第30話 精霊と人間

 ダーインが現れた瞬間、ジークリンデは一瞬でレイピアを抜き、構えを取ったが、反面、アニュラスのデミス隊の事情に詳しくないシャルルとハイナは、眼前のスプリガンの殺気に怯むばかりである。

 そんな風に、背中に守るべきものを置いて対峙するには、ダーインという男は、あまりにも強大すぎる相手だった。

(しかも、あの光る剣――デミス隊の最終兵器、“聖剣”じゃ…?)

 その長い刀身は、あらゆる魔力を弾き返し、全ての魔法を無力化する。さらに剣が放つ光は魔物とアンデッドに特効があり、殺すのではなく、“滅する”という。

 その力は、ただの噂に留まらない。過去幾度となくあったアニュラス防衛作戦において実践に何度も投入され、無敗の戦果を挙げて来た。なにより対『魔王』決戦兵器として生み出され、勝敗の決め手になった歴史すらある。

(その最終兵器をデミス隊隊長なら、国防以外の目的で持ちだせるのか…? 私たちを殺すためなら…?)

 その事実に違和感を感じつつ、ジークリンデはレイピアを握る手に一層強く力を込めた。

 ダーインは切っ先を上げたままの構えで腕を微動だに揺らすこともなく、口を開いた。

「私が此処に来た理由は分かるな、騎士。お前が、我らの仲間に手を挙げなければ、他の手段もあったろうに」

「……なに? 貴方の、仲間…?」

 ジークリンデは目を丸くしたので、ダーインは歯を剥く。

「エルフ、それと、デュラハンの者に覚えはないか?」

 それを聞き、ジークリンデは瞳を揺らす。「まて、彼らは…! 無事に、アニュラスに戻ったはずだ!!」

「そんなことを信じると思うか?」

 それから、ダーインは冷めた視線をジークリンデの横にいるシャルルへと向けた。彼が巻いているスカーフを尻目に、ふん、と鼻を鳴らした。

「陽依目の真似事か? そんなもので私は誤魔化せんぞ、デュアラントの魔術師。それと、報告のあったダークエルフ。貴様もな」

「わ、私も…!?」

 ハイナが肩を小さくこわばらせた。


「闇魔力の行使、アニュラス防壁の破壊、拘束への抵抗、およびデミス隊隊員への攻撃行為――これら罪状は事実確認済みである。よってアニュラスの円満なる秩序の維持のため、デミス隊隊長の名のもとにを執行する」


(死刑…!?)

 暗殺という名目ですらなくなったことを悟り、皆がたじろいだ。

 そんな、生き残るなら抵抗する以外の道がない状況のなか。

 ――ぬるり

と、そんな嫌な殺気を背後に感じ、ジークリンデは咄嗟に振り返った。

 そして金属音が響く。

 とっさに振り上げたレイピアと相手の剣がぶつかったのだ。そのことに反響音を聞きながら、ジークリンデは遅れて気付く。

「…へえ。気付くとはね。少し驚いたよ」

「……!!」

(な、なん…だ、こいつは!?)

 ジークリンデの背後に迫っていたのは、一見して、得体の知れないデミスだった。人型ではあるが、非対称に生えた黒い三本角とうっすらと輝く長い髪。

「くふっ…流石剣を持ってるだけある。ちょっとはできそうだ、あのシスターとは違って」

 そのデミスは身軽に跳ぶと、ジークリンデの頭の上を宙返りして越えていく。身のこなしに対応が遅れ、ジークリンデは蹴り飛ばされた。

「うあっ!」地面に転がるジークリンデに、

「ジーク!」

と、ハイナがすぐに駆け寄った。

 三本角のデミスは、ダーインの傍に降り立つように軽やかに着地した。重力を無視して水中を泳ぐような奇妙な挙動で、ほぼ人外めいた動きだった。

「……一番隙を晒している奴から確実にやれ、と言ったろう。アニュレ」

「だってつまらないだろう? いきなり数の有利とっちゃうとさ。それに、あのダークエルフなんて戦士ですらない」

 三本角のデミスは剣をクルクルと回して手遊びしつつ、ダーインにそんな調子で答えた。

「人払いは済ませておいたから、あとは存分にやろう」

「…お前は術師をやれ。私は騎士を相手する」

「あのダークエルフちゃんは?」

「ほうっておけ。いつでも殺せる」

 デミス隊二人が構えを取ると同時に、ジークリンデも立ち上がる。

(アニュレと呼ばれていた、あの三本角――デミス隊にいるという追随者フュルギア、国王専属の守護精霊か…!)

 そして彼女は、シャルルの肩とハイナの腕を掴んだ。

「シャルル、ハイナ、逃げろ、この二人は前の時の二人とは違う、実力がはるか上だ…!」

「だったら、なおさらジークリンデさんを一人にさせられません!」

「そうだよ! 力を合せないと…!」

「そんな作戦が通じるかな?」

「!?」シャルルが驚いて振り返ると、すでにアニュレが眼前に迫っていた。

(やられる!!)

 とっさに詠唱をしようと口を開くが、顎の下を持ち上げられるように掴まれ、強制的に口がふさがれた。

「~~!!!」

「略式詠唱と言っても、アニュラスの詠唱魔法は口が開かないと使えない。よね?」

 そしてアニュレはシャルルを掴んだまま、共に空に飛び上がる。

「シャルル!! 待て…!」

「貴様の相手は私だ――黒騎士!!」

「!」

 ダーインの剣をレイピアで受けるジークリンデ。

 その瞬間、奇妙な感覚に襲われた――力が抜けて、身体の制御が効かなくなったような。

「う、うあっ…!」

 ジークリンデは膝を屈し、さらに押し返された自身のレイピアの刀身が、徐々に自分の身体へと迫ってくる。

(聖剣の効果…魔力が、枯れていく…!)

 両手に可能な限りの力を込めて、抵抗するジークリンデを、ダーインは見下ろす。

「闇のエンチャント使いと言えど、魔力を切り払う聖剣の前では無力だな」

 事も無げに言いながら更に力を込める。聖剣の光が、まるで陽光のように強く増していった。

 ジークリンデは力を込めるあまり、息が止まっていた。限界まで力んだ腕、曲がった膝が地面に降りる感覚、迫る刃、聖剣の光――

 それら一つ一つが、ジークリンデに死の予感をもたらす。

 同時に身にまとう闇のエンチャントが再び増幅し、レイピアの切っ先まで覆いつくした。

(一度消えたエンチャントが復活した…!)

 ダーインは想定外の現象に目を丸くする。

「……ぁああああっ!!!」

 ジークリンデは、全力の一振りで聖剣をはじき返した。

 ダーインは距離を取り、切っ先で間合いを取る構えにすぐに移行する。一方のジークリンデは文字通り死力を尽くしたことで、肩で息をしながら、再び膝をついた。

「は、はっ…ぁ」

「聖剣の魔力無効を受け、なお魔力で跳ね返すとは…。だが、力を大分使ったようだな、黒騎士」

 切っ先の照準をジークリンデの喉元に向けながら、ダーインは徐々ににじり寄ってくる。

 そしてジークリンデと彼の間に立ち塞がるように、ハイナが割り込んだ。

「だ、だめ!」

「はいな…だめだ、にげろ…」

「敵わぬと分かっていても身を挺するか。その騎士に庇うほどの価値があるか? ダークエルフ」

「価値とか、そんなじゃない! 友達だから…見捨てられるわけない!」

 震え声を聞いても、ダーインは変わらぬ歩調で、一歩一歩迫った。



 そのころ。

 空に飛び上がったシャルルは、少し離れた場所で、顎を手で抑えられたまま、地面に叩きつけられた。

「―――!!」

 声を上げることもできないまま、シャルルは動かなくなった。

 彼から手を離し、埃を叩くと、アニュレは一息ついた。

「あっけない。さあて、私もあっちの騎士の方に行こうかな……まだ終わってないと良いが」

 アニュレは振り返り、ふわりと踵を浮かせる――しかし背後から聞こえた音に反応して、また振り返った。

 そこでは、シャルルがふらふら立ち上がっていたのである。それを見て、アニュレは嬉しそうに口角を上げた。

「…! くふっ、君は人間だろ? 普通は死ぬんじゃないかね、あの高さから堕ちたら。……闇エンチャントで防御力が上がってるのか?」

「い、いかせない…!」

「素晴らしい、止めてみせろ」

 アニュレは地を滑るように一瞬で距離を詰め、シャルルの首を目掛けて剣を振るった。

νλη!!」

 反射の魔法を略式で唱える。アニュレの一撃が首を捉えた瞬間、金属音が響いて弾き返された。

 しかしアニュレは反動を利用して空中でくるりと回転すると、左の裏拳でシャルルを吹き飛ばす。

「ぐあっ!!」

 自分が使用した魔法を逆手に取られて殴り飛ばされ、シャルルは地面を転がる。

 アニュレはくすくす、と笑った。

「詠唱魔法は不便だね。聞いてから対処すれば、どれだけ早く唱えても意味ないんだから」

「うっ……ま、まだだ…!」

「君がいくら優秀な学徒でも…デミス隊を、追随者フュルギアの私を止められると、本気で思ってるのかい? だとしたら――素晴らしい。そういうの嫌いじゃないよ」

と、アニュレは余裕の笑みを浮かべた。

「でも気になるね。どうしてあの騎士を守ろうとするのかな。それほどの価値が、あの女にあるかい?」

「価値とか、そんな話じゃない…! 命の恩を返せないままなんて、そんな人間になりたくない!」

 シャルルの言葉を聞き、アニュレは歯を浮かせるほど、嬉しそうな笑みを浮かべた。


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