第34話 大義と盲目


 決闘が終わりを告げると、ハイナがジークリンデに駆け寄った。

「ジーク! 大丈夫?」

「なんとかな。だが、ダーイン殿が…」

 二人の視線が彼の方へと向かう。ちょうど、ダーインが立ち上がって顔を上げた。

「この私が、不覚を、取るとは…」

と、脱力したような息遣いだった。

「約束通り私の話を聞いてもらう。異論はないな」

「…ああ」ダーインは潔く頷くと、聖剣を、その光と共に柄に収めた。

「ちょ、ちょっと待って! それより、先にシャルルの方も助けに行かないと!!」

「くっく…。その必要はない、ハイナ君」

 そんな声が聞こえたかと思うと、建物の陰から裸足の男がひたひたと現れた。その両肩に、シャルルとアニュレを担いでいながら、凛とした背筋は一遍も曲がっていない。

「あ、アボロ…!」

「また会ったな。それとそちらにおわすは、かの高名なデミス隊隊長、ダーイン君ではないか」

「……まさか、貴殿に幽谷の外でまみえるとは。そこのダークエルフと知り合いか?」

「ああ。ちょいと前、幽谷に招待したことがな……そうはそうとダーイン君よ。ドンパチするなら、もう少し街の外にしたらどうだい。身内の戦いの処理までしていては、何のための防衛線なのやら分からんな」

 冗談めかしく言いつつ、彼はアニュレをダーインの前に放り出し、シャルルはジークリンデの傍に横たえるように置いた。

「アニュレはどうしたんだ? こやつが気絶しているとは…、何をした」

「拙者は何も。戦いの中でこの男子と相打ち、互いに気を失ったのだよ」

「…よもやアニュレと、か…」

 ダーインは目を丸くして、諦観を感じさせる表情を浮かべた。

「私も焼きが回ったものだ…。大義に目がかすみ、まともな判断が出来ていなかったらしい」

「どういう意味だ?」

 ジークリンデが尋ねると、ダーインの表情に自責の念が浮かんでいた。

「剣を交えて、分かった。貴殿は『魔王』とは程遠い――良い意味でな」

「…そうか」

「約束通り、話を聞かせてくれ。この通り、剣は収める」

「なんだ? 茶も無しに立ち話かね。だが、拙者もザハの治安を守る者として気になるね…。君らがなぜ、ここで争っていたのか」

と告げたアボロの視線は、ダーインとジークリンデの双方に、厳しく向けられていた。

「…分かった。アボロにも話そう」

 ジークリンデは頷き、自分たちのことを一つ一つ説明し始めた。

 闇病のことを始めとして、ディータと話をした、あの夜の出来事を――。






 教会の中では、リリスの啜り泣きの声と歌声が代わる代わるに響いていた。

『~♪…ひぅ、ひっく…~~♬…』

 壊れたオルゴールのように繰り返される妖精の唄が、眼前のシスター・テレサの傷を癒そうと作用する。ただ、それは癒すにはあまりに大きな傷だった。

(なんで? なんでテレサがこんな目に…?)

 眼前の無残な姿を見るたび、嗚咽が、唄を遮った。


 テレサは、野生のピクシーだったリリスを拾い、数年間世話してくれていた。あの時のテレサも既にシスターだったが、まだ少女で、リリスのことを「珍しい蝶の妖怪」だと思って声を掛けたそうだ。『ウチは妖怪じゃくてピクシーだって!』と何度も言った。

「でも、アンタの蝶みたいな羽と光、私は好き」

などとはぐらかされては、ころころ笑っていた。

 屋敷妖精と呼ばれ、小間使いとして扱われることもあるピクシーに対し、逆に心を尽くしたのがテレサである。そこれそが、テレサを‟変わったやつ”と評する所以だった。リリスが自らデュアラントに行くと決めた理由の一つが、テレサの善意に胡坐をかいて過ごす時間に罪悪感を持ったからだった。


 それからの顛末は、今の通りとなってしまった。

『死なないで…! 死なないで、テレサ…!』

 体にぽっかり開いた穴は、気道と脊椎を完全に刳り貫き、切断していた。血は黒く固まって傷の深刻さに反して量は少ない。なにより闇の魔力の痕跡が、テレサの身体には色濃く残っていた。

(闇の魔力…きっとテレサを殺した奴が使ったんだ! こんな惨い殺し方を――!!)

 シャルルのように病が理由で闇のエンチャントを纏う者と出逢ったリリスをしても、その時ばかりは、闇の魔力に反射的な嫌悪感が生まれていた。

(許さない!!)

 そんな彼女の背後から足音が響く。リリスは驚き、おろおろしているうちに扉が開いた。そこに現れた人物を見て、リリスは声を上げる。

『アボロ…なんで此処に!?』

「ちょいと急ぎの用がある、とこちらに頼み込まれたものでね」

とアボロは鼻を鳴らし、背後の人物を親指で指示す。

『だ、誰だ? そいつ』

「私はダーイン…。どこかで聞き及んだかもしれないが、デミス隊の隊長だ」

『……!!』リリスは瞳孔を揺らす。

「そこのテレサ君に手を下したのもの、デミス隊ということらしい」

『……アンタがっ…!! テレサが、何をしたんだよ! テレサを返してよ!!!』

 リリスが憤慨し、涙声で訴える。ダーインはその場に膝をつき、深く頭を下げた。

「済まぬ!!」

『…え?』

「私の判断は誤りだった! そのシスターにしたことは全面的にこちらの過失だ!!」

「リリス君も事情は聞いてるな。闇のエンチャントを纏う者を、『魔王』容疑者としてデミス隊が暗殺しようとしている話をね」

『…シャルルから、聞いたことは聞いた、けど…。でも、じゃあ……』

 リリスは震える視線を、テレサに向けた。

 その身体に残っていた闇の魔力は、彼女を殺した者が使用した魔力の残滓だと思っていたが。

『テレサ、なのか…?』

「‟なぜか勝手に闇の魔力を纏ってしまう”と彼女は言っていたそうだ……証言がある。テレサ君に直接手を下した奴が聞いたのだ。嘘と判断したそうだが」

『それが、そこのデミスだろ!!』

「ダーイン君は指令者、隊長だからね。部下は指示に従うのみ。全責任は彼にある。だがデミス隊からすればアニュラスの法に則り、彼女は裁かれるべき状況だった」

 アボロはひたひた、とテレサの下へと歩み寄る。

「ただし法において、闇魔力の使い手が即死刑というわけではない。基本は身柄の拘束が先ゆえな。その点で――此処でテレサ君が死んでいるのは、『魔王』容疑者を暗殺するという大義が機械的に優先されたからだ。誰もが恐れる闇魔力の使い手の再来を、未然に防止するという巨大な大義が」

 リリスは複雑に表情を歪めた。

 ダーインを責め立てる言葉が吐き気のように喉元まで上がっていたが――ついさきほど自分も闇魔力に嫌悪感を抱いたことを思い返し、『魔王』を病的に恐れる気持ちも、少しだけ理解できてしまったから。

「くっく、まあ拙者も本当に『魔王』が覚醒するというのなら、断固殺すべきと思うが…。テレサ君がそのケースに当たるわけではない。いくら大義が大きくとも、盲目では世話が無いな。ダーイン君」

「……全くだ。取り返しのつかないことをした」

『そ、そうだっ…! テレサは、もう…もう、死んだんだ…』

 言いながら、ぽろぽろとリリスの頬を小さな涙が伝った。

 アボロは大きく、ため息をついた。

「彼女は死んでない」

『…え』

「生きてもないがね。人間が闇病に罹患すると、いわば仮死状態で動いている、とでも言えば良いか」

『……アンデッドか』

「最も近い定義はそれだ。拙者も死を定義しようとしたことがあったが難しい。だいだらが死んだ時、本当に死んだのか、寝てたのか、気絶してたのか、息を止めて目を瞑っていただけか、拙者には最後まで分からなんだ。だが一つ言えることがあるとすれば――闇病に罹った彼女もまた死ぬことはない。体の欠損が大きければ単に動けなくなるのだろうがな」

 アボロは手のひらを、テレサの胸にぽっかりと開いた真円状の穴に添えた。

 すると手の平が青く光り、その指に沿って縞模様が浮かび上がる。指先が液体のように不定形になり、穴を埋めるように流れ込んでいく。

『な、なにをしてんだ…?』

「拙者が喰っただいだらの肉を、少し分けてあげようと思ってな」

『なんだそれ!? それでどうにかなるのか…?』

「任せておけ。言ったろう、拙者はがしゃどくろ――体には詳しいゆえ。まあ、だいだらの身体を喰らったときに詳しくなったのだがな」

(……ってかその‟喰った”とかいう話、冗談じゃなくて本当だったのか?)

 リリスが顔を顰める中、ほんの数秒でアボロはテレサの身体に開いた穴を埋めた。一見すると青い鉱石を埋め込んだような姿だった。

 次の瞬間、テレサの顔に青い血管が一瞬だけ浮かび上がり、すぐに消え――ゆっくりと口を動かし、半開きだった瞼を全て開いた。

「……ん」と、眠りから目覚めたかのような、寝ぼけた声を零し、顔を上げる。

「……あ、アボロさん? なんで此処に……って、あんたリリス!? なんで此処に!?」

『テレサぁ~~!!!』

 妖精は質問に答える前に、テレサの頬に抱き着いたのだった。

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