間やっていたわけじゃないけれど、思ったよりも思い入れがあったんだな。って改めて思った。配信で初めてコメントがついた時のことも思い出す。あの時は本当にうれしかった。その感覚をもう味わえないと思うととても悲しくなってきた。
:ダンジョン配信をやめてなにするの?
「えっと……田舎でのんびりとスローライフをしようと思っているかな。あんまり、その辺のことは詳しく考えてなくて見切り発車だけど」
:そっか。スローライフ配信か
「え? スローライフ配信……」
その言葉に俺はビビっと来た。そうだ。別にダンジョンに潜らなくても配信をやめる必要はないんだ。ダンジョン配信以外にも配信の道はある。この視聴者のコメントに俺の中のなにかが沸き立ってきた。
「そうなんですよね。これからはのんびりと趣味の配信をしようと思います」
配信を仕事にしようとしていたから辛かったんだ。だから伸びなくて、流行りのダンジョン配信に手を付けたりして苦しくて。でも、完全に趣味だったらそこまで伸びなくても割り切れるかもしれない。
この短い引退配信の中でも俺はとても悲しくて寂しくて辛い気持ちになった。それは、きっと俺が配信が好きだったからそう思えるんだ。ダンジョン配信で生活できて食っていければそれで良かったんだろうけど、現実はそうはいかない。
きちんと本業は別に持っていて、趣味で配信をする程度なら今の俺でも続けられるような気がする。
:具体的にはどんなことするの?
視聴者につっこまれたけれど、なーんにも考えてなかったぞ。完全にアドリブ。ノープランでスローライフ配信するって言ったけれど何をすればいいんだ?
「あ、えーと……マナナッツの栽培とか……?」
今適当に考えた。マナナッツはダンジョンの中に落ちている木の実で、これを食べると力が沸いてくるというものである。ダンジョン内でモンスターと戦闘する時に食べると効果的である。
俺もダンジョン配信者をしていて、これを何個か拾ったことがある。ダンジョンを探索していれば勝手に手に入るものであるため、希少価値はそんなにない。ここに引っ越してきた時に一応何個か持ってきている。
:マナナッツの栽培? たしか、それって前例がないことだよね?
「前例がない……そうか。それじゃあ、マナナッツの栽培を確立すれば結構すごいことになるんじゃないのか?」
実用性はほとんどないと思う。だから、今まで誰もやってこなかったことだ。なにせ、マナナッツは履いて捨てるほど多くある。
でも、マナナッツの木の実を植えて育ててその記録を取ることは学術的には意味があることだと思う。
「よし、やってみよう。ちょっと待ってて」
俺は一旦、カメラを切ってからマナナッツを取りに家の中に向かった。マナナッツを手に戻り、再びカメラを起動させて映す。
「それでは、今からこのマナナッツを植えたいと思います。とは言え、流石に庭に直に植えるのはやめとこうかな」
マナナッツの生態がよくわかっていない以上は、庭に直に植えるのは危険なことである。もし、これがミント並に生命力と繁殖力が強かったら、隣の家の庭にまで浸蝕しかねないほどである。
だからここは鉢植えがベストである。ちょうど、庭に植木鉢をはじめとした園芸用品が乱雑に置かれている。この家の前の所有者がおいていったものだろうか。丁度良い。この家にあるものは自由に使っていいと言われていたのでこの植木鉢もそうなんだろう。
「それじゃあ、この鉢に庭の土を入れて、そこにマナナッツを植えたいと思います。マナナッツの生育状況は逐一配信で報告するので楽しみにしていてねー」
こうして、俺のスローライフ配信生活が始まった。ダンジョン内に落ちていて、基本的にはすぐに食べるような果実。マナナッツ。それを植える配信。これは伸びるのか伸びないのか。それは天のみぞ知ると言ったところか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます