第37話 シスターと放免

 *


 ザハにて。

 教会の2階にダーインとアボロが向かったとき、ジークリンデは下の階で事が終わるのを待っていた。テレサの容態を確認し、可能なら回復させると、アボロは言っていたが――

「心配だね。リリスが悲鳴上げてたくらいだし…」

「アボロさん、うまくいったでしょうか」

 傍でハイナとシャルルが小さな声で呟く。

 シャルルは、アニュレと相打ちして気絶していたが、アボロが軽く額を小突くと気付けのように作用し、はっと目覚めたのだ。

「いくらなんでも、あの状態から目覚めるとは思えないけどね」

とは、少し距離を置いた場所に佇むアニュレである。

 シャルルとハイナの視線が槍のように彼女に刺さったが、どこ吹く風で表情一つ変えなかった。

「君にも見せたろう? 私があのシスターに使ったのは、レンガの壁すら丸く刳り貫く魔法だよ。はっきり言って生き残れる傷じゃない」

「貴方は」

と、シャルルが口を開く。「貴方は無実の人を殺しておいて、どうして、そんな平気でいられるんですか」

「なんだい? 私が、罪人しか殺さない正義の執行官とでも思ったのかい?」

 アニュレは鼻を鳴らした。「私は追随者フュルギア、只の戦士だよ。私の知る戦に善悪と罪はない。あるのは勝者と敗者、生者と死者――私が戦場で殺した相手は必ずしも罪人では無いし、家族をもってたかもしれないが、私は殺した。それが戦いだから。アニュラスの秩序はそうやって守られてきた」

「でも…テレサさんは戦士じゃない。シスターです。貴方のいう戦の理屈は通じない」

「はっは、その通りさ」

とアニュレはすんなり頷いたので、かえってシャルルは驚く。

 彼女は静かに首を振った。

「私が想定していた魔王容疑者テレサという人物は、もう少し、殺されるべき存在だった。誰が見ても殺すべき奴が、ここにいるべきだった――けどその点は、私の想定と違った。確かに闇エンチャントを使ってはいたが、止められないんだと言っていた。残念ながら、私は嘘を言ってるだけだと思ったけどね」

「……」

 シャルルは言葉を続けられず立ち尽くす。

 アニュレを責める気持ちはあったが、彼女とシャルルの間にある立場の差を実感しつつあった。

 もしシャルルが当事者でなく、テレサやリリスと何の縁もないデュアラントの一般学徒のままだったら、テレサを殺した彼女のことを責めただろうか――それとも私情を抑えて冷静に魔王容疑者を屠ったことを、讃えただろうか?

「シャルル、今はともかくテレサの無事を祈ろう」

「…ジークリンデさん」

「彼女と我々で理屈は違う。もし私が魔王容疑者でなく、ただのアースバン兵だったら――闇エンチャントの使い手を自分の判断を理由に見逃せるか自信はない。まして『魔王』の復活が絡むと知る立場だったら、なおさら」

 その言葉は、シャルルだけでなくハイナも冷静にさせるものだった。彼女もまた、かつての『魔王』という存在を酷く憎む者である。ジークリンデ以外の真の魔王容疑者を見つけ出して、デミス隊に告発しようと提案するくらいには。

 だからこそアニュレの行為を責める謂れは無かった。この場で自責の念を負う権利があるのは、アニュレだけなのだから。

「…アースバンの兵? 君が?」

と首を傾げたのは、アニュレだった。

「そうだ。貴方は気を失っていたから聞こえてなかったか。ダーインには話したのだが、私は元々アースバンで兵をやっていた。貴方やデミス隊のことも、多少は知っている」

「ふうん、道理で」

「道理で、とは?」

 アニュレは2階へと続く階段を一瞥し、誰も降りて来る様子が無いことを確認してからジークリンデへ向き直る。

「ダーインが言ってたのさ。魔王容疑者のなかで『黒騎士』――つまり君は、デミス隊の動きに詳しい奴だってね。おおかた、徹底的に夜と日陰を選んで行動してたんだろう? だから君を見つけられなかった」

「陽依目の話か」

「そうさ――あ、私がこれを話したって、ダーインには内緒にしておいてくれよ――君、陽依目が只の学徒じゃなくて、デミス隊と協力関係にあること知ってたんだろう?」

「……風の噂だ」とハイナのような言い分で答えるジークリンデ。

 アニュレは肩を竦めた。

「アースバンの一般兵にも、そんな話が噂で聞こえてくるものなのかね? ともかく君には手を焼いた。最終的に君を見出だしたのは星夜見だった」

「そうか。だが、なぜその話を?」

「ん?」

「原則、それは機密事項なのだろう」

「機密であることを知られた時点で隠す意味はないけど。しいて言うなら罪滅ぼしかな?」

 そんな言葉が聞こえたから、ジークリンデたちは目を丸くした。

「今後、君たちは魔王容疑者のリストから外されるだろう。これ以上の追手が来ることもない。私と話すのも、これが最後だろうさ。今後、なにかやらかさなければだけど」

「追手…。そういえば、あの狐のデミスは」

「狐? ああ、ゼンのこと?」

「ゼン…名前は聞いてないんですけど、デミス隊を名乗っていました」

「この件は彼にも通達が行くはずさ。けどあいつ、どこに行ったんだっけな…? 通達が遅れるかもしれないから、見かけても挨拶しない方が身のためかな」

などとアニュレは軽く言った。背後から奇襲され、目を焼かれた経験があるシャルルからすれば、挨拶するわけもない。もはや宿敵である。

(ともあれ、とりあえず一件落着か…)

 ジークリンデは息を吐いた。

「ねえ。聞いても答えてくれないかもしれないけど」と、ハイナが手を挙げる。

「なんだい? 答えられるかどうかは、聞いてから答えよう」

「ジークも、シャルルも。それにテレサも魔王じゃないんだとしたら……復活する魔王って、誰なの? 容疑者って他にもいるの?」

「他の容疑者? 今はいないよ」

と、アニュレが首を振ったところで、全員の顔が引きつる。

 なにも一件落着ではなかった。

 さきほど仮定した‟立場の違い”が、こうも早く自分事になるとは思っていなかった。自分とは無関係の話になった、というわけではないのだ。

「じゃあ、魔王が復活するっていう話が間違いとか…?」

「直感的にそれはない気がする。勘だけどね」

 アニュレはまたも首を振った。

 それから、ふと、彼女の首は階段の方へと向いた。そちらから、ダーインとアボロが降りて来るところだった。

「アボロさん! テレサさんは…?」とシャルルが駆け寄る。

「くっく…我ながら上手く行ったものだ。妖怪の能力を使って人間を生かすことになるとは思わなかったが」

「ホントよね」

と、奥から聞きなれない声がしたかと思うと、一人の女性が歩み出る。


「アンタがシャルルさん? と、ジークリンデさん。私はテレサ。話は聞いた…同じ境遇だって」


 小柄ながら凛とただした背筋に、青い瞳が力強さを感じさせる。栗色の柔らかい髪が頭巾の下で揺れ、首の付け根から胸元にかけて、小さな青い鉱石が埋め込まれていた。

『シャルル…!』

 安堵からか泣きそうな表情のリリスも顔を覗かせた。そんな彼女の顔を見ると、シャルルも似たような顔になってしまいそうだった。

「即死級の傷だったが拙者がだいだらの肉体を移植して傷を塞いだ。人間の肉体とは異なるが、思いのほか馴染んだな」

「もう、こんな目立つ色でなんて」

と、テレサは唇を尖らせる。

「良いではないか。色は綺麗だ」

「まあ…そうだけど」

 そんなやり取りのあと、テレサはジークリンデたちの方を見る。それから、アニュレの方も。

『お、お前か!』

 先に噛みついたのはリリスだったが、テレサが「まって」と手を挙げて制する。一方のアニュレは一つ歩み出ると、膝を折り、頭を下げたのだった。

「済まなかった」

 彼女が告げたのは、何の修飾もない、謝罪だった。

「謝罪は受ける……でも、アンタは間違ってはなかったと思う」

 テレサがそんな風に応じたので、その場にいる全員が驚いた様子で、彼女を見つめた。誰よりも目を丸くしているのは、アニュレだった。

『なっ、なに言ってるんだよテレサ?』とリリス。

「私は怒ってるけど、道理は間違ってはない。正論言われてムカつく!みたいな気分? ともかくアニュレさん、アンタがやったこと、間違いとは思ってないよ」

「……君が許す、許さない、とは別の話みたいだね」

「ふーん、よくご存じで」

 テレサは鼻を鳴らし、つかつかアニュレに歩み寄り、その頬を思い切り引っぱたいて乾いた音を鳴らせた。

 頬を抑えながらアニュレは上目遣いでテレサを窺う。当のテレサはというと、今度は満足げに、鼻を鳴らした。

「はァ、スッとした! じゃあもうこれでチャラで」

「え…」

「ほかに懺悔したいことでも?」

「…あ」アニュレは呆気にとられた視線を少し泳がせ、「さっき……戦闘で少し、街の建物を壊してしまって」

などと零した。

「あっそ。でも建物は後で直せるから、今度から気を付けたら良いんじゃない?」

『はあ…テレサ、相変わらずだな…』

と、呆れ気味に呟いたリリスは、少し笑みを浮かべていた。

(変わっていると聞いていたが……。思考が若干、人間離れしてるな)

 ジークリンデはそんなことを思っていた。



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