第33話 剣と剣
ダーインが決闘を受けたことを、ジークリンデは内心驚いていた。と同時に、彼が期待通りのデミス隊隊長であることも実感した。
「ハイナ、貴方は下がって」
「でも…」
「これは私の名誉を回復するための手段だ。一対一でなければならない。手出ししないようにしてくれ」
「わ、分かったよ」
ハイナは建物の陰へと離れる。
ダーインは、彼女が距離を取ったことを確認してから口を開いた。
「決闘とて望む結末は変わらない。こちらが勝てば、貴様は始末する」
「構わない。だが私が勝てば話を聞いてもらう。そして、それを信用すること」
「私を殺す気がないと?」ダーインが首を傾げる。
「私には、貴方を殺す理由がない」
「……果たし合いでないなら、決着の仕方にルールを定めなければ」
顎に指を添え、ダーインは思考を巡らせる。「シンプルに先に相手を負傷させた者の勝ち。それで良いな?」
ジークリンデは、静かに頷いて応じる。
「そこのダークエルフ」
「えっ? な、なに?」
「立会人になれ。よくある試合の形式で良い。掛け声は……“用意、はじめ”。どちらかが決定打を受けたときは、‟それまで”。そして、勝者の名を呼べ。決闘者がすぐに不服の声が上げなければ、そこで終わりだ」
ハイナは視線を揺らし、ジークリンデの方を窺った。目が合うとジークリンデが頷く。ただの掛け声に過ぎないが、それ一つによって友の生死が分かたれる。見届けるだけの彼女すら、決闘に参加しているような気分だった。
「よ、用意――」
一呼吸分の間が、永遠のように感じていた。少なくとも、ハイナにとっては。
「――はじめ!」
合図とともに、ひゅっ、と風を切る音がして、ダーインが一瞬で間合いを詰めた。
ジークリンデは剣を水平に構えて初段を受ける。つばぜり合いで聖剣を受けすぎれば、頼みの綱の闇病のエンチャントが途切れてしまう。
小手返しの捌きで一撃を受け流し、返す刀で彼の肩を狙った。
彼も守りが手薄な部位は把握していたのか、更に踏み込み、ジークリンデとすれ違うようにして身を躱す。
その振り向き際、両者の剣が再びぶつかり合った。距離を取る両者は、互いに視線を交わした。
(…ディータたちを相手取っただけはある。人間がこれほどの反射を見せるとは)
と、ダーインは感心にも似た感情を抱いていた。
一方ジークリンデは戸惑いと困惑と焦り……様々に入り乱れていた。
(太刀筋が見える…あのデミス隊隊長の剣が、こんな私なんかに…)
有り得ないことだった。現に、傍で決闘を見届けているハイナには追い切れず、おろおろ視線と首を動かしている。デミス隊の動きは常人に補足できるものではない。むろん、本来のジークリンデにも。
(ディータと戦ったときも思ったが、やはり闇病の影響だ。単にエンチャントだけじゃない、身体能力も変わったんだ)
思考する間も身体はひとりで動き、ダーインの動きを捕捉し、剣を捌いているような浮遊感があった。相手の太刀筋、視線とつま先の向き、肩と肘の高さ、全てが追い切れているような感覚が。
ダーインも剣戟を交わすうち、尋常でないジークリンデの今の実力を正確に把握しはじめた。
ただの剣では殺せない――そう判断して自ら距離を取る。
そして彼が空を斬るように剣を振ると、光波が聖剣から放たれたのである。
(なっ…! 斬撃を飛ばした!?)
ジークリンデが偶発的に使っていた闇魔力の波動の技と、よく似ていた。おかげで彼女の判断は冷静だった。飛翔する斬撃を紙一重で躱し、光波の熱を頬に感じながら、ダーインへ向かって踏み込む。
瞬間、背中に悪寒を感じた――正確には、熱を。
反射的にジークリンデは脇へ転がるように動く。すると、たった今交わしたはずの光波が背後から再び飛んできたのだ。
(なんだ!? なぜさっきの光波が後ろから…!)
光波は射線上の建物へとぶつかる。そしてあろうことか、光波はそこで反射し、再びジークリンデの方へ向かって飛んできたのである。
(この光波、反射して動き続けるのか…!)
ジークリンデは恐るべき性質を理解し、光波を再び躱す。
直撃すれば、身を焦がすほどの熱を持っている。躱す度に否応なく理解できた。
一方、ダーインは更に2回剣を振り、射出角度が異なる光波を追加で放つ。
(数も増やせるのか、まずい!)
放たれた光波は、それぞれ物に当たっては反射し、場を目まぐるしく駆け回る。
「くっ…!」
ジークリンデは熱と光を頼りに、光波の弾幕を躱していく。
(この攻撃も躱すか。だが、もはや私に気を配る余裕を失ったようだな)
ダーインの読み通り、ジークリンデの視界から彼は外れつつあった。そして光波に気を取られる間に、ダーインが間合いを一気に詰める。
(まずい…!)と彼女は表情をこわばらせた。
あらゆる方向から迫る光波、さらに眼前の聖剣。
それらに挟まれ、死の予感が頭をよぎると、彼女が纏うエンチャントが色濃くなって、滴るほど高濃度の魔力が剣に付与された。
一瞬で増幅した魔力を見て、ダーインは静かに驚嘆していた。
(また闇のエンチャントが濃くなった。この剣の効果を受けながら増幅できるとは――だが、前後から迫る攻撃に対処はできまい!!)
ダーインは、迫る光波とタイミングを合わせ、避けきれないタイミングで剣を振りかざす。
たとえ決闘という同じ土俵であっても、話し合いを求めるジークリンデと、暗殺を目的とするダーインでは、もとより殺意の明度が違った。
(どうすれば…全方向から迫る攻撃を、どう対処すれば――)
ジークリンデの知る道場剣術で対処できる状況では無かった。
眼前のダーインを負傷させても、背後から迫る斬撃を喰らえば体が焼き尽くされ、相打ちでは済まない。光の斬撃に囲まれた刹那に後退しようと浮かせた片足の踵が、再び地面に着地するまでの間が、無限に長く感じ。
走馬灯がよぎるほどの死地は、閃きをもたらした。
ジークリンデはその場でステップターンを踏むと、剣舞の動きで自分を中心に円を描くようにレイピアを振り、周囲一帯に魔力の波動を放ったのである。
回転切りで放たれた闇魔力の波動と光波がぶつかり、相殺する。
さらに剣を振る寸前だったダーインも攻撃を捌けず直撃し、吹き飛ばされた。
「ぐあっ!!」
そして、くるり、とジークリンデの身体が一周したころには、光波は消え去り、夜の冷たい空気が戻った。
ダーインは闇魔力を胴体に受け、息が乱れていた。聖剣と鎧で威力が落ちていたとはいえ、負傷は免れなかったらしく、すぐに立ち上がらなかった。
「――そ、それまで! ジークの勝ち!」
そして歓声のような立会人の宣言が、空に響いた。
*
一方アニュレは、シャルルに手を焼いていた。
正確には彼の周りに時折現れる、黒いカーテンのような術が厄介だった。
(あれは魔法じゃない。あの人間も魔法を唱えている様子はない。だとすると妖術…?)
既に2度ほど魔法が黒いカーテンに吸い込まれ、遠く離れた場所に着弾したことを確認して、感覚的に妖術の類だと気付いた。
(この人間の術でないなら、誰かが援護しているんだ。人払いはしたはずだが、どこの誰が…?)
シャルルの方は、その“誰”かが分かっていた。
(アボロさん、近くで見てるのか?)
ただし彼が援護をしているとしても姿を現さない事情を、同時に気付きつつあった。
アニュレはデミス隊、アニュラス勢力である。一方でアボロもアニュラスの同盟たる幽谷の長――彼が私情でシャルルを援護しているとしても、アニュレの前に姿を見せるわけにいかないことは推し量れた。
(テレサさんやジークリンデさんだけじゃない、このままじゃアボロさんの立場も危うくさせてしまう!)
アニュレと戦う上で、防護の魔法だけでなく「πνεύμα・αστραπή」という強力な魔法が非常に厄介だった。
肌で感じる空気が痺れるような感覚は、いわば‟無限回のスリップダメージ”――喰らえば只では済まないと直感できる。
と、予想しつつもシャルルは、その魔法の詳細を知らない。防護の魔法のように教科書に載る魔法ばかりではない。アニュラスに存在する魔術書には、書記卿によって保管されている秘密のスペルも多い。
その魔法を唱える=秘密が漏れることを意味する一方、聞いたものを確実に屠る威力があると噂されている。
(あの魔法に対抗できるとしたら同じ魔法くらいしかない。詠唱魔法を成功させる方法は、正確な詠唱をすること、効果をイメージすること、必要魔力を保有すること――)
視覚を失ってから、彼は耳で聞くことに集中できるようになっていた。さらに検知の魔法により、アニュレの魔法の効果を眼で見るより詳しく把握していた。魔力については、奇しくも闇病が補っている。
(一か八かやるしかない。詠唱の瞬間に同じ詠唱魔法をぶつければ回避も難しいはず。防護の魔法を破れるとすれば、その瞬間だけ――!)
一方、アニュレは不敵な笑みを浮かべていた。
(どこの誰の妖術か知らないが大したものだ。精霊魔法を転送できるとはね。だが召喚の魔法と似た原理だとすれば、一度に転送できるものに制限があるはず)
するとアニュレは頭を振り、なびく髪を手で束ねて、慣れた手つきで束ねてうなじを露にした。
「人間、次で終わりにしてやろう。この手で行くことになるとは思わなかったけれどね…!」
『**ぁ、あ、ああ~~♪』
低く小さな声だった裏の口が、突如、通りの良いソプラノの音律を上げた。声高くリズムを刻む様子は、まるでチューニングだった。
(来る――!)
すっ、とアニュレとシャルルが、同時に息を吸う。
「『
アニュレの表と裏の口が唱えて重なった声の詠唱が響き渡り、さらにほんの一瞬遅れて、
「πνεύμα・αστραπή!!」
という、シャルルの復唱が続いた。
アニュレの魔法は、2連撃の波動となってシャルルへ迫る。
(今のは輪唱…!? 表裏の口でタイミングをずらして詠唱して、連撃で発動したのか…!)
一方シャルルの魔法は、黒い雷として顕現し、アニュレへ迫る。
(同じ詠唱魔法…!? だが、この黒い雷はなんだ――自分のエンチャントを混ぜて放ったのか?)
両者の魔法がぶつかる刹那、アボロの黒い帳が降り、アニュレの2連撃の魔法のうち1つが転送された。
すぐに帳が破れて消えると、残るアニュレの魔法とシャルルの魔法がぶつかり合う。
激しい爆発と明滅――そして黒い雷がアニュレへと直撃し、一瞬で防護の魔法を崩壊させた。
チューニング直後だった裏の口は防護の魔法も間に合わず、彼女の身体に、遂に魔法が当たったのである。
「『ぐあっ…!』…!」と、アニュレは呻く。
一方、爆風に巻き込まれたシャルルは吹き飛ばされた。闇エンチャントを使い切って魔法を放った身体に、耐えがたい衝撃が走り――両者は膝をつき、気を失ったのだった。
「やれやれ…。口惜しく送り出したと思えば、こんな所で大立ち回りとは」
黒い帳を暖簾のようにくぐって、アボロが何処からともなく姿を現すとシャルルの傍に歩み寄り、呆れたような様子で呟く。
そして気を失ったアニュレの方も窺いながら、
「くっく。面白いものを見た。あの
などと、大層可笑しそうに言うのだった。
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