第28話 過去と冗談

「ネルフとな…その名、聞き覚えがある。たしか、食通グルメを名乗るという吸血鬼ではないか?」

「知ってるのか?」

「“風の噂”レベルだ、ハイナ君の言葉を借りればね。『魔王』の時代は世界全土に災害が降り注ぎ、災禍の中心にあったアニュラスは、生きとし生ける者の血は灼熱に乾ききった……。吸血鬼が殆ど滅したという其の時代を、ネルフは何でも喰らい生き抜いた、とな」

「そもそも闇澱みのこともネルフに聞いた。彼は闇澱みを喰らったことがあるらしい。不味くて喰えたものではない、と言っていたが」

「裏を返せば彼は味を覚えてるわけだ。だから君の血の中にある闇澱みも見つけられると。しかもおあつらえ向きに、彼は吸血鬼――最も血の扱いに長ける種だ。面白い、数奇だな」

 アボロは乾いた笑いを零すが、血の気が引いたように顔を青くしていたのはシャルルだった。

「まさか血を吸わせる気ですか?」

「そこが問題だ。ネルフは人語は通じるが、話が通じる奴ではなさそうだった」

 ハイナも頷く。

「だよね。あいつ、めっちゃジークの血を吸いたそうにしてたけど…吸わせたらダメだよね?」

「血を失えば人は死ぬ。知ってるとは思うがな」と、妖怪種のアボロが人の道理を説いた。「ネルフとやら、間違いなく適任だが、同時に高いリスクを持つ選択肢だな」

「それもそうだし…(私もジークの血を吸わせるなんて嫌だし)」

と、ハイナは小さな声でごにょごにょ言いつつ、ジークリンデを窺う。彼女は目を瞑り、大きくため息を吐いた。

「……治る保証もないし、別の手段も欲しい。アイデアは頭に残しておく」

『結局、ほぼ白紙のままか。治療法の理屈は分かったけどな』

「そう気を落とさず。拙者も、君らが元の状態に戻れるよう手伝おう」

「ありがとアボロ! 優しいね」ハイナが手を合わせて言う。

「くっく…優しい? 妖怪相手に、よくも言えたものだ。裏があると思わないか?」

 アボロは縁側から遠くを眺めた。「君らも見ただろう。拙者が腰かけていた、あの巨大な髑髏を」

「え? はい……あの、ずっと気になっていました。あれはなんなんですか?」シャルルが話題に食いつく。

「がしゃどくろ――生前、ザハの言葉で大太郎法師だいだらぼっちと呼んでいたがね。かつて幽谷を治めていた妖怪だ」

 皆が目を丸くして、アボロの話に聞き入る。

「だが魔王の時代、灼熱に焼かれた幽谷の湖は乾き、だいだらは飢餓の果てに息絶えた……腐敗する前にある者に喰われ、あの骨の姿になった」

「……え? まさか?」

「拙者だよ、だいだらを喰ったのは。拙者がと呼ばれ、名乗るは、いわば襲名。啞襤褸アボロこそ、あくまで最初の名前ゆえな」

 そういってアボロが歯を見せて微笑むと、皆、背筋が凍ったような心地がした。

「……く、はっはっは! まあ冗談はさておき」

「ど、どこから?? どこから冗談? だいだらぼっちの所? 食べた所?」

「拙者は幽谷を治める手前、防衛に責任を持たなければならんのは事実。シャルル君、そのスカーフはアニュラスの占術師のものだな。太陽の占術……たしか陽依目と言ったか」

「えっ? あ、はい! 俺は陽依目です!」

「明日の昼、占術で見て欲しいものがある。ザハの幽谷と山の一帯に、どれほど魔物と侵入者がいるか」

 シャルルは、緊張に息を呑んだ。

 なにせ彼は本当は陽依目ではないから。そしてアボロの願いが予想外だったから。

「いったいなんのために?」

「多いのだ近頃。君らが対処した植物魔物シダだけでなく他の魔物が。何かの勢力が紛れ込んでいるやもしれん。君らに対処を頼みたいわけではないが、場所だけでも知りたい」

 それを聞いたシャルルは、助けを求めるようにジークリンデたちを見た。

(がんばれ)

と彼女の口が動き、リリスも拳を掲げた気がしたので、彼も頷くしかなかった。

「あの……善処します」



 そして次の日。太陽が高く上った頃合いを見て、アボロはシャルルを呼び出す。

「では頼む」

「はい」

 頷いた彼の手には、日傘が握られていた――ジークリンデがデミス隊の刺客と和解を申し出たとはいえ、それが実質的に有効になるのは刺客がアニュラスに帰ったあとである。

「だからあと数日、最低ここ3日は、陽の下に迂闊に出ない方が良い」

と、そんなアドバイスを元にシャルルは日傘を借りることにしたのだった――。

「陽依目を名乗るのに、日傘とはな?」

「ちょ、ちょっと、直射日光は苦手で…はは」

「くっく、吸血鬼かね君は。ともかく頼んだ。できるだけで良いが、広い範囲で索敵をしてくれ」

「すぅ……(検知魔法ανίχνευση検知魔法ανίχνευση検知魔法ανίχνευση検知魔法ανίχνευση検知魔法ανίχνευση……)」

 シャルルは小声で詠唱を重ねていく。すると彼を中心に、検知魔法の範囲が広がっていった。

 10回重ねる頃には幽谷全体を、50重ねる頃には山全体、100の頃には麓に至るまで。

 彼自身、限界が分からないほど探索魔法の範囲は広がっていた。山頂に瀑布を垂らし、その水が森の木の合間を縫って麓へと広がるように――そして広げれば広げるほど、彼の身体に闇の魔力が色濃く纏わる。

(な、なんだ、これ……? どこまで広げられるんだ、俺の魔法?)

 無尽蔵さに、彼自身は恐くなった。だから途中で詠唱を止めて、アボロの方を振り返った。

「あの…。一通り見てみました」

「ほう、もう?」

「少し待ってください、メモします」

 それから、シャルルは周囲の地形を紙に描き写しながら、魔物や人間と思しきものが見えた所をメモしていく。

 それを見て、アボロは目をずいぶん驚いた様子で、声を漏らした。

「おお、なんと…。君はこの山に来たことがあるのか?」

「え? いえ、初めてです」

「くっく、そうか。末恐ろしいな陽依目の魔法は。一大防衛拠点である幽谷と山の地形が正確に把握できるとは」

 しかし実際に使用されたのは陽依目の“天道占い”ではなく、単なる“検知の魔法”である。天道占いの本質は過去を見る魔法であり、根本的に検知の魔法と異なる。

「あ、あはは……どうぞ。怪しいものが見えたところをメモしてます」シャルルは苦笑いで誤魔化した。

「すぐに遣いを送る。いや助かった! あとは好きにゆっくりしてくれ」

 こうしてシャルルが解放され、ジークリンデたちが待つ縁側の日陰へと向かう。彼を迎えるように、リリスがまっさきに飛んでいった。

『お疲れ! とんでもないことしたな』

「しー、静かに…! アボロさん、気づいたらどう思うか…!」

「まあ、アボロあんまり里の外に出ないし、実際の陽依目の魔法も知らないと思う」

「そうだな。それにシャルルの魔法のほうが森の中で使うには向いてる。本当の陽依目の魔法はアニュラス全土を見渡せるらしいが、反面、日陰の情報は見えない」

「そうですよね。あっ…逆に森の中が見え過ぎてるのも怪しいってことですか…?」

 シャルルは慌てて振り返ったが、アボロの周囲には既に里の妖怪たちが集まり、まるで決起集会の様相を呈していた。

「……ふっ、まあそこまで気にするな。少なくとも、彼らの助けにはなったろう」





 一方その頃、アニュラスにて。

「ああああー…やっとできた!」

 しっかり徹夜したエルタニンが、大きく背伸びをすると、崩壊する瓦礫のような勢いで机に項垂れた。

「できたねえ…」

と応じたスーリャはエルタニンと逆の現象が起きていた。

 すなわち背もたれに体重を預けて力を抜き、まるで溶けたようだった。

「やればできるもんだねえ、新しい魔法作り……」

「まあ、できたかどうかは、晴れた夜にならないと分からないけどね」

 スーリャは、机の上に散乱したレポート用紙の一枚を手に取った。

 彼女たちが取り組んでいた課題こそ、新たな占術の創出――月の光に基づき、陽依目ひよりめにも星夜見ほしよみでも見えない、夜の過去と明るい未来の情報を得る魔法。

 その手法に倣い、月読夢つくよむと仮称がついた新たな占術であった。

「これで占術は全てが一通り見えるようになったはずだよね。過去の夜の出来事も近くの未来の出来事も、月読夢があれば検索できるから」

「欠点は……発動条件が星夜見と同じことだね。晴れた夜じゃないと使えない」

「でも未来と過去がどっちも見える新しい方法なんだよ! エルたんに誘われたときはどうなるかと思ったけど、ああ、やってよかった……面白かった!」

 そう言われて、エルタニンには、どこか嬉しい気持ちがあった。

 学年首位であるスーリャと、「実力」という名の隔たりをずっと感じて来た。でも今はそんな感覚が消えたようだった。

「今日、さっそくアゾン様に報告しよう。夜になったら、この方法を試して…ふあ…」

 うつら、とエルタニンの頭が揺れる。「だめだ、ねむ…ちょっと寝ないと…」

 気を失うように、エルタニンは動かなくなった。スーリャは、一瞬彼女のことを窺うと、

「……おやすみ」

と告げ、部屋を静かに後にした。



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