第31話 裏と口

(この人の狙いは俺とジークリンデさん……。どうにかして生き残って、あの人の所に戻らないと。俺が勝てないとしても、ジークリンデさんをみすみす見殺しになんてしない!!)

 アニュレと真正面から対峙し、シャルルが纏う闇のエンチャントが一層濃くなった。

 対して、アニュレは首を傾げる。

「恩人? あの女が…? ふうむ。さしずめ、あのから逃げたところを、あの女に助けられたってことか……。それで君たち、一緒にいるのだね」

 アニュレは口角を上げて微笑む。

「しかし負傷して尚こんな魔力を増幅できるとは、何処にこんな力の源を…素晴らしい。人間も捨てたものじゃないね。次はちゃんと止めを刺さないと…」

「ま、待って! そもそも、俺は貴方に襲われる謂れはないです! この闇のエンチャントは、自分でやってるわけじゃなくて、闇病で――」

「……闇病?」

 それを聞いて、アニュレは鼻で笑った。「私にとっては、それが嘘でも真実でもどうでも良い。君は殺すから」

「な、なんで……?」

「分からない? ……危険物は除去する。そのものの意思とは関係ないよ」

 血も涙もない言葉を返され、アニュレというデミスには、まともな説得が無意味だと悟る。

 アニュレはゆっくりと剣を掲げ、切っ先を差し向けた。

「くふっ…。死にたくなければ抵抗してみせろ。君を駆除する大義は、法じゃない。いうなら、、だから」

φλγ!!」

 シャルルの略式詠唱の声が響くと、火球が瞬く間に生成し、アニュレを目掛けて飛びだす。

「素晴らしく早い……が、詠唱魔法なんて私には届かないのだよ」

 アニュレは最小限の動きで火球を避け、シャルルの方へと一歩だけ近づく。

φλγ! φλγφλγφλγφλγφλγφλγφλγφλγφλγφλγφλγφλγφλγφλγφλγ――!!!」

 連射される火球。しかしアニュレの身体に、かすりもしない。

(当たらない! 近づいて来る…! 周りには人家もあるし、無茶な攻撃はできない、どうする、どうすれば良い…?)

 シャルルは退き撃ちのような方法で、火炎の魔法を撃ち続ける。アニュレは攻撃の一つ一つをぬるりと避けながら、徐々にシャルルを追い詰めていた。

「くふっ、器用なこと。君のその技術、磨けばデミス隊でも通じるほどのものだよ。けれどね、言ったじゃないか…詠唱魔法なんて、聞いてから対処すれば余裕だって」

(聞いてから対処…? だったら!)

 シャルルは少し考え、

θβς!!」

と、詠唱した。

 瞬間、“ぎいいん!!”と金属音が轟く。アニュレは顔を顰め、とっさに耳を塞いだ。シャルルは音波の反響に乗せて、

******!!」

と、何かを詠唱した。耳が潰されたアニュレには、その詠唱が聞こえず――シャルルが唱えた完全詠唱の火炎の魔法は、超高速の熱線となって、彼女の胴体へ迫った。

(届く…! 届け!!)

 しかしシャルルが見たものは、実に不可解な現象だった。熱線は、あらぬ方向で着弾したのである。

 アニュレが魔法を避けたというより、魔法の方がアニュレを避けたようだった。

(今の――“詠唱を聞いてから避けてる”とか、そんな現象じゃない!)

 シャルルはあることを察した。アニュレが言っている「詠唱を聞いてから避けている」というのは一種の方便――正確に言えば部分的に正しいだけの“はったり”なのだ。現に聴覚が潰れている間、彼女は熱線をよけなかった。

 聞こえているときは「避けているフリ」をする。しかし実際には、何もせずとも魔法の方が彼女を避ける。敢えて避けるフリをしている理由があるとすれば、「技術的な実力差がある」と思わせるための、一種の盤外戦術なのだと――そして魔法がねじ曲がった現象の原理が、シャルルにはすぐ分かった。

「あ、貴方…まさか、ただの防護の魔法を重ね掛けてるだけじゃ…!?」

「……くふっ! はっはっは! ばれた?」

と、アニュレは悪びれもせずに、快活に笑った。「私の回避テクニックのタネを見破ったのは、お姉ちゃんを除けば君で3人目だよ。大したものだね」

「くっ…!」

 防護の魔法は、物理的な衝突・熱や魔力の流れといったものを受け流す不可視の壁を作るという、ごく基礎的な、教科書に乗っているような魔法である。一度だけ効力を発揮すれば消えてしまう上、光や音など一部の知覚に関するものは、そのまま通してしまう。

 そのアニュレのくだらないタネを見破ったとはいえ、シャルルの焦りは募った。なぜならば、いずれにせよアニュレの身の回りを分厚く覆う防護の魔法を破らなければ意味が無いからである――彼女の身体が浮かび上がるほどの魔力の力場を、無効化しなければならないのだ。

(要するにこの人、魔力の保有量がとんでもなく多くて、詠唱の重ね掛け速度が速いだけ? 壊れた防護壁がたちどころに復活するくらいに……?)

「……そんな重ね掛け、いつしてるんだ? って思ってるでしょう?」

 シャルルの思考を読んだように言い、アニュレは歯を浮かせて微笑んだ。そんなふうに口を開けて笑う者が、詠唱を重ね掛けするなど到底不可能なはずである。

「君の戦い方、私に似てるから……特別に教えてあげる」

 アニュレは後ろを振り返る。

 その唐突な行動に、シャルルは呆気にとられた。が、その後に彼女が見せたものを前に、さらに呆気にとられた。

 その美しく長い髪をかき上げて、うなじが露になると――そこに、もう一つの口があったのである。

 その口は露になった今も絶え間なく、“**********……”と、小さく低い声で、何かを詠唱し続けている。

「なっ~~…な、な…!!???」

「くふっ、ははっ! その反応、いつ見ても楽しくて好きだよ。どうだい、単純な話だろう? 私には、だけ。君とお話してる表の口と違って、すっごく早口で、声も低くて、何を言ってるのやら……常人の耳では聞こえないだろうけどね」

「……!!」

 ただそれだけ――ただし、驚くべき事実だった。


 人に聞こえない詠唱魔法に、効力があるか?――通常の答えは、ノーである。

 この世の理不尽な理ジンクスの一つに、声が小さいほど詠唱魔法の上限出力が下がるというものがある。保有する魔力に応じた一定の声量を要し、いわゆる無詠唱魔法は、原理的に成立しないとされている。


(だから普通、あんな寝言みたいな詠唱じゃ出力は下がるはず。でも、莫大な魔力を持った状態で、休みなく絶え間なく、無数に重ね掛けしたら…)

 シャルルは、幽谷で検知の魔法を重ねがけした時のことを思い出した。小さな声量でも、念仏のように絶え間なく繰り返すうちに効果を発揮するのである。

「気付いたかな? 戦いの中で普通の人は息切れし、詠唱は途切れ、いずれ力尽きる――剣を振り、走り、裏をかく戦いの中で、常に詠唱し続けることはできない。できるのは、私だけ」

「ち、力業すぎる…!」

「はっはっは、良いじゃないかそれくらい。追随者フュルギアっていうのは王を王たらしめる存在。小細工一つとっても力業くらいなのがちょうどいい」

「……フュルギア!?」

 シャルルは、はっと表情を硬直させた。「王専属の守護精霊の、あの…?」

「うん? ああ、そう。私はフュルギア…。言っていなかったかな?」

「なんでそんな人がデミス隊に…!」

「だって王の周りでじっとしてたら、退屈だろう? 落ち着ているお姉ちゃんたちはともかく、私は嫌だね。だから少しばかり、自由にしてもらったのさ。……さて、もうおしゃべりは良いかな? あとは君とあの騎士も駆逐すれば、仕事はいったん終わり。ザハを見て回って、飽きたらアニュラスに帰るんだ」

 そんな戯れ言のような調子の発言の中から、シャルルは、一つの違和感を拾い上げた。

「……俺と、ジークリンデさん以外にも、いたのか?」

「うん?」

「貴方が殺した相手は、他にいたのか!?」

「君に教える義理はないけど……まあ良いか。君みたいに闇のエンチャントを使うシスターが、このザハにいたのさ。もう駆除したけれどね」

「………?」

「さっきの教会に潜んでいたが、君らがここに来る前に、済ませたところだ。そのあとお誂え向きにも、君たちが此処にやってきてくれた」

 シャルルは、頭が真っ白になった。

「その、シスター、名前は…?」と、たどたどしく言葉を発する。

「うん? ……テレサ、と言ったかな」

「――お前!!」

 シャルルが声を荒げると、途端にエンチャントが色濃く変化する。身にまとった魔力が地に滴って、地面に黒い斑点を浮かべては、揮発していく。

「よくも…!!」

「彼女と知り合いかい? 隊長に予言を聞いたとき、そんな”都合の良いこと”があるとは思ってなかったが…君たち、本当にあのシスターに会いに来たのだね。く、くふふっ…あっはははは!」

と、アニュレは微笑みながら言う。


「それは残念。彼女はもう、屠ったよ」




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