第35話 目覚めと覚醒

 夜が更けたころ、アニュラスにて。

 病院の一室で、三日三晩気を失っていたとある人物が、ついに目を覚ました。

「………?」

(知らない天井だ)

 ディータは慌てて体を起こした。体のあちこちに包帯が巻かれていて――

「…ぐっ!? ぁ……」

 腹部に激痛が走った。そこに巻かれている包帯は酷く血濡れ、薬の匂いがひときわ鼻をつく。体を小刻みに震わせながら、呼吸をゆっくりと吐き、ようやく顔を上げることに成功した。

(…病院? アニュラス病院だ、ここ――そうだ。昨日の夜…いや、昨日か? どれだけ寝てたんだ? ともかく襲われたんだ…くそ、思い出してきた)

 辺りを見渡すと、見覚えのある人物が廊下を通りかかり、驚きと安堵を混ぜた眉の形で彼を見ていた。

 竜と人間の特徴を併せ持つ、メリュジーヌのアニマである。デミス隊の副隊長でもある彼女はすぐ、ディータに駆け寄った。外は雨が降っていたのか、その足跡は濡れていた。

「ディータ、目を覚ましたのですね! ああ、良かった!」

「アニマさん! 俺、何日眠ってた…?」

「かれこれ三日かしら」

「み…!? それ本当――いって!!」

 体を動かし、痛みに悶絶するディータ。「…久々に、こんな深手を負ったァ…!」

「動いたらダメです。妖精を呼び寄せてるところだから、明日の昼までは安静に」

「妖精…妖精の唄か…」

 息を整え、ディータはベッドに静かに腰を下ろす。「…メルヒナは? 一緒に任務に行ってたんだ。あいつも復活したのか?」

 アニマは首を振った。

「メルヒナは貴方よりも酷いかも。傷だけじゃなく魔力を使い果たし、があったのです。分不相応の召喚の魔法を使ったようなのです」

 ディータは瞳を揺らした。

「…俺のせいだ。傷を負って動けない俺を逃がすために、ジャッカスを余計に召喚したんだ」

「“余計”なんてことないわ。失った魔力は外から補ってます。でも目覚めるまで少しかかる。あの子、兜はどうしたのかしら……」

「砕かれたんだ、襲われて」

「何があったか覚えていますか? …『黒騎士』に襲われたの?」

「違うあいつじゃない!」

 声を荒げて主張するディータの剣幕に、アニマは呆気に取られて目を丸くした。

「お、落ち着いて? なにがあったの?」

「ジークリンデじゃない…! あいつに敵意は無かった」

「ジークリンデって、黒騎士の名前? でも敵意がないって…そういうフリをして不意打ちされた、とかじゃなくて?」

 ディータはすぐ首を振る。

「それはない。あいつは俺たち相手に不意打ちが必要な実力じゃなかった。ドラゴンを一刀で討伐したんだぞ、不意打ちが必要だと思うか?」

「じゃあ貴方たちを攻撃したのは…?」

「別のだ。俺もアレが何だったのか、分からなかった…」

 ディータは下唇を噛む。それから、覚えてる限りの情報をアニマに共有する。

「……つまり貴方を襲撃したのは黒騎士じゃなくて、その異形の生物だったの?」

「魔物かデミスかは分からないけど、人間じゃない、と思う」

「デュアラントで全くの異形の生物の噂なんて、聞いたことないわね」

と言ってから、アニマは手を叩く。「貴方の傷痕に闇の魔力が付いてたらしいの。闇の魔力を持つ生物を調べればわかるかも」

「闇の魔力…それで、俺たちがジークリンデに襲われたって考えたわけか」

 するとアニマは、はっと口に手を当てた。

「どうしましょう? 先日、ダーイン隊長が黒騎士の調査に向かったのです。黒騎士の実力が相当と思い、自ら出るべきだと思ったんだわ」

「なに、ダーインが!? ジークリンデのところに行ったのか!?」

 ディータは顔を青くした。

 いくら『黒騎士ジークリンデ』でも、ダーイン相手の戦いでは討伐される可能性が否定できない。その逆も然り――いずれも、ディータがもっとも回避したい結末だった。

「早く止めないと! ――いっでぇ!!」

「落ち着いて! 隊長が出たのは一昨日よ。それに闇の魔力の使い手だとしたら、いずれにせよ討伐しないと…」

「違うんだアニマさん、あいつは闇病だ! 闇のエンチャントを使ってるんじゃなくて止められないだけなんだ」

「なんですって?」

 目を丸くしたアニマに、ディータは話を続けた。

 あの日、夕暮れの丘の上で、黒騎士ジークリンデと交わした会話のことを。全て聞き終えたアニマの表情は、ディータと同じくらい青かった。

「つまり彼女は自分の力を制御できないだけ?」

「ドラゴンを一刀で伏せたのも、防壁に亀裂を入れたのも、あいつが‟攻撃的だから”じゃない。勝手にそういう威力になるだけなんだ。むしろあいつがドラゴンを倒して、アニュラスを守ったんじゃないか」

 アニマは国志戴冠セレモニーの開会日を思い出す。侵入した赤竜を、黒騎士が一撃で屠り、その斬撃が防壁に亀裂を入れた。

「あの日、彼女は不思議なことに防壁しか攻撃しなかった…でも彼女は、そもそも攻撃の意思がなかったの?」

「そのはずだ」

と答えて、更にディータは情報を思い出す。「思い出した! 彼女はアースバンの兵だって言ってた。陽依目なら何か分かるはずだ」

 それを聞いたアニマは、怪訝そうに眉を顰めた。ディータはその表情を見て狼狽える。

「な、なんだ?」

「もちろん黒騎士の素性は陽依目が探した。見たのはスーリャよ。暗殺計画が始まってから加わった……知ってるでしょ?」

「あ、ああ。すれ違ったことしかないけどな」

「黒騎士があの日、防壁のどの門から入って、どの道を通って、どうやって広場にたどり着いたのかは確認した――結果を言えば、

 ディータも静かに眉を顰めたが、アニマは話を続ける。

「彼女は夜明け直後に西に現れ、早朝のセレモニー開始三時間前、西門にたどり着いた。どの隊列にも入らず、一人でです」

「早朝に一人で? …門兵に確認は? 西の門を通ったならジークリンデを見ただろ」

「確認を取るはずだった。けどそれは無理だったのです」

「なんでだ?」

「…あの日、彼は死んだのです」

「はっ、はぁっ!? 死んだ!?」

「赤竜のせいです。貴方が迅速に対応したけど、被害はゼロじゃなかった。西門では死傷者もいたのです」

 ディータは力なく俯く。恩人の素性をどうしても証明したかった――そんな私情を抜きにしてもジークリンデの調査に時間を費やすほど真の『魔王』を見逃す恐れがあった。

(せめて俺とメルヒナを攻撃したのは彼女じゃないってことさえ分かってもらえれば…)

 彼は腹部の痛みに耐えながら立ち上がった。

「スーリャさんのところに行く」

「…えっ?」





「…むにゃ…。へ、ぇへへ…やめてよぉ、天才なんて~…」

「失礼、スーリャさんいるか?!」

「むぁっ!?」

 大声と共に部屋の扉が開き、エルタニンは飛び起きた。窓の外では夜が更けている。

 彼女は混乱した。

(なんかおかしい、朝寝たのに夜になってる……?)

などと、意味の分からないことを考えながら。

 振り向くとエルフの男が立っていて、

「ちょっとディータ! あんまり無茶をしてはいけませんよ!」

と、更にもう一人がその背中の向こうに見えた。

「貴方たちは、デミス隊の…?」

 エルタニンは寝ぼけた頭を覚醒させながら、状況を認識した。「ん、君は陽依目じゃないな…もしかして、ダーインが言ってた星夜見か?」

「え、ええ。エルタニンです」

と、寝癖をそれとなく直しながら応じるエルタニン。

「俺はディータ。こっちはアニマ。君、スーリャさんがどこに行ったか知らないか? 見て欲しいことがあるんだ」

と、ディータは単調直入に尋ねた。

 エルタニンは頷きかけ、慌てて首を振る。

「そういえばスーちゃ…スーリャ、どこ行ったんだろ?」

「ここで研究してるんじゃ?」

「今朝までは。でも私、寝落ちして…」

 少し顔を赤くして、エルタニンはバツが悪そうに頭を掻く。

「研究に没頭して…あっ、そうだ! !」

「つく…? なに?」

「新しい占術です。従来の占術で見れなかった、‟過去の夜”と“近くの未来”が見えるんです。魔王容疑者の動きが分かるかも」

「!!」

 ディータが目を剥き、エルタニンの肩を掴む。「過去の夜のこと分かるのか!?」

「り、理論上! でも未実証で!」

「見て欲しいものがある、見れないか!?」

「きょ、今日ですか?」

 窓の外を見て、エルタニンは視線を逸らす。「すみません…この占術は晴れた夜にしか使えなくて、でも今日は雨で」

「くそっ…こんなことしてる間にもジークリンデが…!」

「ジークリンデ?」

 エルタニンは首を傾げた。

(どこかで聞いたような。珍しくない名前でもあるけど…)

「ジークリンデさんって何方ですか?」

「魔王容疑者、『黒騎士』の本名らしいわ」と、アニマが答えた。

「黒騎士の?! 名前知ってるんですか?」

「会って聞いた。悪い人じゃない、彼女は闇病なんだ! 確かに過失はあったが、故意じゃないんだ」

「闇病…」

 魔王容疑者と見ていた人物は、とても魔王の器ではなかったのだ。

「闇病のことは、これまで誰も見出だしていませんでした。けれどその情報が得られた今、占いは、劇的に動くかもしれません」

 エルタニンはそう切り出す。「今日の夜は、私の占術はお役に立てません。でも、ディータさんに会ってほしい人がいます」

「人? スーリャさんか?」

「いえ――予言会議長、アゾン様です」





用語集(近況ノート)

https://kakuyomu.jp/users/UrhaSinoki/news/16818093088315739960


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