第32話 小細工と決闘

 テレサを殺したことを平然と認め、挨拶のように言い放ったアニュレを、シャルルは睨む。

「なんで…! 人を殺しておいて、ぬけぬけと…!」

「アニュラスの円満なる秩序を守るためだから。ごめんね」

 そうぴしゃりと告げると、アニュレは人差し指と親指で作った輪を掲げる。

「さて、守りの秘密もばれてしまった。そろそろ私も攻撃しよう」

『****!!!』

 アニュレの裏の口が聞き低く詠唱を唱えると、空間がひずんだような感覚と、板が軋むような音が響きはじめた。

(なんだ、何の魔法…?)

 シャルルが身構え、同時にアニュレが指を弾いた。

 すると、地面をえぐりながら、シャルルのもとへ迫ったのだ。

「えっ!!」

 彼がとっさに脇へ飛び退くと、射出された魔法は“ぎゅっ”と音を立てて、斜線上にあった民家の壁を真円状に刳り貫いたのである。

(なっ、なんだこの魔法…?!)

 シャルルの記憶に、こんな現象を起こす魔法は覚えが無かった。壁を刳り貫いたと同時に、軋む音も消え去った。

『……****!!』

 再び詠唱の声があがり、ひずむ音が響きだすと、アニュレは指を弾く。

 シャルルは直感に従って見えない魔法の射線を見切り、再びそれを回避した。すると今度は地面が球状に抉れ、短い地響きの後、魔法が消滅した。

「……!!」

 背筋が凍るような感覚を負いながらシャルルは駆け出し、同じ場所に留まらないよう、アニュレを中心に円を描くように走った。

(ダメだ、頭に血を上らせたらダメだ! もともとこの人は俺を殺すつもりのデミス隊――冷静に対処しないと、何もできずにやられる!)

 再び「何か」の魔法が射出され、ぎゅっと音を立てて地面を抉った。

(あの魔法は、球状に空間が歪ませてるみたいだ。魚眼みたいな…。そして何かに衝突すると、そこが抉れて消える…)

「衝突して消える――これも防護の魔法!?」

「へえ、これも気付くとは。君、相当、優秀だね!」

と言いながら、再びアニュレは“弾丸”を指で弾き、攻撃を繰り出す。

φλγφλγ!!」

 シャルルが魔法を詠唱して火球を数回ぶつけると、アニュレの弾丸は“ぎゅっ”と音と共に消滅した。

(重ねた魔法の防壁を丸めて撃ちだしてるのか! 何かに衝突したら消える代わりに、当たったものを抉るほどの威力がある。この人…この人の裏の口は、防護の魔法しか使わないのか?)

「でもタネが分かれば問題ない!! 旋風の魔法ανεμοστρόβιλος!」

 完全詠唱の魔法が発動すると、アニュレの足元に風が渦巻き、砂利や小石を巻き上げながら竜巻を成した。

「おっと!! 私の防壁に対して風の魔法とは、道理が分かってる……!!」

 アニュレが慌てて竜巻の外へと逃げると、

φλγ!!」

とシャルルの追撃の炎が迫った。彼女は剣の腹をでそれを受け、払い落とした。

(今のは剣で払った! さっきの一撃は防護で受けきれない状態だったんだ!)

 追撃が真に迫りつつあるにも拘わらず、アニュレはますます、高らかに笑ったのだった。

「くふっ、はっはっは! 楽しい楽しい…! 剣ばかり鍛えている戦士より、君のような学徒の方が、私と戦うには向いているのかもしれないな!」

「もう貴方の小細工は通じないぞ!」

「どうやらそうらしい――だったら教えてあげよう、学徒! 詠唱魔法は、相手に聞かれても対処しようのないほどの威力があれば、何の問題もないということを!」

 大胆にも言い放つと、アニュレは右手に握った剣を高く掲げ、


精霊光雷の魔法πνεύμα・αστραπή――!!」


と、声高に歌うように詠唱した。

 すると剣の方から空に上るように雷が激しく閃き、轟音と熱波が周囲を覆う。歯を浮かせて笑うアニュレの表情は、光と影に塗り分けられていた。

「君の来世に。光あれ」

 そして剣を振り、光の波動が放たれた。莫大な規模の魔力が収束し、周囲一帯が白に覆われる。

 検知の魔法で周囲を窺っていたシャルルには、その絶望的な威力がより正確に測れていた。

(これは……跳ね返せない、防げない! やられ…!)

 しかし突如、シャルルの周りを黒いとばりが覆い、光を上書きした。

 すぐに帳が消えたかと思うと、轟音も消え、辺り一帯に暗い夜の静寂が戻った――と同時に背後の遠い山の中腹で、轟雷のような光と音が轟く。

「な、なに…?」

 アニュレは目を丸くしていた。まるで自身が放った魔法が遠くに転送されてように感じた。

 シャルルも呆気に取られていたが、今の現象に覚えがあった。

(神隠し…? アボロさんの神隠しじゃないか?)

 黒い帳の正体の答えを知っているシャルルと、それを知らないアニュレ。巡らせる考えは違かったが、二人は沈黙したまま、間合いを維持して対峙していた。



 およそ同じころ。

「立ちふさがるのなら、最初に死ぬのは貴様だ。ダークエルフ」

 ダーインは切っ先をハイナに向け、変わらぬ歩調で迫る。

「じ…ジークには、殺される謂れなんてない! この人は、ただ闇病に罹ってるだけだよ!」

 ハイナの震える声を聴き、ようやくダーインは歩みを止めたのである。

「闇病?」

「自分の意思とは関係なく闇のエンチャントになっちゃう、呪いみたいなもの!」

「知っている。ずいぶん久しく、その言葉は聞いていないがな」

 ダーインは語尾を短く切るように言うと、ハイナの背後にいるジークリンデを窺い、ふん、と鼻を鳴らしたのである。

「……それは、その女の方便だ、ダークエルフ。人間が闇病に罹ることはない。闇病は夜の妖精や妖怪種に固有の体質だ。その女がその闇の魔力でやったことはアニュラスの防壁の破壊、そして、デミス隊への襲撃だ」

 それを聞いてハイナは、怒りか、悲しみか、そういう感情を抱いた。

 ダーインの言うことを論理的に否定できる材料を、ハイナは持っていない。そのうえ彼女の長い生のなかで、ジークリンデと友達になってまだ間もない。全幅の信頼を置く理由など、無いはずだった。

 だがジークリンデを只の噓吐きの悪人として見るには、ハイナは当てもなく放浪していた時間が圧倒的に長すぎた。

「あ、貴方に…貴方には分からないよ! 闇のエンチャントがあるから、ジークは帰れるはずの場所に帰れない…。少しでも危ないと思うものを全否定するような人には!」

「闇病を知るもの同士、その女と同じ穴のムジナか、ダークエルフ」

 ダーインは、素早い足運びで間合いを詰める。

 そして聖剣がハイナの心臓に届く――よりも早く、彼女の手をジークリンデが引いた。ハイナは尻餅をつくように転び、ジークリンデはそんな彼女を背中で庇い、代わりに剣の一撃を受けたのである。

 ぽたり、と冷たく黒い血がジークリンデの身体を貫いた剣の先から滴り、ハイナの頬に落ちて、伝った。

「じ、ジーク…」

「ぐっ、あっ…!」

 聖剣の一撃は闇のエンチャントを弱める。物理的な攻撃を崩壊させて無効化するほどの魔力の防御は、その瞬間だけ失われていたのである。

 剣を引き抜くと、糸が切れたようにジークリンデは膝をついた。

「ジーク! ジークリンデ…!」

「ハイナ、逃げろ…貴方まで、死ぬことはない…っ」

「逃がすと思うか?」

 容赦の無いダーインの一振りが彼女たちの首をもろとも掻っ切るように迫る。ハイナには止めようもなく、ただ剣が描く軌道を眺めることしかできなかった――しかしジークリンデはハイナの瞳に映った剣の動きを見て、レイピアを掲げ、聖剣の太刀筋を逸らした。

「なに!?」と、ダーインが声を上げる。

 さらに素早い体裁きで体をひるがえし、ジークリンデは剣を一文字の動きで振りぬく。

 ダーインは既に飛び退いていたが、彼女の剣から放たれた黒い波動が直撃した。

「くっ…!」

 凍傷のようなダメージを腕に負い、ダーインは顔を顰める。

 かたやジークリンデは、胴体を貫かれたにも拘わらず、既に血が止まっていた――冷たい闇の魔力に触れた血が凍りつき、傷がふさがっていた。

(闇病――うすうす気づいていたが、私がダメージを受けるほどに魔力が増幅するらしい。ハイナの瞳に映った太刀筋すら、見切れるほどに……。だがこの調子では、ダーインに言い分を信用してもらうのは無理だ。彼は頑として、危険分子として私を始末するつもりなのだ……、どうすれば……)

 ダーインと向き合い、心静かにレイピアを構え、深呼吸で息を整える。

 こうして剣を構えている間なら、只の兵士と高貴な騎士との間に、どれほどの差があるだろう。

 崖っぷちの状況で、そんな取り留めのないことを思った彼女は、あるアイデアを思いついた。

 とても下らなく、高貴な――

「ダーイン殿。話がある」

「なんだ」

「貴方に決闘を申し込む」

 思いがけない言葉に、ダーインだけでなく、ハイナも目を丸くした。

「私の名誉を回復させる他の方法はない。決闘で私が勝てば、私の言い分を信用してもらう」

「……受ける義理が、私にないがな」

「貴方は高貴なるデミス隊の隊長のはずだ。そして少なくとも決闘を申し出た以上、私は逃げない。貴方が勝てば……その時は、貴方の望むようにしろ」

 ダーインは大きく息を吸い、無駄な力を抜いた自然な構えで、聖剣を構えた。

「受けて立つ」


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