第29話 再会と絶叫

 ちょうど夜が更けるころ、アボロは嬉しそうに帰宅した。

 いわく、その一日に過去最高数の魔物が討伐されたとのことだった。それだけでなく人間の侵入者やデミスも少数ではあるが拘束したという。

 彼の背後には妖怪がぞろぞろと列をなし、例のがしゃどくろがある広場のほうへ向かう様子が見えた。

「今日は実に愉快な日だった! あまりの戦果に、これから宴をする妖怪もいるほどだ。どうだ君たちも」

「その、お気持ちは嬉しいんですが…。実はザハの教会に別件がありまして、夜が更ける前に済ませたいんです」

と、シャルルは首を横に振った。

 アボロは残念そうに肩と眉を下げる。「そうかい、なら残念だが、引き留めるわけにもいかん……。ところで教会といっても、どこに行くのかな? ザハには、いくつもあるからね」

『テレサ、っていうシスターがいるところだ』

と、リリスが答える。

「なに、あのテレサか?」

『知ってんのか?』

「聖女と呼ぶ仲間もいるほどだ。妖怪の話も分け隔てなく親身に聞いてくれる、有名人だよ」

『へッ…そうだろ』と、リリスは自分のことのように嬉しそうにする。

「口惜しいが、お別れか。おいで、麓まで送ろう」

「送る、と言っても…アボロさん、ここを離れて良いんですか?」

「なに、“送る”とは拙者が歩いてついて行く、という意味ではない。文字通り、神隠しの逆ということだ。ハイナ君の言葉を借りれば“招待”の逆――拙者が指定した位置に、君たちを直接移動させる」

「つまり瞬間移動ですか? …凄い魔法ですね」シャルルは心底感動した様子だった。

「魔法ではない、妖術だよ」

 かくして、一行は屋敷の外に出た。陽は沈みつつあり、ザハの山の向こうの橙色の空が徐々に夜になっていく。

(これなら陽依目に見つかることもあるまい…)

 ジークリンデは庇の外に踏み出た。それからアボロが手招く場所に皆が集まる。

「準備は良いか?」

「…は、はい。多分」

「そう身を固くしなくて良い。できるだけ彼女の教会の近くまで、君たちを送ろう。……ただ、少々藪の中になるかもしれないが」

「構いません」

「うむ。ぜひまたいらっしゃい、シャルル君。ハイナ君、ジークリンデ君、リリス君も」

「うん、またね!」

 ハイナが手を振るのを見てから、アボロは手で印を結んだ。

(妖術、幽隙ゆうげき陽転ようてん


 ずっ


 視界が黒く塗りつぶされた感覚が、瞬き1回ぶんほどよぎったと思うと、皆は藪の中にいた。林の向こうから人の声や、家屋の明かりが見える。

「……」「……」『……』

「あっ。あそこに見えるのが教会かな? ちょっと離れてるね」

 皆が呆然と言葉を失う中、ハイナが平然とした様子で、ひと際背の高い建物を指さす。

「いま何が? 本当に瞬間移動?」

「さっきアボロが言ってたでしょ? 招待の逆をしてみせるって」

「しかしだな、ハイナ。言葉で聞いても、実際にやられると、これは…」

 今更、アボロという妖怪の実力が正確に認識できた。

 飄々としていたが、一介の魔法使いを優に超える業の使い手である。

『確かにあれが教会だ。今テレサがいるかは、行って見ないと分かんねえけど…』

 人目を窺いつつ、茂みから這い出る。大通りから逸れた場所に転送されたからか人は少ない。

(教会を目指していくと人目につきそうだ。闇のエンチャントも周囲の人にどんな影響を及ぼすか分からない…。リリスだけで行く方が無難だが)

「…シャルル、その…」

 ジークリンデは声を掛けようと口を開いたが、リリスを肩に乗せて、教会を目指す彼の背中を見て、言葉が続かなかった。

(……味気ないか。恩人リリスとそんな別れ方は)

 彼女にとっても、リリスが闇エンチャントを纏う自分たちのことを信頼してくれたという事実は恩義と感じていた。

 ジークリンデはシャルルに歩み寄り、

「シャルル、闇のエンチャントは普通の人間に毒だ。あまり近寄らないよう気を付けて」

とだけ、助言した。

「あ、そうですよね。分かりました」と、素直に頷くシャルル。

『ウチのことは気にしなくて良いからな。今更言うのもなんだけど』

 そんなやり取りを傍で聞きながら、ジークリンデは二人から距離を取って、後ろを歩く。

「優しいね、ジーク」

「なにがだ?」

「ふふっ」

 ハイナは微笑むばかりで、それ以上何も言ってくれなかったので、ジークリンデは少し不機嫌そうに視線を空へと移した。実に晴れた夜で、満月の光を遮る雲はない。

「…?」

 ジークリンデは、目を細めた。見ていたのは月光のはずだったのに、何かの眼光を見つめたような感覚を抱いたのだ。

『……っと、ここまでで良いぜ』

 そんなリリスの声がしたので、ジークリンデはふと我に返る。教会の扉がもう見えていた。

『運んでくれてありがとな、シャルル』

「いえ、俺は別に…。リリスさん、全く重くないですし。むしろ俺のほうが助けられました。このスカーフ、ありがとうございます」

『ふん。それウチのじゃなくて、誰かの忘れ物だけどな』

「それに、寮にも匿ってくれましたから」

『あれはな…デミス隊の方がおかしいんだ! ウチの対応が普通だっつーの。アンタを襲ったデミスを見つけたら、思い切り引っぱたいてやる』

「はは…。唄も、ありがとうございました」

『……アンタの傷は結局治んなかったろ。……せめて、その闇病が治るよう祈ってる。だから、その…』

「?」

『――いや、なんでもない! も、もう行け。じゃあな』

 リリスは彼のもとを離れ、空中で踵を返すように身をひるがえし、教会の窓から漏れる光のほうへ飛んでいく。

「リリスさん! また会いましょう、この病が治ったら!」

『……ああ!』と振り向いて頷いたリリスは、笑顔を隠せない様子だった。

 それから、妖精の羽の光が見えなくなるまで、シャルル達は彼女の小さな背中を見送った。

「…リリス、ちょっと残念。友達になれたのに」

「ずっと私たちのような者といるべきじゃないさ。その点はハイナ、貴方がちょっと特殊なんだ」

「へへっ、そう?」

「でも治ったら、またここに来ます」シャルルの口調は、予知を告げるようだった。「……テレサさんに会えたか、それだけでも知りたかったですが、行きましょう」

「良いのか?」

「はい、行きましょう」





 リリスは窓の隙間から身を滑り込ませ、揺れるカーテンを暖簾のようにくぐり、教会へと入る。

『テレサ? いるか?』

 小さな呼びかけが、酷く部屋の中に響いた気がした。それから何秒たっても誰の返事も返ってこない。

(なんだ? なんか、静かすぎる)

 明かりはついていたが人ひとりおらず、閑散としていた。夜とはいえ、来客はおろかシスターすら見えない。

『テレサ』

 少し声を上げて、リリスは講義室のような部屋の中を飛び回る。

 部屋の奥に扉を見つけ、ドアノブにしがみついて全身の力を込めて体重をかけると、蝶番を制して扉を開く。その向こうに入ると、短い廊下と清掃具、それに階段が見えた。ふよふよと飛びながら、階段を上る。

 二階にはまた狭い廊下があった。シスターの部屋が3つほどあり、その一つが少し開いている。風が吹き込んだのか、扉はひとりでに開くと、部屋の中の様子を露にした。

 窓際の椅子は、夜空が見えるような角度で配置されていた。そこに腰かけ、景色を見る女性の髪が静かに揺れている。座ったまま寝ているのか、首を傾げるように曲げていた。左手は膝の上に置いているが、右手は指先がまっすぐと床を指すように、ぷらんと、脱力している。

『…テレサ?』

 リリスが名前を呼んだが、答える者はいなかった。

 見てはいけないと、リリスは直感した。見てしまったら、引き返せない気がしたのだった。

 リリスは、テレサの前へと飛んでいく――彼女は眠るように目を閉ざし、わすかに開いた口から赤い筋が滴っていた。

 そして、椅子の背もたれに隠れていた彼女の胴体に、ぽっかりと開いた真円の穴を、見たのである。


 

『…っ――ぅぁあああああっっ!!?』



「…!?」

 耳の良いハイナより先に、シャルルがまっさきに振り返った。「い、今の声…!?」

「き、聞こえた! リリスの声だよね?」ハイナも頷く。

「なに…! リリスに何かあったのか!」

 ジークリンデは一瞬の迷いの後、教会へ駆け出す。

 しかしそんな彼らの前に、突如流星のような勢いで何かが落ち、地面に突き刺さった。

「うわっ!?」

 舞いあがった粉塵を前に、皆が足を止める。

 それは、剣だった。

 刀身は真っ白に光り、プリズムのような虹色の分光が地面を彩っている。まったく異様な武器の光に硬直した皆の目の前に、さらに一人の大男が降り立つ。柄を握って引き抜くと、切っ先をジークリンデたちに向けた。


 デミス隊隊長、守護精霊スプリガンのダーイン。


 その男が、毅然として立ちはだかったのである。

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