第27話 病と血

 アボロに手招かれて、一行は彼の屋敷を目指して隠れ里の中を歩く。

 その道中で、あちこちに妖怪種たちが平然と歩いている様子が見えた。

(こんなに妖怪種が集まっている光景は初めて見た…)

 ジークリンデは一種の感動を抱く。

 種族のるつぼと化しているアニュラスを始め、基本的に妖怪種が多数派となる土地を訪れたことはなかった。もっと言えば、アニュラスにいる妖怪種も基本的には“亜人種デミス”的なもの――要するに人型の妖怪種が多数派だった。

 隠れ里の中には、もっと多様で、異形の妖怪種も生活していた。ほとんど猫のようだが尾は二又で人語で雑談している妖怪、巻物の紙を広げたようなぺらぺらの大蛇に、文字通りの「鬼」に至るまで。

 魑魅魍魎ともいえる生物たちが平然と暮らしている。

(かつて魔物と捉えられていたのも無理はない…。どの妖怪種も、どこかおどろおどろしさがある)

 やがて一行は、屋敷の敷地へ踏み入れた。一階建てで、縁側と呼ばれる構造を持つ独特の木造建築を眺めたシャルルは、遺跡を見つけた気分になった。

「こんな立派なザハの伝統建築、初めて見た…!」

「くっく…伝統とはね。拙者にとっては生家だ。麓には、この手の建築があまり残っていないのも事実だが。さて皆様、お茶を淹れて参ったぞ」

 アボロは人数分の茶を置く。「さて、それで聞きたいことと言うのはなにかな?」

 そう切り出したアボロの目線は、ハイナの方を向いていた。

 彼女はまず、咳ばらいでそれに応じる。

「闇病って、知ってる?」

「…なるほど。君たち、人間のくせに闇魔力を纏っているとは面白いと思ったが…闇病、つまり強制的に闇のエンチャント状態になっているわけか」

 そのコメント一つで、アボロには一定の知恵があると皆が理解した。

「アボロ、貴方のもとを訪ねたのは、まさにその闇病について詳しいか、治し方を知らないか、聞きたかったからなんだ」

 それからジークリンデは、これまでの経緯をかいつまんで話して来た。

 彼女もシャルルも、どうやら死に際で闇病を発症したこと。

 カルタノアという森の精霊から聞いた情報。

 闇澱みというスライムの存在。

 治し方を調べようにも人里に近寄れない苦労を。

「そうか、そうかい。君らも難儀だな。拙者は闇病のこと、多少は知っているとも。治し方にも、心得はある」

「えっ! ほんとうか!?」


「教えてやってもいい。だが、私も少し知りたいことがあるのだ――君たちのご知見をいただけないかな?」


 ジークリンデ一行に緊張が走った。

「…交換条件、ということか…?」

「そこまで大仰に捉えなくても良い。里外から来た者の知恵を集めておきたいのだ」

 それを聞いて、一行は顔を見合わせる。

「……どんなことが知りたい? 私の出身のアースバン、それとアニュラスのことなら、多少知っている」

「俺もデュアラントのことと、そこの学院のことなら知ってます。あと研究テーマに関連することなら」

「私もあちこち歩いてて…。風の噂は集めてるよ。あと一応、昔のロウクエイのことも知ってる」

『ウチはとくに何も。しいて言うなら教会のことだが…。ザハに棲んでるアンタに行ってもしゃあないよな?』

 口々に皆が言うので、アボロは嬉しそうに微笑んだ。

「けっこう。だが何方に聞くのが適当やら――もし心当たりがあれば教えて欲しいのだが」

 アボロは小さな巾着袋を取り出す。

「最近、里の者が見回りのときに同じ物を拾ってくるのだ。この袋の中に、それを集めてある。これが何か知りたい」

「見せていただけますか?」

 最初に興味が惹かれたらしいシャルルが、最初に口を開いた。アボロも彼に巾着袋を手渡す。

 紐を解いたあと、皆がその中身を覗き込み、入っていた物を見て酷く驚いた。

「なっ、これっ…? 錬金虫の甲殻じゃ…?」

 シャルルが正体を知り、驚いたように声を上げた。

「錬金虫? そいつはなんだい」

 当のアボロはピンと来ていないらしく、首を傾げたので、シャルルは続けて口を開いた。

「俺、これを学院で研究してたんです。変わった虫で、増殖が速い代わりに寿命も短い――さらに死骸として、甲殻だけが残るんです。体の部分はクラゲみたいに殆どが水で、蒸発してしまうので…」

 そうだったのか、とジークリンデは聞き入る。思い返してみれば、デュアラントの学院に大量に落ちていた死骸も虫としての体は成さず、銀の金属片にしか見えない状態だった。

 あの落とし物は、錬金虫の身体が蒸発した残りだったということだ。

「ふうむ、そうか。虫か。不思議な虫だな」

 アボロは複数回頷く。「てっきり、外国の通貨かと思っていたのだ。この幽谷はアニュラス同盟にとって東の防衛の要だからね。その手前、邪な輩の侵入を取り逃したかと、心配だったんだ」

「でもこの虫は、実験室の中でも個体数を維持するのが大変なほど貧弱なのに。どうしてザハに? どこかから持ち込まれた、とか…?」

 シャルルは、ぶつぶつと仮説を呟く。「……すみません。俺もまだ研究始めたばかりだったので、師匠のニコラース先生だったら詳しいことも分かるかも」

「いや、ありがとう。最低限知りたいことは分かった。雑談にしては、とくだん実利があったよ」

 アボロは微笑み、穏やかに言った。

 しかしふと、首を傾げたのである。

「……しかし、君……。そのスカーフ、アニュラスの占術師のものではなかったか? 占いの学徒と思っていたが、ずいぶん虫について詳しい」

「!!」「!!」「!!」『!!』

 一行は、ぎくりと身を固めた。

 シャルルは、目の火傷と素性を隠すために、偶然見つけた陽依目のシンボルのスカーフを眼に巻いている。そんな状況を根掘り葉掘りと問われると、少しばかり面倒だった。

「くっく、まあ、良いさ。好きで研究しているということだろう? 結構なことじゃないか」

と、アボロは勝手に納得した。ひそかにシャルルたちが胸を撫でおろしていることなと、知る由もない。

「さて、思いのほか多くのことを教えてくれた! 君たちが聞きたかった話をしようか。闇病の話をね」

「お、お願いします!」

「そもそも妖怪も闇病に罹ることはある。ダークエルフなどの、夜行性の妖精もな」

「たしかにカルタノアで会った精霊からも同じようなことを聞いた」

「我らにとって、闇病は免疫反応的な現象で、闇病を治す方法も本来はごく単純――自然と快復する。しかし君らの場合、推定原因も闇澱みというスライムで、外乱的なものだ。そこからして違う」

「どうしてこんなことが?」

「狂犬病を知っているか?」

「きょ…え?」

 出し抜けに言われて、皆がきょとんとした。

 くっく、とアボロは微笑む。

「犬から人に移る病だよ。不思議なことに、人から人には移らん。君らの闇病、それに近いかもしれん。特定の経路でのみ、闇病は人に発症するらしい」

「詳しいですね、人間の医療に…」

と、シャルルが感動したように呟いた。

「人間の身体に詳しいのは当然。なにせ拙者は、人間の親戚のようなものだからね」

 アボロは肩を揺らして笑い、話を続ける。

「冗談はさておき。原因さえ分かれば、後は叩くだけだ。人間は自然に闇魔力を生み出す生態はない。闇魔力を生み出す原因があるとすれば、君らが見た闇澱みというスライムだ」

「しかし…。あのスライムは、私が見てほどなく消えてなくなってしまった。蒸発したように」

「お、俺も同じです。見つけたんですけど、すぐに消えてなくなったんです。調べようにも、手がかりは……」

「その当のスライムが消えたとしても、ヒントならあろう――

「え?」

「聞いた限り、君らは傷を負って瀕死状態のときに闇病を発症。スライムもそのとき傍にいた――おそらく君らの身体の中に傷を介してスライムが取り込まれた。傷はスライムの性質によって一度塞がったのだろう。一方で取り込まれたスライムが全身の血を通い、闇の魔力を生み出してエンチャント状態になっている。見かけは闇病だが、メカニズムは狂犬病と同じ」

 アボロの話を聞く皆の表情が、はっと変わった。

「血を調べれば、そのスライムが見つかるのか?」

と尋ねたのは、ジークリンデだった。

だがね。だが人間の病気など、大昔から大概そんなものだよ。……たとえ、殆どの病がアニュラスの魔法で癒せる時代だとしても」

「貴方は血を調べられるか? 血の中から、スライムを取り除くことは…?」

「拙者には難しいが……理論上は、血の中から、そのスライムを選択的に滅ぼせれば良い。それはまさしく、病の殺し方と同じだ」

『言うは易く、行うは難しって感じだな』

とリリスが呟く。『血の扱いに長けて、闇澱みの成分も判別できないといけないんだろ。そんなことが出来る奴、おいそれと見つかるか?』

「う、うーん。確かに難しそうですけど」

 リリス、シャルル、アボロは皆お手上げといった雰囲気で唸る。

 しかし、ジークリンデがふと、あることに思い至ったのだ。

「ハイナ…。私、一人心当たりがある」

「……私も。けどジーク、本気なの?」

「えっ? だ、誰ですか? アニュラスの偉い先生とか…?」

 シャルルの問いに、ジークリンデは首を横に振って答える。

 それから口を開いた彼女の表情は、どこか苦渋の選択肢を告げるようだった。


「ネルフという、吸血鬼だ」



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