第6章 王と秩序

第36話 罹患者と容疑者


 予言会議は国志戴冠セレモニーの時期に合わせて秘密裏に執り行われている。セレモニーは数年に一度の催しであり、よって予言会議も同じスパンでしか実施されないが、その期間はおよそ1か月半ほどの長丁場である。

 とはいえ、その間に直近数年~数十年の予知を行い、内容を検証し、明確な文言で書き留めておく必要がある。しかも星夜見たちの占いが晴れた夜にしか使えないことも相まって、思いのほか時間は少ないのだ。現に、会期は既に半分を過ぎようとしているのだから。

 まして今回は『魔王』復活が複数の予知者によって予言され、そのうえ議長アゾンが一定の確度を認めたものだから、デミス隊の調査に加わる展開もあり、例年を遥かに上回る忙しさだった。“年表”の作成進捗も遅れが出つつあるが、『魔王』の件を同時に処理しなければならないとなれば、書記卿のザイノウルも苦言を呈することはなかった。

「――年表はさておき、アゾン、まだ『魔王』の正体は確定しないのですか? 王の交流もアニュラス半分を終えたころだというのに」

 ザイノウルは、自分の書斎に訪れたアゾンをせりたてるように言う。

「なにせ‟見通せないほど暗い時代”が、魔王が存在する時間の特徴ですからな…。真に迫るヒントさえ手に入れば、もう少し要領よく進むのだが」

「真に迫るヒント? どのようなものですか」

「極端な話、本人と目があえば強烈な示唆が訪れることもあります。たとえ、その者が素性を隠していようとも“見破れる”ということ……まあ、これは一例です」

 それを聞いたザイノウルは、呆れて鼻を鳴らした。

「ふん。ですが『魔王』本人と目を合せられる状況だったら、これほど苦労するはずもないでしょう」

「ごもっとも。故に、我々から情報を集めに行くしかない。暗い未来を照らすような、強い示唆を」

 アゾンは肩を竦める。「現在、星夜見のエルタニンに新たな占術の構築を頼んでいます。上手く行けば、劇的な進歩が――」

 その瞬間、ピクリとアゾンは瞼を動かした。

「……む」

「どうかしましたか?」

「申し訳ないが話はまた後で。どうも、いま此処を退室すると吉兆のようです」

「……ふん、ずいぶん適当な言い分を……まあ良いでしょう。ここで貴方の時間を取りすぎるのも、非生産的なことだ。結構です、行きなさい」

「では」

 アゾンは頭を下げてすぐに踵を返し、部屋を後にした。

 部屋に一人になったザイノウルは、背もたれを押すように体重を預け、険しい視線を自分の組み交わした指に向けた。

 ――アニュラスに存在する全ての魔術書の原本は、書記卿、すなわちザイノウルの管理下にある。

 複数の鍵を組み合わせなければ通行できない無数の通路からなる秘密の「書庫」に集約されており、書記卿である彼とアニュラス王、そして追随者フュルギアのみが、書庫の文献すべてにアクセスできる権限マスターキーを持つ。

 そんな彼の脳内には、あらゆる詠唱魔法が記憶されている。書記卿の任を解かれると同時に、すべてを忘却する魔法の回路と共に。

 書記卿という絶大な地位と、そこに至るまでの努力、そして、その役職の裏にある記憶の儚さを理解している彼は、今のアニュラスを取り巻く状況が、とても腹立たしいものだった。

(王の円満なる秩序、破らせはしない。なにより、この私の地位が揺らぐことはあってはならないのだから――!!)





 さて、アゾンは何も適当なことを言ってザイノウルの部屋を退室したわけではなかった。

 廊下に出て角を曲がった直後、彼はまさしく「吉兆」を見つけたのである。

「おや、エルタニン殿。それとそちらはデミス隊のディータ殿、アニマ殿かな」

「アゾン様! よかった見つかって…お話がありまして」

「分かっているとも」

と、アゾンは肩を竦めて、3人を迎える。

 ディータの腹部の負傷を見ると、顔を顰める。「ディータ殿、そんな傷で動いて平気なのか」

「平気だ!」

とすぐに断言すると、アニマが背後で呆れていた。

「無理はしないようにな。それで話は何かな、エルタニン殿」アゾンは尋ねる。

「恐れ入るのですが魔王容疑者について占って欲しいことが――闇病という視点で」

 そこまで聞いたアゾンは何も答えず、しばらく沈黙する。その場の他の3名に、占術の権威の気分を損ねたかと焦りが生じた辺りで、

「ふむ」

と、アゾンは息を吐いた。

「その、す、すみません!」

「何を謝る? 天啓とはこのことだな。その視点があったか」

 一転して破顔したアゾンを見て、エルタニンたちは顔を見合わせる。

「何か分かったのですか?」

「魔王に関するビジョンは暗く、まともに見えないものだったが、闇病という視点で見て暗闇もかなり晴れた」

「誰が魔王か分かったのですか!?」

「いや」

と、首をすぐに振ったアゾン。「分かったのは、‟誰が魔王ではないか”だ。未来全てが見えたわけではない。その意味で、良い報せと悪い報せがある――良い報せは、『黒騎士』は魔王ではない。ただ闇魔力を纏っている人間だ」

「確かか!?」

 ディータが一歩ぶん、アゾンに近付く。

「明確なビジョンだ。とくに彼女の周りは良心の強い仲間が見える。毒気抜きとでも言えば良いか…『黒騎士』は絶大な力を持つが、魔王のような悪意ある存在にはならない」

 見解を聞いて、ディータはほっと胸を撫でおろす。と同時に、

「は、はやくダーインを止めないと!」

と、忙しく狼狽えた。彼が駆け出そうとするのを、ダーインは手を挙げて制した。

「心配いらない。少なくとも数日以内の彼女に凶兆は見えない。ダーインも彼なりに、彼女と会って何かを見極めるのだろう」

「そ、そうか」

 ディータは膝から崩れ落ちて泣きそうだった。強い安堵感ゆえに。

「アゾン様、悪い報せは?」

「魔王の予兆は消えてない。むしろ余計な暗闇が消え、より濃い闇のビジョンが残ったように感じる。この見え方は興味深い。ふつう、情報が増えるほど予知も正確になるはずだが、今回は逆だった」

「逆?」

「つまりことで、未来の分岐が煩雑に、真の未来も見えにくくなった。魔王の予兆に合わせて『黒騎士』が闇病に罹ったことは、ミスディレクションにすら思える。我々の目は闇エンチャントに向いていたが、間違ったものに目を取られ、真の魔王の存在に焦点が当たってなかった」

 話を聞くうち、ディータはいても立ってもいられない気分になりつつあった。

「な、なあアゾンさん! 俺、ジークリンデと話したとき、思ったことがあったんだ。あいつがただ闇病に罹患しただけなら魔王容疑から外れるけど、調査も無駄になる。いや無駄どころか、本当の魔王を見逃した分、マイナスだ」

「ふっ…君はもしかすると、私と同じことを考えているかもしれないな」

「ど、どういうことですか?」

と、エルタニンが尋ねる。

「今の状況はに似てるんだ」とディータ。

「その通り。情報戦において検証に時間を費やすほど思うつぼだ。その点、アニュラスでは予知によって、確かな筋を見出だそうとするわけだ」とアゾンが続ける。

「魔王の復活みたいな大きな災いは、いつか予知される。でももし、予知される展開そのものを先読みできたら?」

「私が魔王ならを用意する――予知者に嘘は付けないが、真実を複数用意しておくことはできる。我々の目が、その造られた真実に向くように」

「ちょ、ちょっと待って?」

 アニマが声を上げ、アゾンとディータの話を制止した。「その言い方だと、脚本シナリオを作って、情報戦を仕掛けた誰かがいるみたいに聞こえるのですが…?」

「その通り」

 アゾンはあっさりと認めた。

「とんだ手落ちだ、一生の不覚……。飢饉や地震のような自然災害と、魔王の間にある違いを見落としていた――だ。善かれ悪しかれ、意思こそが未来に干渉する外乱になる。もしも闇病が、魔王の仕掛けた外乱だとすれば」

「……私たちは罹患者を魔王と勘違いして、真の魔王を見逃した……?」

 エルタニンが顔を青くして言うと、残酷にも、アゾンははっきりと頷いた。

「予知を再調整したいが、もっと多角的な視点がいる。エルタニン殿、頼んでいた占術はどうなった? 何か分かりそうか?」

「あっ、そうでした! つい今朝、完成したんです! スーリャと一緒に実証しようと思ってたんですが、どうもいったん家に帰ったみたいで…。それに新しい占術も、晴れた夜しか使えないんです」

「ふむ…今晩の雨は些か長引く予感だが、明日の夜にはできるだろう。明日の晩、スーリャ殿と共にまた来てくれ。私も闇病という観点で容疑者たちを見直そう」

「アゾンさん、必要なら俺も手伝うぞ! 容疑者の情報ならダーインから一通り聞いたから」

「はあ…ディータ、貴方はけが人なのだから少しは大人しくして。私も手伝いますから」

 アニマがため息混じりに言うのだった。



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